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小川さんが定年退職をするまで、泡沢は相棒として千葉県警の刑事としての職を全うした。
だが小川さんがいなくなってから直ぐ、泡沢は移動願いを出した。希望先は杉並署だった。それが受理されるかはわからないが、とにかく杉並署の署長からも千葉県警に働きをかけてもらうよう、話をつけた。
小川さんが退職するまで、結局、鰐男を逮捕する事は出来なかった。
あの夜、スナック天使で遭遇して以来、犯行がピタリと止まったのだ。元々、犯人に繋がる証拠もほぼ無いような事件だった為、その時は鼻息荒く捜査に全力を尽くしたが、その熱も時間の経過と共に鎮まって行った。
熱しすぎたものは一度冷めてしまうと、中々元には戻らない。捜査は再び規模が縮小され、いつしか棚上げ状態のままとなった。
そんな状況を1番悔やみ胸を痛めていたのは小川さんであり泡沢だった。千葉県警からのかっての希望で、勃起刑事として、ここへ転属されたにも関わらず、鰐男事件を始め、スナック天使のママ殺害事件、この2つだけは解決に至らなかった。周囲の泡沢を見る目め冷ややかとなり、
「そんなもん。放っておけ。一々気にしてたらインポになって、チンポ刑事としての力が発揮出来なくなるぞ?」
チンポではなく勃起なのだが……そんな風に思いながらも励ましてくれた小川という相棒がいなくなってからは、やはりこの場所はもう自分には相応しくないと思えるようになっていった。
尻尾を巻いて逃げるのか?という陰口が叩かれているのも知っている。聞き飽きるほど耳にした言葉だ。
そもそも捜査は1人でやるものでも、出来るものでもない。班同士の面子やくだらない意地を張り合いながらも、切磋琢磨し、犯人をあげる。だが自分は鰐男を逮捕する為の最後の切り札だったのだ。
その分、結果が出なければ風当たりも強かった。覚悟はしていた。だが歳を取ったせいか、どうしても同僚の視線が気になって仕方がなかった。
そして悩んだ挙句、移動願いを提出した。提出したその足で杉並署で世話になった三田さんに連絡を入れた。三田さんは黙って泡沢の話を聞いた後で
「署長に話しておいてやる」
と、それ以上何も言わずに電話を切った。
基本、移動願いを出した所で代われるのは、余程の事で無い限り配属先の署内での部署移動となるのが通常だった。だが今の泡沢は千葉県警の癌であり、面汚しでもあった。
「何が勃起刑事だよ」
「ただの性欲馬鹿のイカれ野朗じゃねーか」
「変態刑事なんていらないだろ」
今では泡沢に聞こえるように言う人間も増えてきた。刑事課がこの調子では、いつしか他の部署の人間も似たような反応を示すようになって行くのは目に見えていた。
それでも泡沢は仕事に対しては1人真摯に向き合っていた。だが無意識のうちに、摂取するアルコールの量が増え度数も高くなっていった。
悪酔いした時など、退職すら考えた。しかし、それを思いとどまらせたのは、鰐男であり、全く無くなる気配すらない犯罪者の存在だった。
精神の首の皮一枚が、何とか繋がっているような千葉県警内での泡沢だったが、移動願いを出していた泡沢にようやく光が見えてきたようだった。ついに辞令がくだされたのだ。
泡沢は希望通り、杉並署へ戻る事が決まった。心底嬉しかった。自分が杉並署に戻る為に、どれだけの人が尽力してくれた事か。それを思うと胸が張り裂けんばかりに熱くなり、目頭から涙が溢れ落ちた。
そしてデスクを片付け、課長と刑事課の仲間に挨拶をした。杉並へ戻っても頑張れよ。その言葉をくれたのは、東京へ戻る前夜に電話をかけた小川さんたった1人だった。
寮を出て駅へ向かう。切符を買い、改札を抜ける。尿意を覚え、トイレへと向かった。
泡沢が入って直ぐ後に小柄な男が入って来た。
ベースボールキャップを目深に被り、泡沢の横に立つ。ふと視線を感じ視線を横に向けると小柄な男性が股間を覗き込んでいた。何かのイベントの帰りなのか、顔は緑色にペイントされていた。気持ち悪い奴だなと思った泡沢は身体の位置を少しずらし股間を隠した。尿を出し終え、滴を払い落とす為、泡沢は摘んだチンポを揺すった。
その時だった。脇腹に強烈な痛みと熱を感じた。何だ?と思った矢先、その熱は背中や腰、又脇腹へとまるで移動するかのように痛みと熱が身体中へと広がりを見せた。
泡沢はチンポをしまおうとしたが、力が入らなかった。そしつた両膝が笑い始め、これ以上、立っていられなくなった。目に映る便器やタイル張りの壁が歪み、段々と薄ら白くなって行った……
泡沢が崩れ落ちそうになるのを、隣にいた小柄なベースボールキャップを被った男が素早く支えそのまま個室の中へと連れて行かれた。
蓋の閉まったままの状態の上に泡沢は座らされた。
小柄な男が後ろ手に鍵をしめた。
痛みは更にひどくなっていく。胃が捻れるような痛みに襲われ泡沢は吐血した。小柄な男はそんな泡沢の髪の毛を鷲掴み壁へと押し付けた。
そして今度は正面から複数回、刺された。
小柄な男は動かなくなった泡沢を見て、ふぅと息を吐いた。そしてベースボールキャップを取った。頭頂部で一括りにされた黒い髪。そしてペイントされた顔はトカゲのようだった。
泡沢は薄れゆく意識の中で、それとも鰐か?と思った。解いた髪を再び結び直す。ポニーテールにしたようだった。女?と泡沢は思った。
全く、自分はとことん女運に恵まれていないな。けれど女に恨まれるほど、付き合いが深い女なんて居なかった。なのに何故?通り魔的犯行か?……
小柄な男性の振りをした女が再びベースボールキャップを被った。
「あんたが生きてるとアリゲーターマンとしての私の仕事がやり難いのよ」
女は言うと泡沢の身体に足をかけ水が供給される陶器製のロータンクへ登り、隣の個室へと移動していった。泡沢は鰐男が女?んな馬鹿な事が……あり得ない……そこまで思うと、泡沢は咳き込みながら緩やかにその意識を失っていった……




