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 ①⑦⑥

女は永剛のスウェットを着たまま立ち上がった。永剛は側により、女の首に装着している首輪に手をかけた。外していると女が、自分は弾正夢子(だんじょうゆめこ)と名乗った。


バックから財布を取り出し、免許証を見せた。

永剛は外した首輪を持ったまま免許証を覗き見た。


「32歳にもなってあんな格好してる女、どう思う?」


「良いんじゃない?格好に年齢は関係ないと思うし」


「そう?」


「うん」


「ありがとう」


「え?」


お礼を言われた理由が永剛にはわからなかった。


首輪と鎖を畳の上に放り投げると、付近に集まっていたゴキブリ達が一斉に散らばった。


「ヒィッ」


それを見て夢子が小さな悲鳴をあげた。


「ゴキブリ……」


「苦手?」


夢子が頷いた。


「この家の中の匂いも、なんか……」


「気になるんだ?」


「かなり」


永剛はジーンズのポケットに手を入れ、車のキーを弄った。


夢子に言われてみて初めて気づいたが、この家の中に入った事のある人間で、こうして自由にしているのは夢子ぐらいかも知れない。


再びラピッドに入る前、明山未子と三代子さんが尋ねて来たが、その時は玄関先までだった。床を這うゴキブリをみて明山未子が大騒ぎしたのを、奈々の姿を見て思い出した。


「殺した方がいいかな」


「そうだね。臭いも酷いけど、この中で暮らしていたら、絶対病気になるよ」


「そうかなぁ」


「そうだよ」


「俺、産まれた時からこの状況の中で生きて来たから、何ともないんだよなぁ」


「産まれた時から?」


「うん」


夢子は永剛の言葉で全てを悟ったようだった。

けどそれについて口を出す事はなかった。


「そう言えば小さい頃は、よく学校で臭い、変な臭いがするって言われてたな」


「そりゃ言われるよね。身体や衣類にこの匂いが染み付いてるだろうし」


「でも、こいつらでも、役に立つ事もあるんだ」


「だろうね。私が衣類入れの中に入れられてる時、ゴキブリを入れられてたら、多分死んでた」


夢子はいい、ゴキブリを避けるよう爪先立ち、居間から出て来た。


「夢子さんが、嫌いならこいつら全部殺すよ」


「そうしてくれると嬉しい」


夢子はいい、ゴキブリを避けて永剛の腕にしがみついた。小ぶりな胸が肘に当たった。

裸のままスウェットを着させたのだから、当たり前だが夢子はノーブラだ。


「大丈夫。こいつらは、歩く側から勝手に避けてくれるから」


永剛はいい廊下を先に進んで行った。


この家にどれだけのゴキブリが生息しているかわからないが、全てを殺し切るには大量の殺虫剤や、アースレッドなどが必要になるだろう。


それらを散布したら、しばらくの間は、家の中では生活出来ないかも知れない。その辺りの事も踏まえ対策を考えなけれはいけないだろう。下手に業者を頼み、床下に遺棄してある父の人骨やみっちーの残骸などを見つけられても困る。やはり目につくゴキブリ達から殺して行くしか無さそうだ。


車に乗り込み夢子を助手席へと招き入れた。

エンジンをかけながら


「永剛。英永剛って言うのが俺の名前」


「永剛君、ね。ならえーちゃんだね」


前にも聞いたようなやり取りに永剛は少しばかり胸がむず痒かった。


「そう言われたのは夢子ちゃんで2人目だよ」


「て事は1人目の女の人とは別れたわけね」


「どうして、1人目が女だってわかったんだ?」


「わかるわよ。それくらい」


「、そうなんだ……」


「うん。で、その人とはどうして別れちゃったの?」


「ちゃんと別れたわけじゃなくてさ、朝起きたら俺の横で血塗れで死んでいたんだ。自ら頚動脈を切ってさ。自殺したんだ」


「自殺した理由はわかったの?」


永剛は首を横に振った。


「わからない。本人から聞く事は出来なかったからね。けど、何となく、自分の想像だけど、2人の未来を悲観したからじゃないか、と思っているよ」


言った後で、当時の楓と自分の年齢差を奈々に話して聞かせた。


車を走らせながら、楓と出会った経緯などが次から次へと口をついて出ていった。


「えーちゃんは、楓さんの事を愛してたんだね」


「愛とかよく分からないけど、大好きだったのは間違いないかな」


「だろうね」


「うん」


「それから彼女は作らなかったの?」


「うん」


夢子は笑いながら、普通、あんなゴキブリがいたら誰も近寄らないしと言った。


夢子は永剛に刺され拉致されたにも関わらず、それをおくびにも出さず普通の男女が話すように会話を楽しんでいるようだった。


刺された事と半ば、求めていなかった永剛との身体の関係については、心底、憎まれ恨まれるのは仕方がないと思っている。


だがこうして助手席に座り何食わぬ顔で話している夢子の姿を見ていると、こちら側が居た堪れない気持ちになった。


「買い物の前に病院に行こう」


「どうして?」


「お腹の傷、ちゃんと治してもらわないと」


「このままでもきっと平気だよ」


「いや、駄目だよ。治療して欲しい」


「どうして?どう言う理由があったかは知らないけど、えーちゃんは私を殺そうとしたわけでしょ?」


「最初は、そのつもりだった」


「だった?」


「うん。だけど今は酷い事をして悪いと思ってる」


「更生したんだ?」


「夢子ちゃんにした事についてで言えば、更生した」


「ふぅん。そうなんだ」


「2度としない」


「約束出来る?」


「うん。だから治して欲しい」


「えーちゃんがそこまで言うならいいよ。病院に行く」


「ありがとう」


「実は私とエッチしたから気が変わっただけとかだったりして」


夢子はニヤニヤした表情を浮かべながらそう言った。


「正直、それは無い、とは言えない。だけど、あってもほんのちょっとだけ。俺は夢子ちゃんの覚悟に感心したんだ。あの状況に置かれてそれが出来る人間はそうはいないよ。だから死ななくて良かったって思ってる」


「覚悟、かぁ。なるほどなぁ」


夢子はいい、スウェットの裾を引き上げた。お腹を出し身体を捩る。傷口を見ながら、


「傷痕残っちゃうかなぁ」


夢子の発した何気ない言葉に永剛の胸がキリリと痛んだ。


「大丈夫さ。きっと消えるよ」


何の保証もないが、永剛はそう言った。


「だといいなぁ」



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