①⑤⑥
中村健二郎は山田美鈴殺害を全面的に認めた上で、全てを自供した。2人に面識はなかったが、中村健二郎はある時、さすがに4浪は出来ないと気持ちを奮い立たせ、引きこもっていた部屋から、数ヶ月ぶりに外へ出た。
向かう先は勿論、高校時代にお世話になった家庭教師がいる事務所だった。その家庭教師に再び自身の勉強を見てもらう為だった。
高校1年の夏にその先生に習い始めてから健二郎の成績はみるみる上がって行った。最初は自分でも信じられなかった。
だがそれは結果として次々と健二郎の前に現れた。そうなると勉強という物が楽しくなっていった。
高校2年になると健二郎は学年トップに躍り出た。だが結果的にそれが中村健二郎をドン底へと引きずり落とす引き鉄となってしまった。
健二郎はいつしか自分の成績が上がったのは元々自分は頭が良く、トップになったのも自分の実力だと思い始めていた。
そして3年に上がると同時に健二郎は家庭教師を首にした。自分には力はある。だから家庭教師など必要ない。
確かに勉強に向かう意識や取り組み方のコツは教わった。テストに出てくる問題を予測する、統計や傾向の話も聞いていた。ならばこれ以上、家庭教師を雇う事に意味があるのか?健二郎はその結論に至り家庭教師をクビにしてもらったのだ。
家庭教師をつけなくなってから、健二郎は最も簡単に学年トップの座から陥落した。だが気にはしなかった。
まぁ勉強しないでアニメを見てたりしてたからな。言い訳は腐るほど持っていた。だから気にしなかった。
最初はそれでも上手くやれていた。だが受験が近づくにつれ、今の実力だと志望校は愚か、滑り止めの大学さえ受からない程、成績は下降線を下っていた。
それでも健二郎はまだ余裕を持っていた。オンラインゲームとアダルトビデオに夢中になり、何日も寝ない日々が続く事もあった。
両親は受験が近いのにオンラインゲームばかりしている健二郎を心配していたが、健二郎当人はどこ吹く風だった。そして全ての受験に失敗した。
一浪、二浪する頃には健二郎の精神は病み始め、一歩も部屋から出なくなって行った。
糞尿はペットボトルや親が買って来たスナック菓子の袋の中で済ませた。そしてそれを部屋の前に捨てた。処分してくれたのはいつも母親の方だった。
風呂は数ヶ月入らないのが当たり前になっていた。健二郎の部屋からは糞尿や精液の匂いに満ちて異臭を放つ程だった。そんな状態になっていてもまだ、両親は来年はきっと大学受験に成功すると信じて疑わなかった。
そしてそれは見事に裏切られ健二郎は三浪する羽目になった。この頃から健二郎は度々、夜中に徘徊するようになった。夜中のコンビニで見かけたギャルやOLなどの後を付け部屋を特定し、その人物が住んでいる建物を電柱や民家の物陰に隠れながら2人の出会いや未来を妄想しながらオナニーをした。
そんな日々を送っていたある日、2階の窓のカーテンの隙間から外を覗き見している時、通りかかった受験生らしい高校生達の会話を耳にした。
その高校生は自分が高校時代に家庭教師をお願いしていた人の話をしていた。
その話を聞いた時、健二郎の身体は震え、気づいたら涙を流し泣いていた。間違っていたのは自分だったのだと、健二郎は我に帰った。
そして健二郎は再び、当日の家庭教師に勉強を習う為に、勇気を振り絞り夕方に家を出た。向かうのは勿論、その先生が所属している家庭教師の事務所だった。
だが、いざ着いて話を聞くと、生憎、当時の家庭教師は最近辞めたらしかった。肩を落とした中村健二郎は、渋々、事務所を出ようとしていたその時、入れ替わるように山田美鈴が入って来た。
事務所の人間は山田美鈴に声をかけ、そこにいる彼の家庭教師を受けてくれないかと、頼んだ。山田美鈴は中村健二郎を見定めるように眺めた後、あっさり首を振った。
「私、出来る人しか教えたくないんですよー」
そう言って中村健二郎を軽蔑するかのような眼差しで見返した。そう言われたのも無理はなかった。健二郎は風呂も入っておらず身なりも汚らしかった。拒否されるのは当然だった。だが、健二郎はそうとは捉えなかった。
怒りが沸々と湧き上がって行くのが感じられた。馬鹿にされたと思った中村健二郎は、事務所から出て来た山田美鈴の後をつけ、住まいを突き止めた。
それから数日間は山田美鈴の帰宅時を狙い、殺害するタイミングを図っていた。そしてついに強行に及び、山田美鈴を滅多刺しにして殺害した。凶器は自宅にあった刺身包丁だった。
殺害後、中村健二郎は我に帰り自分が犯してしまった事に怯え、両親に助けを求めた。山田美鈴の古いマンションに着いた両親は惨状を見て腰を抜かしかけた。だが、息子を助けたい一心で中村健二郎が触れたと思われる箇所全てを消毒し綺麗に拭き取った。
本音を言えば死体を持ち出し遺棄したかったが、誰かに見られる可能性を恐れ、止める事にしたようだった。
それを忠告したのは父親だった。あちこちに飛び散った血を眺めながら、父親は近所に聞かれた恐れがある事を危惧した。だから全てを拭き終えた後、あえて、隣に聞こえるように、中村健二郎1人を部屋に残して山田美鈴の家族を装いながら、部屋を出た。
これは父親にしたら賭けでもあった。死体が見つかった後、警察は隣近所に聞き込みに来るだろう。家族が来ていた様子だと隣人は口にする。だがそれが嘘だというのは山田美鈴の両親に確認すればすぐにバレる事だった。
そうなると近所の防犯カメラに3人で一緒に居る所を取られるわけには行かない。中村健二郎の父親は健二郎に言い聞かせ、早朝に逃げるよう指示を出した。その結果、防犯カメラに両親と中村健二郎が一緒にいる所を撮られる事はなかった。両親2人は防犯カメラに写っていたが、特定出来るには至らなかった。2人共帽子を目深に被っていた為だ。
不審者には代わりないが人物は特定されなかった。恐らくはこのマンションの住人だと、警察は判断したようだ。
警察はその映像をマンション住人全員に確認するつもりでいたが、その前に中村健二郎が容疑者としてあがり、一旦、それは取りやめられた。両親にとっての幸いだったのは、殺害当日、山田美鈴の両隣りが偶然にも留守だった事だった。
2人はそれに気づいてはいなかったが、中々、警察が現れない事で、もしや?と考えるようになっていた。
だが、その幸いも長くは続かなかった。その頃警察は中村健二郎を特定し、住まいを洗っている最中だったのだ。
そして今夜、中村健二郎他、家族2名を山田美鈴殺害容疑で逮捕した。
今後、3人にどのような処罰が下されるかは泡沢達にはわかりかねた。だが、知る必要もなかった。泡沢達の仕事は犯人を逮捕する事だからだ。
泡沢や小川は。その他の小川班の人間を引き連れ、度々、事件解決の祝勝会を開いた。こじんまりとしたものだが、勝利という美酒を味わう事により、今抱えている事件も必ず解決するという意気込みを兼ねての祝勝会だった。
その祝勝会の帰り、泡沢は翌日が非番という事もあって皆と別れた後で酔い覚ましにと、1人当てどもなく歩いていた。幾ら酔っているからとは言え、曲がりなりにも刑事である泡沢は、やはり考える事は事件の事ばかりだった。
未だ解決出来ていない鰐男は、1番の問題だった。全ての事件を最初から思い出しながら歩いていると、いつしかスナック天使の近くまで来てしまっていた。
あぁ。自分はここで桜井真緒子とチッチの2人の手に寄って拉致されてしまった。刑事が拉致なんてみっともない話ではあったが、運良く命を落とさずに済んだ泡沢にとって、それは苦い思い出でもあったが、改めて生きる希望を知れた思い出でもあった。
ただ残念なのは、未だにママを、殺害した犯人を挙げられていない事だ。あの後からスナック天使のシャッターが開き灯が点る事は無くなった。幾度も小川さんに連れられて来た馴染み深い店が無くなるというのは、寂しいものだ。いつの日か誰かがこの店を引き継いで欲しいと願うばかりだった。そうなれば店の名前が、変わっても泡沢は尋ねてみたいと思った。
そんな矢先、店内から淡い光が漏れている事に泡沢は気がついた。その灯りを見た時、泡沢は不信感より、新たな借り手が見つかったのかと思った。
必要な物や不必要な物を選別する為に来ているのかも知れない。普段であれば先ずこのような事は先ずしないのだが、アルコールも手伝って気分が良かった。新たなオーナーであれば挨拶をしておこう。
そんな風に思い店の前へと近寄って行った。入り口はシャッターが、下りていて中には入れなかった。こんな深夜にいきなり閉まっている店内へ入ろうとするのも、明らかにおかしな話だが、それほどまでに泡沢はスナック天使に灯りが点っている事が嬉しかったのだ。
泡沢は表からは入れないと見ると直ぐに裏口へと回った。その途中、いきなりペニスが勃起した。不思議に思った泡沢は一旦、足を止めファスナーを開けペニスを取り出した。公然猥褻罪にあたる行為だが、酔いと嬉しさ、そして勃起したペニスが、刑事としての泡沢からそれを忘れさせてしまっていた。
おかしい。変だ。何故、勃起する?出したペニスをズボンに納めた時、店内から物音が聞こえた。泡沢のペニスは更に硬くなった。射精した後のように鬼頭がピクピク動いている。新たなオーナーではなく空き巣の類いか?と泡沢は思った。
と同時に犯罪から想定された糸は泡沢の中で何処までも伸びて行った。その糸が止まった先の思考により泡沢はいっぺんに酔いが覚めてしまった。
ひょっとしたら中にいるのは天使のママを殺害した犯人かも知れないという、あり得ない思考が泡沢の中を埋め尽くした。空き巣だと思った自らの思考を全面的に否定した。泡沢は待った。
そして裏口へ近づいた時、店内の明かりが消えた。泡沢は更に裏口へと近づいて行く。腰に手を伸ばすと返却し忘れた拳銃があった。その銃把に触れる。始末書物だと泡沢は思った。
今朝、9時に起きた市内のアパートに日本刀を持った中年男性が住人の主婦を人質に取り立て篭もるという事件が起きた。その事件に泡沢は駆り出されたのだ。小川さんは別件で忙しいと嘘をでっち上げまんまと駆り出される事から逃れた。その煽りを受ける形で泡沢が行く羽目になったのだが、その際、拳銃の携帯を許可されたのだ。犯人からの要求は一切なく、時折、持ち込んだ日本刀を窓から突き出し、意味不明な言葉を喚き散らした。
立て籠り事件は夕方に機動隊の突入で解決をみた。人質に怪我はなく、立て籠った犯人との面識もなかったそうだ。署に戻った泡沢は簡単に報告書を書き、課長に提出した。その際、小川さんや、中村健二郎を逮捕した一行達から一杯行くぞと誘われ、泡沢はつい拳銃を返却するのを忘れてしまったのだ。だが、今はその拳銃がある事に感謝した。これほど心強い物はない。泡沢は銃把から手を離した。息を潜めドアノブに手をかける。ゆっくりと回し、裏口のドアを開けた。




