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ジジイの交友関係がどれほどなのか知らないがあれから3週間を過ぎても、ジジイが死体で発見されたというニュースは耳にしなかった。
その頃になると既に2人の頭の中から完全にジジイの事は抜け落ちていた。永剛は真面目に配達を行い、定時が来ると残業もせずに上がった。
夢子は夢子で喫茶店で働いていた。
パートのおばさんが待望の赤ちゃんを孕ったという事で、その分、働く日数が増え、家にいる時間もかなり少なくなった。
家に戻っても夢子はいない事の方が増えて行った。だからといって、永剛は夢子の浮気を一度でも疑った事はなかった。そして翌年、籍だけいれる形で、2人は夫婦になった。2人が同時に休みの日に、都内へ出かけ、花嫁衣装とタキシードをレンタルし、写真を撮った。
それが唯一、2人が結婚した証となった。指輪は買わなかった。夢子が欲しがらなかったからだ。
新婚旅行はディズニーランドだった。
夢子は子供のようにはしゃいだが、夕方、パレードを見学中、1組のカップルにぶつかられ転びかけた。慌てて永剛が腕を掴み、夢子が怪我をする事はなかった。カップルも夢子に平謝りしする程だった。
だがその2人を夢子だけは許さなかった。車で後をつけ、永剛は夢子が望むように、アパートに侵入し2人を殺害した。当然、刺し殺した2人の死体の前で夢子は永剛を求めた。永剛もそれに応え激しく夢子を抱いた。死体を処理しようと提案したが、夢子がそれを拒んだ。めんどくさいというのがその理由だった。
カップルの死体が発見されたのは殺害後、3日目の事だった。その翌日、つまり4日目にようやく白骨化し始めているジジイの死体も発見された。
ダブルのニュースを見て、夢子は嬉しそうに笑った。永剛は発見された事に驚きも、恐れもしなかった。ただ笑う事は出来なかった。
それに気づいた時、初めて夢子の過去の人生が気になり始めた。自分は大層な人間ではないし、小さい頃から小動物や死体に興味を持っていた。
そして今もだが、「潰す」という事に取り憑かれている。だが夢子はどうなのだろう。どんな幼少期を過ごして来たのだろう?何度か尋ねたが夢子が答えてくれる事はなかった。
「今の私を愛する意外に、必要な事があると思う?」
夢子はいい、永剛を子供をあやすかのように頭を撫で抱きしめた。
永剛もそれ以上、聞くことはしなかった。
ただ言えるのは、夢子は純粋な人殺しではないという事だった。実行するのは常に永剛で、その対象は決まって夢子が決めていた。
決めたというより、夢子の気分を害する人間全てがその対象となった。永剛は1度もそれを拒む事はしなかった。そのような夫婦関係で2人は歳を取っていった。
ラピッドの仕事の際も、必ず夢子が立ち会った。殺害後、死体を前にして2人は愛し合った。その後の死体の処理については相変わらず夢子は手伝う事はしなかった。かと言ってラピッドの仕事だからほったらかしにするわけにも、いや処理班がいるからそれでも構わないのだが、永剛自身がそれを良しとしなかった。
せめてラピッドの仕事の時くらいは死体を持ち帰りバラバラにし皮膚を剥ぎ骨を砕き削ぎ落とした皮下脂肪などを細かく切りミキサーにかけペースト状になるまですり潰したかった。その取り憑かれたような行為について、夢子は全く興味を示さなかった。
それから1年ほど経って、夢子が長年、別のシェフと浮気をし続けていた事が発覚した。
何故、相手がシェフだとわかったのは、夢子を尾行した時に、永剛は目撃してしまったからだ。
浮気相手がシェフだと言うのはただの偶然だと思われた。シェフでなくとも、夢子は付き合う相手には時間をかけ、信頼させそして夢子の気に食わない人間を対象に何らかの暴力を振るわせた事だろう。
夢子が同窓会があるといい、午前中の早い時間に都内へ向けて家を出た時に、同窓会をやるのにこんなに早く出かける必要があるのか?その疑問が永剛を突き動かし仕事を休んで夢子の後をつけたのだ。
そして、恵比寿で落ち合った見知らぬ男性と夢子を尾行した。2人は午前中に落ち合い、渋谷を彷徨いた後、恵比寿のそこそこ高級なホテルにチェックインした。部屋がわからない為、永剛は2人が出て来るまでホテルのロビーで見張っていた。夜8時頃、夢子からメールが届き、
「同窓会で盛り上がってさぁ。急遽友達の家で3次会やる事になったから今日は帰らないね、そのまま友達の家に泊まるから、帰るのは明日の夜になりそう。ごめんね」
と送られて来た。
「うん。わかった。楽しんで来てね」
と返信した。その10分後、2人がロビーに現れた。
永剛は被ったベースボールキャップを目深に被り直した。
2人はフレンチレストランで食事を済ませた後、スタンドバーに入って酒を飲んでいた。夢子と連れは終始笑顔で、まるでカップルそのものだった。いい歳した大人が……なんて古臭い言葉が頭を過ぎる。オジさん、オバさんになっても恋をするのはいい事だと思う。だが、夢子には自分という恋人であり、旦那がいた。夢子がどう思っているかは知らないが、永剛は夢子に対しそのように思っていた。実際、全身全霊で夢子を愛していた。1日に何度も大好き、愛していると口に出した。それは本心から出る言葉で夢子の機嫌を取るための嘘偽りの言葉ではなかった。だが夢子は永剛の気付かない内に浮気をしていた。背信行為だった。楓なら絶対そんな事はしない。仕事で他の男に抱かれていたとしても、プライベートではそんな事はしなかった。永剛の中に沸々と殺意が芽生え始めて行く。
だが……愛しているからこそ、まだ夢子を信じたかった。長時間ホテルの部屋に一緒にいたとしても、何もなかったかも知れないじゃないか。
2人が腕を組なながらほろ酔い気分でカウンターバーから出て来ても、尚、永剛はそんな風に考えてしまっていた。
そして再びホテルの方へと向かって行く。
その途中で、2人は路地へと方向を変えた。
5回建のマンションの外階段に足を踏み入れる。何をするつもりだ?と永剛は電柱の陰からそう思った。2人は足音に気をつけながら2回まで行くと、外階段側の部屋の前で立ち止まった。男が夢子へ耳打ちし夢子が頷いた。
男はスラックスのズボンのポケットから何やら取り出すと身体を屈め鍵穴付近をいじり始めた。数秒で男は手を止めドアを開けた。男が先に部屋へ入ると夢子も後ろについて行った。
永剛は太った身体を揺らしながら外階段へ向かった。そしてあがりそうな息を堪えながら2階へ登る。
閉まったドアに耳をあて中の様子を伺った。ちょっとした物音と短い悲鳴と怒声が聞こえただけで、その後は直ぐ静かになった。
永剛は息を止め音に気をつけながらゆっくりとドアを開いた。隙間から見えたのは懐中電灯を持った夢子と包丁を握った男の後ろ姿だった。握った包丁の先からは床へ向け血が滴り落ちている。男が倒れた人物を爪先で蹴飛ばした。
夢子の方へ振り返り、
「死んだよ」
と言った。
「やったぁ。さすがムネちゃん。夢子めちゃくちゃ嬉しい」
その言葉の後は、みなくてもわかった。
夢子と何度も経験済みだからだ。
案の定、直ぐに夢子の吐息が聞こえ始め、永剛は静かにドアを閉めた。そして外階段を使い、マンションから離れて行った。
施錠しているドアを簡単に開ける技術と、さほど時間もかけず、相手の命を奪う素早さ。
あいつはプロには間違いなかった。ひょっとしたら同業者、つまり漂白者かも知れないという事だ。
駅方面へ向かいながら永剛はラピッドにさっきの男の照会を頼もうかと考えた。
だが、恐らくそれは拒否されるだろう。寧ろ、照会をした永剛を不審に思い、余計な詮索をされかねない。
そう思い、永剛は男の照会を思い止まった。
いつ頃から夢子が浮気をし始めたのか、永剛には全くわからなかった。そのような気配も仕草もなかった筈だ。
今より若い頃、つまり夢子を拉致したのち結婚してからも携帯のチェックなど一度もした事はなかった。当時は携帯を肌身離さず持ち、頻繁にメールを打っていたが、それさこのような田舎で暮らす寂しさから来るものだと考えていた。
ここには夢子の知り合いも友達も1人もいなかった。それに夢子が求めるものを提供出来るのは自分しかいないとも思っていた。
傲慢ではなく、現実的な話からそう捉えていた。それもそのはず、この世の中に誰が自分の恋人の気に食わない人間を片っ端から殺す事が出来る?世界広しといえども、そうはいない筈だ。
だから万が一にも夢子が他の男に気を許すなんて、微塵も思わなかった。青天の霹靂とはまさにこの事だった。
永剛は、駅側の漫喫で始発を待つ事にした。
一足先に帰り仕事である郵便配達へ出向かなければならなかった。
遅刻はするだろうが、午前中は病院に行くとでも言っておけば何とでもなるだろう。
電車で帰宅中、頭の中では夢子を殺すか生かすか迷っていた。男としての自分は夢子を全身全霊で愛していた。この歳になっても夢子で欲情する。欲情したら1日中でも抱いていられた。
夢子も嫌がるどころか、それに応えてくれた。
これが先ず、夢子の浮気を疑わなかった理由でもあった。気持ちが他の男に移った女はほぼ、目の前の恋人や旦那に抱かれるのを嫌がってくる。その拒否する行為から旦那や彼氏はパートナーの浮気を疑い始めるのだが、夢子にはそれは全くなかった。寧ろ、自ら永剛を求める事も少なくなかった。
数年一緒に暮らして、決して裕福では無いが、夢子の望む事は何でも叶えて来た。
だが夢子はそんな永剛の気持ちを他所に別の男に殺人を犯ささせ、そして永剛の時と同じように死体を前にその欲情を発散させている。
何よりそれが許せなかった。普通に抱かれているなら、まだ許さない事もなかった。けれど、夢子は永剛に望む事を別な男に望んでいたのだ。
直ぐとは言わないが、やはりいつか、夢子は殺さなければならない。
童貞のまま自分に殺される羽目になった中学生。小学生もいた筈だ。女子供、年齢に関係なく、その者は皆、夢子の気分を害した者達だった。
殺した事に関しては何も感じないし、何も思いもしない。全て夢子の為であり、夢子を傷つける奴らは誰一人として許すつもりはないからだ。そんな一途な永剛の気持ちを弄んでいたのだ。
確かにここ最近は手を血に染めてはいない。夢子からも殺してほしいターゲットもなければ、要望すらなかった。つまりそういう事だ。夢子にとっての自分は飽きられて来たという事なのだ。永剛は自分は歳をとり過ぎてしまったのかと思った。だがまだ30手前だ。おじさんと呼ばれても仕方ない年齢だろうが、それでも充分若いと言える。そして未だに、何処かで死体を「潰す」という事に執着していた。でも夢子と出会ってからはその執着を出来るだけ遠ざけて来た。それは空腹を必死に我慢している子供に似ていた。このままでは死んでしまう、と永剛は思った。
とにかく今は様子を見てみるとしよう。
それでも夢子が頻繁に都内へ出かけるようになったら、その時はこの手で夢子を潰そう。
永剛はそう思いながら、緩やかに電車のシートに深く背を沈めていった。




