①⑥②
早朝の電車は避け、通勤ラッシュの終わる頃を見計らって電車に乗った。
地元の駅につき、マリヤと一緒にバスを待った。
マリヤはタクシーの方が良くない?と言ったが、圭介はそれを拒んだ。一刻も早く身を隠したい人間が考えるであろう、おおよその行動は極力避けたかったのだ。
人が行き来する中でそのような話は出来ないし、するべきではないと思い、圭介はいいからバスを待つとだけマリヤに言った為に、マリヤは不貞腐れ機嫌が悪くなった。
空気を読めとは良くいうが、こういう場合、マリヤにそう話した所で中々、難しいものがあった。
マリヤ自身、警察に追われている事は理解していても、犯罪者の心理を考え逆の立場から物を見るという事はまだ出来ていなかった。
それがマリヤ特有のものなのかは、圭介にはわからなかった。
「ちゃんと説明して」
この言葉は女性に良く使われる事の方が多いと圭介は感じていた。反対に男の方はその場で咄嗟に空気を読んだり、読まなくてはならない状況というのを察する能力が高い気がするが、逆に女性はその割合が低いような風に思えていた。
女性がそれを出来ないという訳ではなく、この切羽詰まった時にわざわざ説明を求めてくる女性であるマリヤの感覚が人より少しばかりズレているのかも知れない。
マリヤのその言葉で、圭介はバスを待つ間、そんな風に考えていた。マリヤのタクシーという言葉だけを取れば、急いで逃げる為というのは分かるが、それが返って危険だと圭介には感じていた。
だから圭介はバスを選んだのだが、未だその説明をしない圭介に対しマリヤはまだ不貞腐れて、ぶつぶつと呟いていている。仕方なく圭介はマリヤに後で説明するからと言葉を付け足し、到着した混雑するバスの中へと2人乗り込んだ。
電車で移動するまでの間、圭介はマリヤにボストンバックを預け、1人、ファミレスに行かせた。圭介はというと、まるでずぶ濡れな捨て猫の赤子のように、ファミレスの裏で息を潜め静かに時間が経過するのを待っていた。何度か睡魔に襲われ、眠ったりしたが、通勤ラッシュ時間帯まで、誰にも見つからずやり過ごす事が出来た。マリヤにLINEを送り店から出るように指示した後、2人は駅に向かったのだった。
数本の電車をやり過ごした後、最寄りの駅まで移動した。そしてバスを待ってから帰宅したのだった。
追われている立場の状況である圭介を家で待っていたのは父と母の2人だった。玄関を開けて中に入ると、いきなり出て来た母に圭介は担いでいたボストンバックを落とした程だった。ある意味、警察が待ち構えているよりも驚いた。
帰って来る素振りもそのような連絡もなく、いきなりだった為、しばらく圭介は口をあんぐりとさせ、ニコニコする母をただ呆然と見返すしか出来なかった。
「元気だった?」
母は1、2度、マリヤを見てからそう言った。
「あ、あぁ。まぁ元気だったよ。そう言う母さんも元気そうで良かった」
「こちらの方は?」
母は圭介の腕を掴んだままそう言った。
「一応、俺の彼女」
圭介の言葉にマリヤが下から圭介を見上げた。
この状況でこのように母に伝えるのが正しかったのか圭介にはわからなかった。だが、マリヤを見るとついさっきまで不機嫌な顔をしていたマリヤだったが、今はそのような顔は影を潜め、むしろ笑顔をたたえている程だった。それを見て圭介はホッとした。
「初めまして。五月女マリヤと言います」
マリヤはそう言うと母に向かって頭を下げた。
「初めまして。圭介の母です」
母はそう返しマリヤに微笑んでみせた。
「そんな所で突っ立ってないで早く上がりなさい」
「あ、うん。そうだね」
圭介が言うとマリヤが先んじてお邪魔しますといい靴を脱ぎ始めた。
圭介は靴を脱ぎかけたが、そこで止まった。
「父さんは?」
「小屋を見に行ったわよ」
「そう。ならちょっと父さんに会って来るよ」
「はい」
母はいい、マリヤと一緒に玄関を出る圭介を見送った。
「帰って来てだんだね」
水道ホースを持ち、タイル床に水を撒いている父に向かってそう声をかけた。
「汚れてた?」
圭介が尋ねると父はいや、と返す。
「綺麗なもんだ。俺がいない間も、基本的な事はしっかりやっていたみたいだな」
父はいい、道具棚の方へ視線を走らせた。
「帰って来るなら連絡くれれば良かったのに」
「帰ってくるつもりはなかったさ。だが母さんが久しぶりに圭介に会いたいというもんだから、急遽、戻ってきたわけだ」
「そうだったんだ」
「あぁ。だが数日もしたら又、旅行に出かけるつもりだ」
「そっか」
圭介はいい道具棚の方へ行き、机の上に腰掛けた。
「なら父さん」
「ん?」
「頼みがあるんだけど」
「帰って来ていきなり息子から頼まれごとをされるとは思ってもいなかったよ」
父は水道の蛇口を捻りホースを片付け始めた。
「で、その頼み事とは何だ?」
「車を取って来て欲しいんだ」
「車?」
「うん」
圭介はいい、何故、車を取って来て欲しいのか事のしだいを詳細に話し始めた。
「で、撃たれた箇所は大丈夫なのか?」
圭介はジャンパーを脱ぎTシャツ一枚になった。撃たれた箇所が血で滲んでいる。出血は多少治っている感じがした。
「間違いなく病院には警察が張り込んでいる可能性が高いな」
「そうだね。だから自然に治すしかないよ」
「痛みは?」
「かなり痛いけど、我慢出来ない程じゃないかな」
圭介が言うと父はTシャツを脱いで傷口を見せてみろと言った。
「肩の筋肉が抉られた感じだが、まぁ しばらくは痛いだろうが、市販の痛み止めで誤魔化すしかないだろな」
「うん。けど正直、本気で撃ってくるとは思わなかったよ」
「ラピッドに内緒で勝手な事をするからしっぺ返しをくらうんだ。ま、これをいい機会だと捉え、個人で動くのは止める事だ」
「怪我の功名ってやつ?」
「まぁ、そういう事だ。お前をこの世界に引き込んだのは俺だ。その時から父さんはいつお前が警察に捕まったり、殺されても仕方ないと覚悟はしていた。それは今も変わらない。だが、母さんは違う。お前の仕事もその内容も知らずにいる。だから、大人なら少しばかり母さんの事も考えても良い頃だと、俺は思うがな」
「わかったよ。今すぐってわけにはいかないけど、考えてみる」
「それがいい」
父はいうと丸めた水道ホースを圭介に手渡した。
「車を取って来てやる」
圭介は父に鍵を手渡した。
「多分だけど、警察にマークされているかもしれない」
「わかってるさ。警察も車で逃走するのは諦めた、という事も思慮に入れているだろう。そう仮定すれば深夜の時間帯から駐車している車のナンバーは、控えられて当然だと思っていた方がいいだろうな」
「うん」
「直ぐにというわけには行かないが、車も買い替えた方が良いかも知れん」
「父さん、迷惑かけてごめんな」
「気にするな」
父が言った。続けて
「こういう時、園原さんのスクラップ工場が残っていたらな」
父はいい圭介の無傷の方の肩をぽんぽんと叩き、小屋から出て行った。
園原さんか……と圭介は思った。茂木をレイプし殺害した仲間の1人の死体を圭介は園原さんのスクラップ工場の中に捨てた。そのせいで園原さんは警察の捜査を受けた。死体を解体中に捜査を受けたのだ。圭介は当時、そのニュースを見た父の顔が暗く沈んだのを覚えている。
その後で園原さんもラピッドの一員だと父から聞いた。だが、園原さんが死んだ事に対して圭介は全く罪の意識を感じなかった。ただ運が悪かった程度に思った記憶がある。だが歳を重ね、今、自分の身が危うい状況に晒されようとしている中にあって、圭介は初めて園原さんに悪い事をしたと思った。自分があんな事さえし無ければ、父が取りに向かってくれる車も簡単に処分出来た筈なのだ。
だが、物事はたらればでひっくり返ったり、時を戻してくれはしない。
圭介は水道ホースを元の位置に戻すと小屋の明かりを消した。出ようとした時、圭介は思った。
「そう言えば、最近、鰐達にろくに餌を与えていなかったな。全く飼い主として失格だ」




