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曼珠沙華という言葉は別名であり、一般的にはヒガンバナと呼ばれている事を知ったのはそれから数年後の事だった。
それでも日本国内では各地方によって違っているらしく、その数は数百から千以上あると言われているようだった。例えば、葬式花、墓花、死人花
地獄花、火事花、蛇花、剃刀花、
捨て子花、と言った風に呼び方が違うようだ。
その土地の風土や風習、方言によって多様な呼び名がつけられたのだろう。私は幼いながら、死人花と捨て子花という呼び名に恐れおののいた。剃刀という言葉に吉田萌のお婆ちゃんの血塗れな姿がリンクする事もあったけれど、包丁と剃刀とではその用途の違いにより、私は剃刀花という言葉に怯える事はなかった。
お婆ちゃんは最後に曼珠沙華を命を狂わす花と言った。それを見る女は狂うのだと。
そんなお婆ちゃんと出会ったのは私達家族がその家の隣に引っ越して来てから直ぐの事だった。挨拶に行った私達3人は直ぐにお婆ちゃんと打ち解け親しくなった。
お婆ちゃんにも孫がいるらしく、その孫も私と同じで女の子だと言う話だった。けれど最近は学校の勉強が忙しく中々会えないとお婆ちゃんは寂しがっていた。そんなお婆ちゃんだったから私を新しい孫だよと言って可愛がってくれた。
溺愛と言っても良いくらい私を甘やかせてくれた。だから私は時間があるとお婆ちゃんの家に頻繁に遊びに行くようにしていた。お泊まりも沢山した。そんな私にパパやママは嫌がる所か寧ろ有難がっていた。2人の祖父母は遠く離れた場所で暮らしていたものだから、2人にとってもお婆ちゃんは祖母のような存在だったのかも知れない。だから私は誰に遠慮する事もなく1人自由にそこへ出入りしていた。
だが、庭に咲いた沢山の曼珠沙華の花のせいでいつしか私の命は正常ではいられなくなってしまっていたようだった。どのような気持ちで、どのようにしてお婆ちゃんを刺し殺したのか私にはわからなかった。
そこの部分だけ私の記憶の中でスッポリと抜け落ちている。ただ刺した事だけは覚えていた。けれど私はその事を言わなかった。いや言えなかった。
何故ならお婆ちゃんの最後の言葉によって私は私自身を恐れたからだ。このまま私はもっとおかしくなって狂っていくの?想像するだけで手足が震えた。
もしも私がお婆ちゃんを刺した事を大人に話せばきっと曼珠沙華のせいだという事になり、この家に頻繁に出入りしていた私は、ほら見たことかと大人達の手によって酷い目に遭わさられるかも知れない。
私はそう思い口を固く閉ざす事を決めた。発見当時、私は男女複数の刑事に様々な事を尋ねられた。私は知らない男が2人入って来たと嘘をついた。運が良かったのか、警察が血塗れな私を憐れんだかはわからないが、何とかそれで誤魔化せたようだった。
保護され病院へと向かう救急車の中で、私はあの時の事を思い出そうとした。お婆ちゃんを刺し殺した後、私はしばらく家の中にいて、何かをしていたのだと思う。
それが証拠隠滅なのか、別人による犯行と見せかける為の工作だったのか、私自身、今もハッキリとはしていない。当時はわかっていなかったが、頻繁に出入りしていた私の指紋がどこで発見されようが、それで疑いの目が私に向くような事が無いのは、何となく気づいていた気もする。
そして幼少の私は室内を荒らしたその後に庭に出て曼珠沙華の花を引きちぎった。こいつのせいだ。私は曼珠沙華の花を憎み全ての花を千切ると、それをお婆ちゃんの前にばら撒いた。これで大丈夫だよね?ね?お婆ちゃん?私は狂ってなんかいないよね?私は死んだお婆ちゃんにそのように話しかけた。
その後で私はお婆ちゃんの膝の上に座り、お婆ちゃんを刺した包丁を使って自ら自分の腕や指に複数箇所に切り傷や刺し傷を作った。そうしてから私はお婆ちゃんが私を抱くように腕を取った。いつから泣き喚き出したのか私にはわからなかった。
ただ誰かが家の玄関を開けた音を聞いて、更に声を上げたのは間違いなかった。涙も無意識に流れ、私は私自身にさせた恐ろしい行為に怯えていた。だから吉田萌に発見された時の私は心の底から怯えていたに違いない。
第1発見者である吉田萌が私達を見つけた時、家中は激しく荒らされており、明らかに複数の人間の手によるものだと印象付けられる状況だった。およそ小さな子供では出来そうにない、机やTVがひっくり返されており、箪笥の引き出しも開けられ中身は床に放り出されてあった。家の中はそのような状況で、恐らく吉田萌も最初は強盗に入られたと思ったに違いない。
そのような中、吉田萌は庭が見える縁側のあるお婆ちゃんの部屋の中で私達2人を見つけた。私はお婆ちゃんに抱かれながら血塗れの包丁を握ったまま大声で泣き喚いていた。
部屋に入った吉田萌が最初に目にしたのは凄惨な殺され方をしたお婆ちゃんでもなく、泣き喚く私でもなかった。その2人を囲うようばら撒かれた無数の曼珠沙華の花びらだった。
その後で吉田萌は視界の隅に入った私達を見つけた。言葉を失い、血の気の引いた顔で吉田萌は犯人から私を守るように私を抱きしめていたお婆ちゃんの側へとゆっくりと足を踏み出した。
静まり返った一室の中で自分の吸う呼吸と生唾を飲み込む音が、更に吉田萌を不安に陥れた。生きていて欲しいという気持ちが私の泣き喚く声により無残にも吉田萌の希望を打ち砕いたようだった。
その後、しばらくして複数のサイレンが耳に届いた。色々な服を来た大人達が一斉に家の中へと入り込んで行く。慌ただしく動く人達の中にあって吉田萌は私達を指差しながら、その中の1人と話していた。その1人は何度か頷いた後、別な人間を呼び止め、外を指差しながらその人間へ何らかの指示を出した。吉田萌はその人間に寄り添われ家の外へと出ていった。
私はそんな吉田萌を眺めながら、泣き喚き続けた。私を抱くお婆ちゃんの痩せた腕には無数の切り傷と刺し傷があり、その血は既に黒みを帯びて濁りを増した状態のまま固まっていた。警察の1人がお婆ちゃんの腕から私を抱き上げると、よしよしと言いながら私の背中をポンポンと叩いた
「怖かったね。けどもう大丈夫。おじさん達が来たからもう安心だよ」
と私を慰め続けた。
私はその厚く大きな手の温もりによって、この大人達は微塵も私を疑ってはいないと感じ、私はゆっくりと泣き止んで行った。
その後、私は救急車に乗せられパパとママと一緒に病院へと向かった。その間も、警察は捜査を進めて行った。
お婆ちゃんの腕に出来た無数の傷は死ぬ間際まで私を守ろうとして出来た抵抗傷だと警察は断定したようだった。その後、病院で私のついた嘘の目撃情報によって、警察は存在しない2人の男の行方を追う事になったのだが、幼い私や両親に細かな捜査情報は入って来なかった。
私はしばらくの間、入院した後、カウンセリングを受け始めた。女医の先生はママと同じくらいの年齢で30歳前後と思われた。日に一度のカウンセリングで私は同じ事を尋ねられ同じ答えを返した。
繰り返し行われるカウンセリングに嫌気もさしたけど、私はその度にお婆ちゃんの姿を思い出した。そうすると何故か前日、どのように答えていたのか、忘れていても、先生を前にするとするすると同じ答えを言う事が出来た。
警察の人に対しても私の対応は同じだった。
寧ろ同じ事しか言わない私の精神的ダメージを心配する声もあがる程だった。老婆の家に男2人の強盗が押し入り、幼い子供に見せつけるよう目の前で老婆の身体を何箇所も刺し殺す場面を目撃させられたら、誰だって一生、その傷は癒える事はないだろうと。
悪夢を見てはうなされその度に当時の記憶が蘇り家から一歩も出られなくなるかも知れない。異性や大人の男性に対しても不安や恐れを感じるに違いない。
生きる喜びすら得られないまま、自ら人生の終止符を打つ程、追い詰められてしまうかも知れない。そのように女医の先生が警察に話しているのを私は耳にした。警察は私が握っていた血塗れの包丁の件についても私から話を聞きたがった。そう尋ねられた時、私はハッと思った。当たり前だが凶器に付いている指紋は私のものしかなかったわけだから。どう言えば警察の人は納得するだろう?と考えを巡らせていると警察は私が答えるより先に
「どうして包丁なんか持っていたのかな?男の人に握らされたの?」と私が答えるべき解答を先に話してくれた。けど私はこれまでの事もあり、頭を振って覚えていないと返答した。
その件についてしつこく尋ねられるようであれば、私は又、泣き喚けばいいと思っていた。だけど警察の人はそれ以上、聞いて来なかった。
発見当時の私の状態を思い出し、不憫に思ったのかも知れない。けれど捜査が進むにつれ、男2人の侵入者という私の言葉の信憑性に疑いがかけられ始めた。何故なら犯行は昼から夕方にかけてにも関わらず、誰一人として不審な男性2人組を目撃したという者がいなかった為だ。それはパパもママも同じだった。
昼間の強盗にも関わらず、家の中は荒らされ放題だったというのも腑に落ちなかった要因らしかった。何故ならぶちまけられた物の荒れ具合からして、それなりの物音がする筈。プロの強盗であれば昼間に侵入するとしても、このように荒らしはしないとの事だった。私にその話をしたのは吉田萌だった。病室で彼女は私に向かってハッキリこう言ったのだ。
「マリヤ、ちゃんだっけ?お姉さんの事憶えているかな?」
私は少しだけ首を振った。
「憶えてないかぁ。まぁ、あんな状況じゃそれも無理はないか」
吉田萌はいい私が寝ているベッドに腰掛けた。
「実はね。今日私がお見舞いに来たのは他でもなくてね。お姉さん、実はマリヤちゃんが私のお婆ちゃんを殺したんじゃないかって思ってるのよ。どうしてそう思ってるのかは後で話すけど、取り敢えず私はここに来る前にマリヤちゃんが犯人だと思うって警察に話して来たの」
吉田萌は言い終わると私の反応を確かめるかのように私の目を見つめた。私はその目を正面から見返した。
「だって可笑しいじゃない?目撃者もいない、マリヤちゃんのパパやママは家に居たにも関わらず荒らされた時の物音やマリヤちゃんが泣いていた声も聞いてないのよ?それにお婆ちゃんだって黙って犯人に殺されると思う?思わないよね?殺されるとしても反撃くらいするわ。まぁ仮にマリヤちゃんを守る為にお婆ちゃんが犯人に対して反撃出来なかったとしても、大声を出して助けを求めるくらいは出来る筈だし、それに庭からだって逃げ出せたかも知れない。勿論、マリヤちゃんの言うように男が2人いたとしたら、見張り役のせいでお婆ちゃんは身動きが取れなかったのかも知れない。でもそうなら犯人は先ず叫ばれないようにお婆ちゃんの口を塞ぐよね?だって叫び声が聞かれたらマズいもん。そして逃げられないようにマリヤちゃんやお婆ちゃんの手足を拘束するよね?私が犯人なら殺す前に絶対にそうするかな。だってそうしないと犯行が発覚しやすいからね。それが終わってしばらく時間の猶予が出来てからようやく目的を果たすと思うのよ。だって考えてもみて。普通、犯行が発覚する恐れがあるものから排除すると思わない?なのに2人は口を塞がれても拘束されてもいなかった。何でだろう?」
先程より強い眼光で吉田萌が私を見つめた。いや睨みを効かせたと言った方が正しい。私はその目に恐れを感じたが、必死にそれを見せないよう踏ん張った。吉田萌相手に上手く出来たかはわからなかった。
「それにさぁ。私がお婆ちゃんの家を訪ねて来た時、マリヤちゃん、すっごく大きな声で泣いていたよね?マリヤちゃんは知らないかもだけど私が2人を見つけた直ぐ後に、近所の人が家に来たんだよ?泣き声が聞こえたからどうしたのかなって言ってたわ。つまりマリヤちゃんが本気で怖がって泣いていたなら、私が来る前から、近所の人には聞こえた可能性があったんじゃないかな。勿論、その人達が留守にしていた可能性もあるけど、でもマリヤちゃんのパパやママはずっと家にいた、家にいたんだよ。ならどうしてマリヤちゃんの、自分達の可愛い一人娘の泣き叫ぶ声が聞こえなかったのかな?お姉さんはさ、その理由を知ってるんだ。それはさ、マリヤちゃん、本当は私が現れるまで泣いてなかったんじゃないの?」
この最後の言葉に吉田萌は自信を持っていたようだった。けれど私は既に吉田萌の言葉に慣れていたのか、もしくはいつ突っ込まれても平気なように集中していたのか、私は吉田萌に対して無反応を装う事が出来た。
「ねぇ。そうでしょ?そうなんじゃないの?7」
私は黙ったまま首を降った。
「違うの?ならマリヤちゃんはずっと泣いていたって言うんだね?」
私は頷いた。
「ふぅ〜ん。ま、いいや。でね。話は戻るけど、私はその訪ねて来た人に助けを求めたの。直ぐに警察に電話してもらうよう頼んだんだ。あ、それとさ」
吉田萌はそこで一旦、言葉を切った。
呼吸を整え、寝ている私の顔に自分の顔を近づけこう言った。
「お婆ちゃんの家から、金目の物は一切、盗まれていなかったの。銀行のカードもお財布の中の現金も箪笥の中に隠してあったへそくり貯金も何もかも盗まれていなかったの。警察もそれについては調べがついていたわけだけど、更に調べる必要があるだろうって言ってくれたわ。どうしてだかわかる?」
私はただ黙って吉田萌を見上げていた。どう返事をすれば良いかわからなかった。だからただ無言を通すしか方法がなかった。最悪、看護師さんを呼ぶ事も考えていた。
「それはね。私もお婆ちゃんが持っている物を全てわかっている訳ではなかったからよ。私はお婆ちゃんと一緒に暮らしているわけじゃないから、私の知らない何かを盗まれた可能性もあるかもしれないってね。だから改めて調べる必要があるんだろうね。そこまでして何も盗まれていないとわかったら警察はどうするつもりなのかなぁ。強盗目的で侵入し、お婆ちゃんに見つかったから殺した、っていう現時点での捜査からは外れちゃうよね。そうなれば最初からお婆ちゃんを殺す為に侵入したとしか思えないってなるよ。けどお婆ちゃんは誰かに恨みを買うような人じゃなかったし……マリヤちゃんはどう思う?」
吉田萌の頬が僅かに吊り上がる。私を見つめる瞳は全てお見通しだと語っていた。
「後、おまけなんだけどさ。男2人が家中荒探ししたのにも関わらず、足跡も残っていなかったらしいよ。これがどういう事を意味しているかマリヤちゃんにわかるかなぁ。それともマリヤちゃんはまだまだ幼いからお姉さんの言ってる意味はまだ理解出来ないかな?」
吉田萌はいい近づけた顔をゆっくりと離していった。
「まぁ、取り敢えず今日は捜査状況をマリヤちゃんに伝えたくて来ただけなの。だってマリヤちゃんとお婆ちゃんはとっても仲良しだったって聞いていたしね。そんな大好きだったお婆ちゃんが殺されたのはマリヤちゃんもショックだろうし。お婆ちゃんをあんな酷い目に遭わせた犯人をマリヤちゃんも早く捕まえて欲しいと願っているだろうから、だから私は今日それをマリヤちゃんに伝えたくて、わざわざ朝早くの新幹線に乗ってこうしてお見舞いに来たのよ」
吉田萌はいい私の髪の毛に触れた。瞬間、身体が硬直し全身が粟立った。吉田萌は綺麗なら髪だねと囁きながら私の髪の毛を指で梳くようにといた。そして私に向かって手を振るとゆっくりとした足取りで病室から出て行った。
吉田萌が姿を消すと同時に私の全身から滝のような汗が噴き出した。着ている下着からパジャマまであっという間にびしょ濡れになった。
喉が渇き寒さで震え始めた。視界が霞んで頭がふらふらとした。私は必死になってベッドから腕を伸ばしナースコールのボタンを押した。
その日の夜、私は高熱を出して寝込んだ。3日目には高かった熱もすっかり下がり、体調も回復して行った。
だがそんな時に、また吉田萌が面会に来たらしかった。それを看護師さんから聞いた私は恐怖で震えた。だから私はまだ気分が悪いから断ってと看護師さんにお願いした。看護師さんは上手く断ってくれたのか吉田萌が病室に姿を見せる事はなかった。
その事があってから私は数年、いや10年以上、私は殺害現場を目撃した為に、精神的に不安定な女の子を装い続けた。そのようにしていれば吉田萌も、簡単に私に会う事が出来ないと当時の私はそう考えたからだ。ママやパパの死後もそれまで以上に悲しみの果ての姿を、空虚感をみせて行く必要があった。何故なら私はいつの日か吉田萌の手によってお婆ちゃんを殺害した犯人として白日の元に晒されるのを恐れていたからだ。
だが今はそのように吉田萌を恐れる必要はない。私はある特定の人間からしたら既に死亡している存在だからだ。私はゴーストだった。だからこそ、私は頻繁にこの家から出る事は許されていない。どこで関係者の目に留まるかわからない為だ。その事が私のストレスになっているのは圭介も気づいている筈だ。だからわざと第2の殺人をさせて欲しいとねだってみたが、あっさりと却下されてしまった。あの出来事の夢を見始めてから私の中では日毎に膨れ上がる欲求があった。その強い欲求にここ最近の私は呑まれそうになる。だけど圭介はそんな私の変化に気づいていないようだった。
私は湯船から上がり浴室を出た。バスタオルで身体を拭き、下着を身につける。そう言えば最近、圭介は私の身体に、つまり裸に触れていなかった。
圭介の性欲が失われたとは思わないけど、それならどうして私を求めないのだろうか?何か悩み事でもあるのだろうか?わからないけど、知らないけど、そういう時でも、圭介には私の身体を欲してほしかった。今夜あたり、圭介を誘惑してみよう。マリアは少しだけ元気を取り戻した子供のように、悪戯な笑みを浮かべながら、風呂場を後にした。




