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ゴキブリを操る超能力に目覚めたんだけど  作者: 唯之助


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邂逅(三)

年が明けて二〇二四年。高校一年の三学期。


 譲二の能力は、日々の訓練によって着実に成長していた。


 まず、範囲が広がった。当初は半径五メートル程度だった感知範囲が、一月の終わり頃には半径二十メートルほどに拡大していた。アパートの一階のゴキブリだけでなく、隣の棟のゴキブリの存在も感じ取れるようになった。


 次に、同時制御数が増えた。当初は十匹を同時に操るのが限界だったが、今では五十匹程度なら問題なく動かせる。精度は落ちるが、百匹にざっくりとした方向指示を出すことも可能になった。


 そして、最も驚くべき変化。ゴキブリの「感覚」を共有できるようになった。


 最初は気のせいだと思っていた。ゴキブリに意識を集中していると、ときどき奇妙な感覚が流れ込んでくる。視覚ではない。ゴキブリの目は人間とはまったく異なる構造で、映像として認識できるものではなかった。だが、温度の変化、空気の流れ、振動、匂い──そういったものが、ぼんやりとした塊として伝わってくる。


 ゴキブリの世界は、匂いで出来ていた。


 人間が視覚を主な情報源としているように、ゴキブリは化学物質の世界に生きている。フェロモン、食物の分解ガス、水分の蒸発、他の生物の体臭。それらが複雑に絡み合った匂いの地図が、ゴキブリの脳の中にある。


 譲二はそれを「嗅覚マップ」と名づけた。


 二月のある夜、譲二は布団の上に座り、目を閉じ、アパート全体のゴキブリたちの感覚に意識を沈めた。


 アパートには二十三匹のゴキブリがいた。


 一階の大家の部屋に五匹。隣室の独身サラリーマンの部屋に三匹。一階の角部屋の老婆の部屋に七匹。そして譲二の部屋に八匹。


 二十三の嗅覚マップが重なり、アパートの立体的な「匂いの見取り図」が頭の中に浮かび上がる。大家の部屋からは味噌汁と焼き魚の匂い。隣室からはカップ麺とビール。老婆の部屋からは線香と薬品。


 そして、壁の中、天井裏、床下──人間には見えない暗い通路の網の目が、ゴキブリたちの感覚を通じて譲二の脳内に描き出されていた。


 建物の構造が、手に取るようにわかる。


「すげえ……」


 譲二は目を開けた。頭が少しくらくらする。長時間の感覚共有は、脳に負担がかかるようだった。


 だが、これは使える。


 翌日から、譲二はゴキブリを使ったアパートの「偵察」を始めた。特に目的があったわけではない。ただ、面白かったのだ。他人の部屋の様子が、匂いを通じてなんとなくわかる。大家の山田さんは毎晩焼酎を飲む。隣室の佐藤さんは最近カレーに凝っているらしい。一階の角部屋の鈴木さんは、夜中にときどき泣いている。ゴキブリには涙の匂いがわかった。塩分の高い液体が、人間の顔面あたりから分泌される。それだけの情報だが、鈴木さんが泣いていることは譲二にはわかった。


 鈴木さんは八十過ぎの独居老人で、たまに民生委員が訪ねてくる以外は、ほとんど誰とも会わない。


 自分と同じだ、と譲二は思った。


 ある夜、鈴木さんの部屋のゴキブリを通じて、妙な情報が入ってきた。いつもの涙の匂いではない。床の上に何かが散らばっている。薬。錠剤が大量に床に転がっている匂い。そして、鈴木さんの体が──普段は布団の上か椅子の上にあるのに──床に横たわっている。


 譲二は飛び起きた。


 直感的に、何か良くないことが起きていると感じた。一階に降り、鈴木さんの部屋のドアを叩いた。返事はない。何度も叩いた。返事はない。


 譲二は大家の山田を起こし、合鍵で鈴木さんの部屋を開けた。鈴木さんは台所の床に倒れていた。意識はあったが、朦朧としていた。散らばった錠剤は、鈴木さんが棚から薬箱を落として中身をぶちまけただけだった。倒れた原因は脱水と低血糖。三日間、ほとんど食事と水分を取っていなかったらしい。


 救急車を呼び、鈴木さんは病院に運ばれた。命に別状はなかった。


 翌日、退院の手続きに付き添いに来た民生委員が、山田に訊いた。「どうして気づいたんですか」。山田は言った。「二階の学生さんが気づいたんだ」。


 民生委員は譲二に礼を言った。譲二は「たまたまです」とだけ答えた。


 たまたまではない。ゴキブリの感覚で知ったのだ。だがそんなことは言えない。


 ただ、この出来事は譲二の中に小さな種を蒔いた。自分の能力は──ゴキブリを操るだけの、滑稽で無意味に思えたこの力は──使い方次第で、誰かを助けることもできるのだ。

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