①④⑦
八木さんの指示で永剛は助手席側の後部ドアを開けた。トイレの陰からて動向を見守っていた田山さんが駆けて来る。永剛が開けたドアを名一杯開くと付近に目を光らせた。明山が早く早くと久米を急かす。
久米は黙ったまま今村を担いでいる。足と腹部から垂れた血が地面に落ちていく。鳥居の陰から阿波さんが姿を現した。
顔にマスクをし両手にはゴム手袋が嵌められていた。
その手に小さな懐中電灯と何かしらの容器が握られている。今村が座っていた辺りでその容器のキャップを開けると、切断された指から流れ落ちたと思われる血液に向かって容器の中の液体を垂らした。
しばらくすると階段や地面から煙が立ち上がり、阿波さんは微かに目を細めた。マスクの位置を直しながら新た血痕へと移動して行く。時々、しゃがみ込んでは何かを拾う仕草を見せながら阿波さんは車が止まっている場所まで同じ事を繰り返していった。
今村を車に押し込むと久米さんは八木さんに向かってお疲れと声をかけた。八木さんが返事を返すより早く、久米さんが車から離れて行く。
明山さんに向かって行くぞと言った。
「指は?ねぇ、指は何処にやったの?」
明山の言葉に久米が小さく舌打ちした。
「後は任せて。2人は早く逃げなさい」
田山の言葉に明山が頷き、久米の方へと駆け寄った。
後部座席に田山が車に乗り込む。ドアを閉め、八木に出してと言った。
「阿波さん、後は頼みます」
「わかりました」
「恐らく今村の指は鳥居の付近にあると思いますので」
「大丈夫です。全て回収済みです」
阿波さんの言葉に田山が頷くと同時に八木が車を発進させた。後部座席の真ん中付近の足元に身体をくの字に曲げた今村の姿があった。
まだ息があるのか身体が小刻みに震えている。田山さんがその顔を覗き込んだ。ハイヒールを履いた足を持ち上げた。膝を曲げた状態から今村の顔面に向かってハイヒールの踵で踏みつけた。相当な力が入っていたのか、今村の顔がグニャリと歪み口から血を吐き出した。
空咳のような呼吸音を掻き消すように田山さんはもう一度、今村の顔を踏み付けた。瞬間、田山さんがバランスを崩し、シートから滑り落ちた。慌てて支えようと永剛が手を伸ばしたが、田山さんは手を突き出し大丈夫よと返した。
ハイヒールの踵は今村の頬に突き刺さっていたようだった。田山さんはハイヒールを脱いで手を使って今村の顔からハイヒールを引き抜いた。そんな田山さんの姿を見た永剛は一瞬、息が出来ず身体が硬直した。
田山さんがこのような行為に出たのが信じられなかったのだ。その衝撃的な行動に永剛の身体の筋肉が一瞬だけ、萎縮したようだった。
一連の田山さんの行動に、永剛は田山という女性の、見た目からは想像も出来ない別な面を、見た気がした。
それは冷酷さだと永剛は思った。その冷酷さ故、田山さんは見守りの会の代表なのかも知れない。冷静沈着で全体を見通せる視野を持ち、決して取り乱す事なく、それぞれの立場にある人への配慮も出来る。
そして何より田山さんは僕の母の為に、いや、違う。この人は酷い目に遭った人の為ならどこまでもその相手に冷酷になれるのだろうと思った。
永剛は今村を挟んだ隣に座る田山さんを覗き見た。この人とやりたいと思った。けどそれ以上に、田山さんになら、自分が人を殺したいという欲求がある事を話せると思った。そして、いつになるかわからないけど、きっと自分の欲求を聞き入れてくれる人だと永剛は感じた。
車はあっという間に首都高に入った。誰も口を聞かず、車内は沈黙に支配されていた。微かにあった今村も呼吸も今では完全に止まっている。息をしなくなった元今村の残骸がカーブの度に永剛の足にぶつかり、永剛を苛立たせた。
これから何処へ向かい、どのように死体を処理するのか興味が沸いたが、それについては聞かずとも直ぐに分かる事だろうから、永剛は敢えて田山に尋ねるような事はしなかった。
いつしか眠っていたようだった。田山さんに揺り動かされ目を覚ました永剛は自分が今、何処にいるのか全くわからなかった。寝ぼけた頭を振りながら、眠る前の事を思い返す。側にはもう今村も死体はなかった。田山さんの照らす懐中電灯の灯りが永剛の臍に当たっている。
「八木さんは?」
目を擦りながら永剛はそう尋ねた。
「今村の死体を担いで、英君を待っているわ」
車から降りると辺りは背の高い針葉樹に囲まれていた。獣道のような荒れた歩道のような狭い場所に車は止められ、完全なる暗闇が辺りを支配していた。
雑木林を撫でる風の音は、まるで死後の世界から助けを求める今村の叫び声のようだ。田山さんの持つ懐中電灯の灯りだけを頼りに、3人は雑草を掻き分けながら山奥へと進んで行った。八木は上下に薄手の雨合羽を着込み今村を背負っている。血が肌や服に付かない為らしい。永剛は田山から渡されたスコップを持って2人の後に続いて行った。
30分程、歩いただろうか。ようやく田山さんの指示で、2人は足を止めた。その瞬間、八木は背負っていた今村を放り出し、崩れるように地面に座った。雨合羽を脱ぐと八木の顔には大粒の汗が流れ落ちていた。針葉樹の隙間から月明かりが3人を照らしていた。八木はさすがに息があがったのか、激しい呼吸を繰り返していた。
「この辺りにしましょう」
田山さんはいい、自分が持っていたスコップで地面に突き刺した。雑草に隠れてわからなかったが、田山さんがスコップを突き刺した場所だけ、上手い具合に雑草が禿げていて地面が剥き出しになっている。田山さんはわざわざこんな場所を見つける為に今まで歩いていたのか?
もしそうならこの人は徹底していると永剛は思った。
こんな山奥なのだから何処に埋めようがわからないよ。歩きながらそんな風に考えていたが、田山さんが示した場所を見ると、確かにここへ埋めたら、見つける事はほぼ不可能だなと永剛は思った。
「英君、出来る限り周りの草は踏まないように」
「わかりました」
「では、こちら来てください」
永剛は田山さんが懐中電灯を照らした場所へと慎重に足を踏み入れた。
「掘るのは私達2人です」
「八木さんは?」
「八木さんには休んでもらいます。道中、一切の不平不満を口にせず、今村を運んで来てくれたのですから。それに帰りの運転もあります。だから私達だけで頑張りましょう」
田山さんはハイヒールを履いたままスコップに足をかけた。踏み込むとスコップの先が地面に突き刺さった。更に踏み込むとジャリという音と共にスコップが地面の中へ押し込まれて行った。
人1人を埋める穴を掘る事がこんなに重労働で、大変な事とは思わなかった。
永剛は途中、代わってやるという八木さんの言葉に甘えて、何度か穴掘りを代わって貰った。
永剛は地面に座ってシャツで汗を拭いながら、人間を埋めるという行為は、その重労働さを考えると割に合わないと思った。
死体を処理するならやっぱり潰した方がいい。
時間が許す限り、じっくりと部位ごと潰してみたかった。永剛は呼吸が整うと八木さんと田山さんと交代した。女性が交代なしで頑張っているのに、自分だけ休んでなんかいられるか。そんな強い思いが、その後一度も交代無しで穴を掘り続けられた要因でもあった。
深さ2メートルは言い過ぎだが、頑張ったからこそ、そう思いたいくらいの穴へ今村勉を放り込むと、休む間も無く、掘り返した土を元に戻す作業に取り掛かった。田山さんは、掘っている最中も、埋め戻す時も一声も根を上げなかった。そんな田山さんをみかねた八木さんが何度か交代を申し出たが、田山さんは笑顔を浮かべそれを断った。
「私は今村を背負ってここまで運ぶ事は出来ませんから」
そういい盛り土になった土を穴に落とし続けた。夜が開け始めたのか、遠く、木々の隙間から白み始めた空が見える。埋め戻しが終わる頃には、ほとんど夜が明けていた。
3人はその後、急いで車へと戻り山中を後にした。見守りの会に着いた頃には、8時40分を過ぎていた。完全に遅刻だった。永剛は学校に行く事を諦め、家に帰る事にした。帰宅が遅くなった事を申し訳なさそうに気にかける田山さんに、永剛は「大丈夫です。普段、学校を休んだりしないから偶に休んでも変な疑いはかけられません」
そう言って見守りの会を後にした。八木さんは会社に休みを申請していたらしく、一緒に朝食を食べるか?と誘われたが永剛はそれを丁寧に断った。
既に全身は筋肉痛で空腹よりも、早く身体を休めたかった。楓のアパートに行く事も考えたが、服もそれなりに汚れていた為、楓が余計な詮索をするかも知れないと考えて止めにした。
永剛は真っ直ぐ帰宅し、お風呂に入ると、出たままの裸の姿で泥のように深い眠りの中へと落ちていった。
そしてこの夜を境に永剛は見守りの会のメンバーとして数年の間、多数の人間の処理を手伝い、複数の人間を鈍器で襲い刃物で刺したりした。
だがどれも致命傷に至るようなものは一つもなかった。田山さんがそれを許さなかったのだ。永剛は見守り班として参加させても、あくまでサポート役に徹するよう厳しく言いつけていた。
永剛は従順にそれを守ったが、本心は違っていた。田山さんの未成年で殺人は犯せたくない、という気持ちを、毎回踏み躙りたくて仕方がなかった。
その思いが爆発したのは高校2年の時だった。永剛は高校のクラスメイトの影響でヘビィメタルに傾倒し、中でもジューダスプリーストというヘビィメタルバンドに惚れ込んだ。その何枚目かのアルバムである「背徳の掟」を聞いた夜に、永剛は見守りの会を辞める決意を決めた。辞める事に田山さんだけは反対しなかった。だが、辞める事で永剛が見守りの会の監視対象となる旨を伝え、それ以上、田山さんは何も言わなかった。永剛も構わないといい、三代子さんや明山、八木、河野、阿波さん、そして広田やバンドマンの本庄や久米、その他、新たな会員達の目の前で永剛はその会場を後にしたのだった。
辞めた翌日、阿波さんがわざわざ学校まで会いに来てくれた。その理由は永剛を殺した方がいいというメンバーが少なからずいたという事を教えてくれる為だった。
「英君、くれぐれも気をつけて下さいね」
「阿波さんこそ、他のメンバーに見つかったら、何を言われるかわからないのに、わざわざ教えに来てくれてありがとう」
永剛がいうと阿波さんは微笑み、元気でねと手を差し出した。その手を握ると永剛の中で多くの思い出が蘇った。だがそれにより永剛が感情的になる事はなかった。
今村を殺害した後、母はしばらく家に戻っていたが、永剛が高校受験に入る頃、再び家出をした。その後は新たな男と上手くいっていたのだろう、毎月の仕送りが滞る事はなかった。それは永剛が20歳になるまで続き、それ以降、2度と送られてくる事はなかった。
永剛が見守りの会を辞めた半月後、楓が寝ている永剛の横で頸動脈を切って自殺した。永剛が目を覚ました時、楓は既に息絶えていて手の施しようがなかった。永剛はしばらく楓の死体を抱きしめた後、唇と乳首、そして性器にキスをしてシャワーを浴びた。楓の遺体を持って帰りたい欲求が強くあったが、見守りの会も辞めていた為にその方法が見当たらず、仕方なく救急車を呼んだ。
警察も来て永剛も事情聴取をされたが、近所の人間から楓の職業を聞くと、面倒だったのか警察はあっさりと楓の自殺を認めた。享年36歳だった。遺書もなく楓の自殺の理由が何なのか永剛にもわからなかった。見守りの会に入っている頃は、そちらに夢中になっていた為、楓から嫌味や嗜められる事もあったが、自殺する数ヶ月前に見守りの会は辞めていたので、それが理由だとは考えられなかった。
憶測だが、楓はこのまま歳を取って行くといつか永剛に見捨てられると考えたのかも知れない。永剛も高校、大学、社会人となれば異性から言い寄られる事もあるだろう。浮気だって充分有り得る話だった。それが一番の自殺の理由だろうと、永剛は決めつけた。
決めつける事で永剛自身、楓という女の自殺という呪縛から逃れられると考えたからだ。自分は浮気なんてしない。楓が歳を取っても愛し続けていた。その自信もあった。そのように言い聞かせる事で永剛は自分が心底愛した女性を、良い形で見送る事が出来たのだった。
高校を出ると永剛は大学には行かず、東京に出た。就職をする事も考えたが、成績が良くても高卒では余り良い就職先がなかった。だからフリーターの身で深夜まで営業している歌舞伎町のお弁当屋で働く事にした。そこに来る客や出前を頼む客のほとんどが水商売かヘルスやソープランドと言った風俗関係の人達ばかりだった。
偶にヤクザの事務所に出入りする事もあったが、特に怖い印象はなかった。その度に永剛は、どうやれば事務所内にいるヤクザの人達を全員殺せるだろうか?と妄想したりもした。
風俗関係の女性の中には永剛を可愛がってくれる複数の人達がいた。童貞と偽り、肉体関係になる相手もいた。中には貢いでくれる女性もいたが、そのどれもが楓を超える程、永剛を夢中にさせてはくれなかった。
お弁当屋は半年で辞めて実家へ戻った。東京が嫌いになったわけではない。車の免許を取る為だった。バイト代や仕送り、そして貢がれたお金によってその資金も充分過ぎるほど貯まっていた。数人の風俗嬢に実家に帰る事を伝えると皆、寂しそうな表情を浮かべたが、止める者は1人もいなかった。その事により永剛は、風俗嬢の寂しさの穴埋めに過ぎない存在だった事を思い知らされた。きっと自分達も背負っている物を放り出し、身軽になって実家に帰りたいのかも知れない。今は永剛の実家に帰るという、その部分だけ羨んでいたようだった。
「又、東京に遊びに来る事があったら、お店に顔出してね」
全員が全員、口裏を合わせたかのようにそういった。永剛も絶対に顔出しにくるからね、皆んなに向かってそのように返した。
遠藤冴子とは中学を卒業すると同時に別々な高校に進学した為、会う事はなかった。風の噂で耳にした、みたいな事も全くなかった。高校で彼氏は出来ただろうか。初体験はどんか男だろうか。そんな事を思った事もあった。
そして殺人事件の事を今も夢見ては、夜が来るのを恐れて恐怖に震えているだろうか。その度にお漏らしをしているだろうか。そんな事を思ったのもほんの数年の事だった。高校に進学して直ぐに遠藤の事は思い出さなくなった。高校でも帰宅部を通した。相変わらず本は好きで読んではいたが、図書室や図書館へは中学時代みたいに頻繁に行く事はなくなった。
高校2年の時、下級生から告白され付き合ったが、永剛がアナルに無理矢理ペニスを入れようとした為に振られてしまった。別に何とも思わなかった。そして永剛は20歳を越えた今でさえ、中学の修学旅行で遠藤が漏らしたあの下着は今でも洗わずに持っていた。その事を不意に思い出したり、その下着を身につけてシコったりもした。だけど遠藤の顔は上手く思い出せなかった。
実家に戻ると直ぐに永剛は車の免許を取った。直ぐにでも車を手に入れたかったが、まだ未成年という事で保証人が必要となり、身内がいない永剛には車を買う事が出来なかった。悶々とした日々を送る中、仕事もしていなかった永剛は昼間から田舎町をふらついていた。ある時、かなり大きな農家の家の側に古ぼけた赤い軽自動車が放置されてあった。
タイヤもパンクし、ボディもあちこちが錆びている。フロントガラスは埃まみれだった。側によりじっと眺めていると、背後からいきなり声をかけられた。
「欲しいのかい」
振り返るとそこの家主と思われる白髪混じりの顎髭をさする作業衣を着た中年の男性が、しゃがんで車を眺めていた永剛を見下ろしていた。
「はい」
永剛は正直に答えた。車の免許は取ったが、両親がおらずおまけに未成年という事で保証人が用意出来ず買う事が出来なかったと話した。
永剛の話を聞いたその中年男性は顎に手をやり何かを思案しているようだった。
そしておもむろにこう言った。
「10万だ。10万でこのオンボロの車を打ってやる」
「本当ですか?」
「あぁ。だが、正直このオンボロに10万の価値はない。だからタイヤを交換したり、しっかりと乗れるよう整備してやる。その手間賃を含めての10万だ。それでも良いか?」
「はい。今すぐお金を取りに帰ります」
「まぁ、そんな慌てるな」
駆け出そうとする永剛を男性が呼び止めた。
「名義変更や保険の事はわかるか?」
「わからないです」
永剛がいうと男性はハァと溜息をついた。
そして
「少し待ってろ」
というと一旦、家の中に戻って行った。
しばらくして出てくると男性は紙とマジックを手に持っていた。
「これに、名前と住所、生年月日を書いてくれ。しょうがねぇから保険やら名義変更の手続きはこっちでやってやる」
永剛は直ぐに紙に記入し、お金を取りに戻った。再び男性の家に来ると、男性は赤い軽自動車に水をかけている所だった。
封筒に入れたお金を手渡すと男性は確かめもせず、作業衣のポケットに押し込んだ。
「2週間後に取りに来い。その頃までには、全て終わってるだろうからよ」
永剛はまるで幼稚園児のような素直な返事をして、頭を下げた。そして2週間が過ぎ永剛は念願の中古のボロい軽自動車を手に入れた。
どうして車が欲しかったのかというと、
免許を取ったからではない。中学の時、横転したトラックに潰された老人の事が忘れられなかったからだ。つまり永剛の頭の中には常に人を潰したいという欲求があり続けたからだ。
その為の第一の手段が車だったのだ。軽自動車ではトラックのように人間を潰すのはハッキリ言って無理な話だが、車で跳ね倒れた人間を何度も何度も轢き殺してしまえばその人間もやがては潰れる筈だ。永剛の行動の全てはそこに集約されていたのだった。
地元は東京と違い、中々働ける場所がなかった。親の知り合いもおらず、コネで働ける所もなく何とか郵便配達員のアルバイトをしながら生計を立てていた。そのお陰で楓が働いていた店に久しぶりに顔を出す形になった事もあった。聞けばあのお婆さんはとっくに死んで、三代子さんも辞めていて、店にはいなかった。
いたら三代子さんを指名するつもりだった。三代子さんが何処に行ったのか店の人間は誰も知らなかった。店自体、今は経営者が変わり働いている女性陣も様変わりしていて永剛が知っている顔は1人もいなかった。
見守りの会も覗いてみたが、既にその場所にはなく、貸店舗の張り紙がされてあった。どうやら移転したようだった。だが、この場所に見守りの会がないからと言って、稀に鋭い視線を感じる事があるのは、変わりなかった。だが、その犯人を見かける事は1度も出来なかった。
郵便配達の良い所はどの家にどんな人間が暮らしているのか知ることが出来る事だった。
仕事なのにやっている事はまるで阿波さんと同じだと永剛は思った。
休みの日は目星をつけた人間を1日中、観察した。最初に轢き殺すのは老人か子供と決めていたが、そいつらが深夜に外を出回る事は無い事に気づき、ターゲットを変更せざる終えなかった。そして地元で狙うのも危険が伴うと感じ、都心部で事を起こそうと考えた。
永剛の頭の中では跳ねた人間を先ず拉致し、人気のいない場所へと運んでから、そこに放置し、何度も車で轢いて行く、というイメージが出来上がっていた。
ブレーキ痕やタイヤ痕、バンパーや塗料で車種が特定される事は知っていた。だから永剛は休みの日を使い、県外のスクラップ工場へ出かけたりした。幾度となく車の部品を盗みに入った。そしてそれを付け替え終えると永剛は都心部から少し離れた多摩方面に向い深夜、信号無視で横断歩道をふらつく酔っ払いを跳ねた。ブレーキは踏まなかった。踏む必要がないからだ。しばらく走り去り、引き返しその酔っぱらいを車内へ引きずり込んだ。多摩方面から抜けると一旦、車を止めて酔っぱらいをロープで縛った。頭部から血が出ていたがそれは無視した。そして都内から出て実家の方へと車を走らせた。
明け方、まだ薄暗い内に酔っぱらいを峠道に放り出し、永剛はその酔っぱらいを数回、車で跳ねた。人間の身体の上にタイヤが乗り上げる感触は永剛を興奮させた。
まるで車で波に乗っているような感覚だった。
そして動かなくなった酔っぱらいをその場に放置して永剛は逃げた。
轢き殺すのは楽しかったが、永剛が思っていたより、人間は潰れてくれなかった。それこそが問題だった。
速度が足りないのか。自分の運転技術が未熟過ぎたのか。確かに頭を踏みつけようと狙って運転したが上手く行かなかったのは、つまりはそういう事だ。
正直、まだ物足りなかったが、人気が無いとはいえ、車が通りかからないとは限らない。だから永剛は数回で止めて逃げたのだった。
翌日、昼過ぎに起きた永剛がTVをつけるとニュースで峠道での轢き逃げ事件の事をやっていた。轢き逃げされた人間は全身打撲で重傷ではあったが、命の別状はないとの事だった。
殺し損ねた、と永剛は思った。発見された男性の身元はまだわかってないが、その男性を発見したのは、どうやら峠を攻める走り屋達だったようだ。
走り屋ならそのまま轢けよと永剛は思った。そしてニュースが終わると永剛は顔も洗わず、表へ出た。バンパーや傷の凹み、塗料が剥げていないか。ライトなどが欠損していないか入念にチェックした。そしてその後で、盗んで取り付けていたバンパーやタイヤなどを、半日かけて交換して行った。
捕まるのを恐れているわけではなかったが、しばらくは自重しようと思った。そしてその後、お盆や正月休み入ると、関西方面に向い、人を狙う為に車を盗もうとしたが、上手く行かなかった。鍵を付けっぱなしの車は無く、その他の盗む方法を永剛は知らなかった。鍵なしで車を動かす技術は勿論の事、どうやれば動くのかも知らなかった。だから諦めるしかなかった。
日頃の勤務態度が良かったのか、永剛は郵便配達員として正式に社員に採用された。約12年もの間、無遅刻無欠席。おまけに正月まで仕事に出ていた事が認められる形となったようだった。
実際の所、社員に採用したのは何を頼んでも断らない永剛を今後も都合良く使う為の、いわば飴であり、方便に過ぎなかった。
だが永剛自身そんな事はとっくに見透かしていた。都合良く使いたいならそれでいい。そう思っていた。そして30歳になったある日の事、母が死んだという手紙が送られて来た。既に火葬も終わり、手厚く供養させて頂いたと書かれてあった。付け加えるように手紙の主は永剛に母の散骨を求めるか?という内容が記載されていた。永剛は直ぐに便箋を取り「いりません」と一言だけ書いて送り主へと手紙を送った。先方からは何の返事もなかった。
12年の間、永剛の中で燻っていた火種が業火の炎と舞い上がったのは、手紙が来てから数日の事だった。
夜の町をふらふらと歩いているといきなり見知らぬ男に声をかけられたのだ。その男は永剛の事をよく知っていた。話を聞く内に、その男が小学生の夏休み、ラジオ体操に行った時に会ったあのケチな男で、永剛がいない時、楓の家で楓とやっていたあの男だった。思い出すと胃の中が熱く火照った。
男はまるで旧友に会ったかのように、馴れ馴れしく接してき、終いには永剛を飲みに誘った。10数年振りに見るその男は、中学生の時に見た女を左右に侍らせ、憎たらしい程の鼻持ちならない傲慢さはすっかり抜け落ち、今はみすぼらしい程、痩せこけ、油に塗れた擦り傷だらけの作業衣を身に纏っていた。
だがそれでも永剛にとってこの男は憎むべき人間だった。殺してやりたい。会話をするにつれその思いが強くなって行った。永剛は誘われるまま男に着いて行った。
小さな小料理屋に入ってしばらくすると、男は白々しく財布を無くしたと慌て始めた。
呆れた永剛は良いですよ。僕がご馳走しますんでといい、男を宥めた。そうする理由は他でもない。今夜この男を殺すと決めたからだった。




