①②⑥
5歳に満たない少女が庭先に立っている。
少女はおかっぱ頭で白いワンピースを着ていた。
少女は庭先に立ち、向かいにある家を見つめている。
少女の側には真っ赤な華を携えた曼珠沙華の華が沢山咲き誇っていた。
その家には縁側がありそこのガラス戸は閉まったままだ。ガラス戸に反射する強い陽の光が幾つも枝分かれして放物線を描いている。少女の顔に反射した光があたっているが眩しくないのか気にする素振りも見せない。
そんな少女が視線を真下に下げた。
裸足の自分の足の小指に大きく黒い蟻が這い上がっていた。その蟻は少女の小指から移動し親指の爪の上で止まった。直ぐに体勢を変え足の甲へと向かう。
それが合図だったのか、続々と蟻の大群が少女の足の上へと上がって行く。少女は淡々とその光景を眺めていた。
先頭の蟻は脛を登り、あっという間にスカートの中へと消えて行った。後続の蟻達も同じように続いた。
少女は嫌がる素振りも見せず、蟻達を眺めた後、ガラス戸の方へと近づいて行った。
戸に手をかけるが、開かなかったのだろう。少女はガラス戸を叩き始めた。しばらくすると中の障子が開き年老いた老婆が姿を現した。
老婆は少女に微笑みかけるとガラス戸の鍵を外した。手招きする老婆に少女は頷きそちらへと向かう。
縁側に腰を下ろした老婆がガラス戸を開く。少女は開いた場所から家の中へ入っていた。足も拭かず縁側に登る。まるで巣に餌を運んでいたかのような蟻の大群は少女のスカートの中で完全に消えてしまった。老婆は少女の手を取り自分の足の上に座らせた。
その時、少女のスカートから蟻が這い出て老婆の身体に向かって行った。その数は少女の足を這っていた数の非ではなかった。悍ましい数の蟻が老婆の全身に広がり、その強い顎で老婆の衣服を切り裂き、やがては骨と皮だけの痩せた老婆の皮膚に噛み付いた。老婆の頬や唇、耳などから血が流れ出ていった。
続々と老婆の顔を覆い尽くした蟻を見て少女が笑う。密集した蟻の隙間から噴水のように血が噴き出した。
細かく噛み切られた肉片が少女の側へ次々と下へと落とされて行く。待ち構えていた蟻達が一斉にそれらを咥え外へと向かって運び始めた。老婆の顔から蟻がいなくなると、そこには白骨化した顔が残されているだけだった。
顔が終わると蟻の大群は首、そして肩、両腕へとまだ白骨化されていない老婆の肉体を噛み切り縁側に向けて吐き捨てる。少女は老婆の膝から降りると裸足のまま縁側を降りた。そして肉片を運ぶ蟻達の先頭に立ち1度、後ろを振り返った。白骨化されゆく老婆に手を振って微笑むと、そのまま庭から出て行った……
この夢を見るのはこれで何度目の事だろう。
数えていたわけじゃないからわからないけど、幼少期から見始めた事を踏まえると余裕で100回は超えている筈だ。ここへ来てほぼ毎日のように見ているけれど、いつも同じ場面から始まり同じ場面で終わる。
そこで目が醒めるならまだ良いのだけど、最悪な事に私はこの夢の後に、更に別な夢を見続けてしまうようだ。
ようだというのは、私自身が夢を見た記憶が、つまり老婆が蟻に食われる夢以外に見ているであろう夢について何一つ覚えていないからだ。
うなされていたと圭介が教えてくれた。
どうやらそれは頻繁に、ほぼ毎日うなされているようだった。だけど当の本人である私は夢と同じくうなされた記憶もなかった。だからだろうか。目が覚めても私は身体に疲労を感じる事もなかった。
私は圭介に何も覚えていないと嘘をついた。何故なら老婆の夢の話は圭介に知られたくないからだ。理由はただ1つ。そこに吉田萌が絡んで来たからだった。
今、彼女がどこでどうしているかは知らない。だけど吉田萌は私を殺害しようとした。生憎というべきか、運良くというべきかわからないけれど、私は死体処理人の圭介に引き渡された。そして圭介の看病のおかげで私は息を吹き返す事が出来た。それについては圭介に感謝している。だけどそれ以上、感謝しなければならないのは人殺しのコツを教えてくれた事だった。敢えてそのような事は口には出さない。出せばただのシリアルキラーだと思われるのが嫌だからだ。私個人としては、このまま圭介と一緒に暮らしながら、殺害と処理を手伝い、自らも手を汚していきたいと考えている。
なら何故、夢の話を隠しているかというと、吉田萌が圭介に余計な事を吹き込んでいる可能性があるからだ。あの女は私のママと産まれる筈だった弟を病院内で殺した。ママは出産予定日の10日前、いきなり嘔吐して緊急で病院に搬送された。その時、救急対応した看護士の1人が吉田萌だった。私はその顔を忘れてはいなかった。何故なら、吉田萌のお婆さんが殺害された時、唯一、私を疑った人間だからだ。それは正しかった。当たりだった。だけど証拠がなく私が罪を問われる事はなかった。その恨みが、今、ママに対して晴らされるかも知れないと私は不安で堪らなかった。ママの入院が決まった時、担当する看護師の先輩に吉田萌を見た時、私の背中に冷や汗が流れた。吉田萌は私の事を知ってか知らずか、恐らくは気づいていた筈だけど、彼女は私の前に来ると腰を落とした。私の顔を見てニコッと笑うと、吉田萌は「ママ、心配だね」と言った。私は内心怯えながら頷いて見せた。
「でも大丈夫。安心していいのよ。だってここには立派な先生が沢山いるし、それに私やこの早乙女さんも側についてるんだから。それにお腹の赤ちゃんの事も心配だね。だけどこれからお姉さんなる貴女がそんな不安そうな顔をしていたら、弟君が怖がってママのお腹から出たくないって言うかもだよ?だからお姉さんは笑顔でいなきゃ駄目だよ?いい?」
私は努めて笑顔を作って見せた。吉田萌はそんな私の笑顔を見て納得したのか私の頭を撫でて、パパに軽く会釈をし、早乙女さんという見るからに新人の看護士を紹介し始めた。
私が不安な顔をしていたのはママが心配だったからではなかった。吉田萌がいたからだった。
だけど、当の本人は気づいてない素振りをみせていたが、私はそんな吉田萌の態度に絶対に騙されないと思った。だからいっときもママの側から離れないと心に誓った。が、幼い少女にそのような事が許されるわけもなく、私は父のお父さん、祖父に連れられて帰らざる負えなかった。
ママの入院は3日という短期間だった。その話を祖母から聞いた私は少しだけホッとした。期間が短ければ短いほど、吉田萌の復讐する期間が、そのチャンスが少ないと思ったからだ。
だが私の考えは甘すぎた。ママは2日目の早朝、既に息を引き取っていた所を早乙女さんに発見された。死因はショック性の心不全と診断された。ママの死は明らかに不自然だと思ったけど、私にはそれを訴える言葉も証拠もなかった。
あったのは枕の下の枯れた赤い花弁だけだった。それを見つけた私はその花が何の花か直ぐにわかった。曼珠沙華の花びらだった。それが意味するものは私の中で1つしかなかった。だからこそ私は吉田萌がママを殺したと確信した。でもたかが花びら1枚で吉田萌を犯人と特定する事は出来ない。私はその枯れた曼珠沙華の花びらを手の中で握りつぶした。そんな私の心中も知らず病院側は当然のように、速やかに死亡診断書を作成した。
2つの命を同時に失ったパパは泣き腫らした目を擦りながら私を置いて病院を出て行った。私はそんなパパの背中を顔に白い布をかけられたママの側から見送った。その後で私は祖母に連れられパパの後を追った。今であれば警察に訴えママを検死解剖してもらい真実を明らかにしてもらうのだけど、当時の私では到底、それをお願いする事など出来る訳がなかった。まさに幼過ぎる故の無謀な要望だった。
今でも思い出す。ママの遺体が病室から運び出される時に見せた私を睨む吉田萌も鋭い眼光を。そして口角を吊り上げほくそ笑む吉田萌の表情を。彼女は私に対し復讐を成し遂げた喜びで満ち溢れていた。
自業自得、因果応報、どちらかは知らないが私は吉田萌の手によって2人の大事な家族を失うという憂き目に遭った。だがそれだけでは終わらなかった。
今度はパパが吉田萌の手に落ち、殺害されたのだ。ママとお腹の子供の両方を失くしたパパのショックは娘とはいえ計り知れないものに違いなかった。
そこに吉田萌は漬け込んだのだ。パパを拐かし、ラブホテルで首を吊らし自殺に追い込んだのは絶対に吉田萌に違いなかった。肉親の突然の死により、生き残った者達が自殺を選んでしまうというのは、よくある話だ。
だからパパの死に吉田萌が関係しているとは言い切れはしなかった。何故なら証拠がないからだ。でも私は証拠が無いからこそ余計に吉田萌を疑った。
それは私が吉田萌の祖母を殺害した時と同じく、パパの死に他者が関わっているという証拠が何一つなかったからだ。
仕返し。復讐もここまで似たような結果に出来た事に私は拍手を送るべきなのかも知れない。
だから私は吉田萌に更なる復讐を、とは考えられなかった。どうしてかと言えば当時の彼女には自ら命を絶つほど愛している家族や兄弟姉妹がいなかったからだった。だから私は吉田萌を憎む事を止めた。いや拒もうと努力した。
私は棺桶に入ったパパに沢山、沢山、謝った。そして私はここにいるよ、生きてるよと伝えた。だけどその言葉がパパに届く事はなく、私を安心させてくれる返事もないままに、ママと弟、そしてパパの3人は相次いで業火に焼かれ灰となり完全に私達の元から消えて無くなった。
その後私は祖父母に引き取られ、吉田萌に殺害を決行されるまで、2人の愛情を受けながら、優しく育てられた。
だが、その祖父母からの連絡はない。圭介の目を盗み、公衆電話で一回、スマホのワンギリで3回連絡したが未だコールバックは無かった。正直、私が吉田萌に注射をされた時点で既に2人は処分されてしまっていたのかも知れない。
私は肩までお湯に浸かりながら再び歌を口ずさんだ。努めて明るい歌を歌うのは圭介に心配させたく無いからだ。だけど、それもいつまで続けられるか自分でもわからなかった。私の中で蠢く殺人欲求が徐々に膨れ上がって来ているせいかもしれない。目を閉じると夢と似通った映像が、瞼の裏のスクリーンに映し出される。
あの日はとても暑かった。庭に咲き誇った赤く毒々しい曼珠沙華の花が穏やかな午後の風に揺れていた。それを見ながら私は吉田萌のお婆ちゃんが買って来てくれたケーキに包丁を入れる所だった。
お婆ちゃんは包丁を握る私の両手に骨と皮だけのザラザラしたその手を重ね、ケーキに向かって包丁を下ろして行った。
だけど、いつしか包丁はお婆ちゃんを幾度となく刺し貫いていった。口から血を吐きながら吉田萌のお婆ちゃんは私にこう呟いた。
「曼珠沙華の花ってもんは側に置いたらいかんか。ワシやマリヤちゃんみたくそれを見た全ての女を、命の底から狂わせてしまうんやから……」




