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 ⑧⑥

夏休みの自由研究に何を選ぶか永剛が悩む事はなかった。母にお願いし沢山のまち針を貰い受けるとその針で次から次へとゴキブリを刺して行き段ボールでこしらえた標本に飾っていった。


本来であれば標本にされた昆虫の下に名前が記入されるものだが、永剛はそこには名前でなく何処で捕らえたか書き込んだ。


「台所床」 「トイレ」「冷蔵庫の隅」「布団の上」などと言った具合にだ。


そして標本の段ボールの上には画用紙を貼り


「僕の家族」


と太字の黒マジックで書き入れた。


標本が出来上がると後はドリルと読書感想文、そして絵日記だけだった。


頭が良かった永剛はドリルは夏休みが始まって4日で終わらせていた。絵日記は毎日同じ事を書いた。


両親が共働き故に、何処にも出かけない永剛にとって絵日記は楽な作業だった。


「○月○日。今日は朝起きて押し入れから出るとお父さんが裸で立っていました。お父さんはワイシャツを着ながら僕に手招きをしました。近寄るとお父さんは僕の履いていたブリーフを脱がしました。お母さんはそれを見てニヤけていました。お父さんは僕のチンチンにデコピンしたり触ったりながらお母さんにお尻を叩いてくれと頼みました。ゴキブリが僕のお尻の割れ目を這うものだから、くすぐったかったです」


「○月○日。今日はお父さんは残業で帰りが遅くなるので夕飯はお母さんと2人で食べました。食べ終わるとお母さんは僕を膝の上に乗せました。両足をひらかせブリーフの上からチンチンを軽く叩き始めました。僕はお父さんに触られるよりお母さんに触られる方が好きです。

お母さんが触ると絶対にゴキブリの卵のヌメヌメした液体がチンチンの先から出るからです。出た液体は全てお母さんが処理してくれます。これで今日も沢山のゴキブリの卵を産む事が出来ました」


「○月○日。今日は朝からお父さんとお母さんが喧嘩をしていました。昨夜、お母さんは裸のお父さんの背中をお玉で叩いていました。それが痛かったのか、お父さんはその事で文句を言っていました。どうやらまだ怒っているようでした」


「○月○日。お母さんがハエ取り紙を買って来ました。それを使い、床を這うゴキブリ達を捕まえました。そしてお父さんが帰って来ると直ぐに裸にしました。手を繋ぎ流し台の所へ行くとお父さんを後ろ向きにして両足を広げさせました。その後で上半身を折り曲げさせました。お母さんは冷蔵庫の側に置いてある野菜入れ籠の中からキュウリを掴むと、そこにまだ生きているゴキブリの着いたハエ取り紙を巻きつけました。そして足を広げたお父さんのお尻の下に顔を突っ込むと、片指を使いお父さんの肛門に触れました。そしてその肛門にハエ取り紙を巻きつけたキュウリを押し込みました。お父さんは小刻みに息を吐き、直ぐに鼻息荒く、流し台の中で髪を振り乱しながら、お母さんの名を呼びながら流し台の所で髪の毛を掻きむしっていました。そのせいで今日の夕飯は随分と遅い時間に食べる事になりました」


このように永剛は日記を書き、そしてその姿を絵に描いた。文字を書く場所が足りなくて、2日分や3日分まで場所を取っても永剛は気にも止めなかった。


7月の夏休みの間、永剛は殆どの時間を家の中で過ごした。それが8月に入ると少しだけ様変わりするようになった。


それは朝6時半から行われるラジオ体操に行くようになったからだった。その事を永剛はすっかり忘れていたが、思い出させてくれたのは父だった。


朝起きで目覚めた僕がトイレに行くと後から着いて来て一緒にトイレに入った。1つの便器に向かって2人でおしっこをした後、永剛はお父さんの、お父さんは僕のチンチンを摘み、お母さんに習ったように摘んだ指を上下に動かした。


僕のと違い、お父さんのちんちんから出るゴキブリの卵の液体は勢いよく出ると便器の外の壁まで飛んでいった。壁を伝い垂れる液体にゴキブリが集まって来る。

きっとお父さんの液体からは大きなゴキブリが産まれるに違いない。永剛は驚きと共にそのように考えていた。


「永剛はラジオ体操には行かないのか?」


「あ、忘れてた」


「友達も来てるんじゃないか?」


「うん。きっとそうだね。だから今日から行ってみるよ」


トイレから出ると永剛は参加者だけに熊の判子が貰える葉書を引き出しから取り出し半ズボンを履いて葉書を首にかけ家を出た。


ラジオ体操をやっている場所は永剛の家から5分程離れた公園で行われていた。


永剛が着いた時、既に大勢の子供や大人達が集まり、始まりを待っていた。

永剛は友達の姿が見えなかった為、その輪から少し離れた場所で立っていた。


6時半になるとラジカセから音楽が流れ出し皆が他の人にぶつからない距離を取り始めた。


「ラジオ体操第一、よぉ〜い」


その声を聞いた瞬間、永剛の胸が高鳴った。

辿々しく体操をする永剛は無意識にラジオ体操の歌を口ずさんでいた。その度に何故か股間が熱くなり、お母さんの白い手を思い出した。その手に潰されるゴキブリ達はとても儚く、身体を痙攣させる姿はとても美しいと思った。


気づいたらラジオ体操が終わり、永剛は判子を押してもらう列の最後尾に立っていた。


「君は今日が初めてだね?」


いきなり話しかけられた事に驚くと同時に永剛は恥ずかしくなり声を出さずに頷いた。


「明日もちゃんと来たら、昨日の分まで全部、判子を押してあげるよ。約束出来るかな?」


椅子に座り髪を七三分けにした白いTシャツに水色のジャージを履いた若い男性は白い歯を見せて微笑んだ。


永剛は又も頷いた。


「本当に大丈夫かな?」


「うん。来る。ラジオ体操の歌、大好きだから」


永剛がそういうと日に焼けた茶褐色の手で男性は永剛の頭を撫でた。男性が手を引っ込める際に見えた手の平はやけに皺が多くゴツゴツしていて指も短かった。


その手を目にした時、永剛は、この男性は汚らしい人間だと思った。そしてこの男性は20年後、永剛が初めて手にかけ、殺した人物となるが、この時の2人は未来にそのような事が起こるなど、想像すら出来なかった。


夏休みが終わり、2学期の初日、学校に自由研究のゴキブリの標本を持って行くと担任の女の先生に怒られた。校長室にも呼び出され担任を含む3人の先生にこっぴどく叱られた。


「ご両親に連絡は取れないのかね?」


校長先生が担任に尋ねると、


(はなぶさ)君の両親は共働きでして、昼間は連絡がつきません」


「とにかくなるべく早く連絡をつけて、子供にこのような事をさせ、尚且つ学校に持って来させるなど以ての外だとキツく伝えておきなさい」


担任の女の先生は校長先生に頭を下げ永剛を連れて校長室から出ていった。


「昆虫採集して標本にするなら、ゴキブリなんかじゃなく、ちゃんとした昆虫にしなさい」


教室に向かう途中、先生は苛々した口調で永剛を叱りつけた。


「僕は間違ってない」


「間違っています」


「ゴキブリは昆虫だもん。僕、ちゃんと調べたんだ。だから間違ってない」


「ゴキブリが昆虫なわけないでしょ!」


先生はいい、教室に戻ると永剛が作った昆虫標本を持って再び、教室から出て行った。


「英君も来るのよ!」


席に着こうとする永剛を先生は呼び止め、永剛は渋々、教室から出て行った。


永剛は先生に校舎の裏にある焼却炉まで連れて行かれると先生に焼却口を開けるように言われた。


鉄の丸い把手が付いた細長く平べったい留め具を持ち上げた。そして永剛は焼却口の蓋を開けると、先生はゴキブリの標本をその中に投げ入れた。ライターを取り出し、持っていた新聞紙に火をつけ、炎が舞い上がると焼却炉の中に放り込んだ。


標本に火がつきみるみる内に永剛が作ったゴキブリの標本が燃え出していった。


「今度、またこのような事をすれば、先生は絶対に許しません。例え、それが英君の大事にしている物であろうと、ここへ来て、こんな風に燃やしてしまいますからね!わかった?」


永剛にとってはゴキブリの標本も大切な物だった。だが先生はそれを理解してくれなかった。いや違う。理解が出来ないのだ。だってゴキブリが昆虫だという事すら、先生は知らなかったのだ。知らないのによく威張っていられるな。永剛はそのように思った。と同時に、この時の永剛の中の何かがパリンと弾けた。


焼却炉の炎とは真逆に、それは冷たく青白く燃えて、永剛の中で勢いよく肥大していった。


ゴキブリを学校に持っていた事で、クラスの全員からゴキブリ永剛と呼ばれるようになった。


普通であれば悪口であり、そのようなあだ名は、イジメとみなされるが、永剛は全く気にしなかった。寧ろ、クラス以外の人に自慢したい気持ちもあった。


その影響もあり、いつしか永剛は1人で給食を食べるようになっていった。1人になって変わった事は、誰の目も気にせずパンやその他のおかずを叩き潰してから食べられるようになった事だった。


あまり大きな音を立てると先生や他の生徒が馬鹿みたいに騒ぐので、出来る限り静かに潰すように気をつけた。大勢いる中で1人というのはとても永剛を喜ばせた。


毎日毎日、給食が楽しみで仕方なかった。ただ残念なのはパンからゴキブリは産まれない事だった。


それにはまず周りに生きているゴキブリが必要だった。ちんちんから出るヌメヌメした液体を出しそれと一緒に叩き潰さなければ、新しいゴキブリは産まれて来ない。


それが教室では出来ない事に歯痒さを感じていた。それでも叩き潰すという行為はいつも永剛を喜ばせた。叩き潰された物は決して永剛を裏切る事はなかった。


運動会が近づくとクラス中がより賑やかになっていった。永剛は運動神経もよく、クラスの誰もが認める程の足の速さを持っていた。


なので、渋々ではあったが全員一致でクラスのリレーのアンカーに選ばれた。


「でも流石のゴキブリ永剛も、4組の丸永には勝てねーだろ」


「あ、夏休み前に転校してきた丸永?」


「そうだよ。あいつ無茶苦茶、足速いんだぜ?」


男子が言うと、女子も納得したのか、その男子の言葉に賛同した。


「あ、でも永剛はゴキブリだから、ゴキブリみたいに走れば丸永よりも速いんじゃね?」


「そうだよな。ゴキブリって逃げ足めちゃくちゃ速いもんな」


「何なら飛べるし」


「そうだ永剛、お前、リレーの時、ゴキブリのように走ってみろよ。そうしたら、俺達のクラス優勝するぞ」


その男子の言葉に掃除当番で教室に残っていた

男女生徒の全員が笑い声を上げた。


そうか。確かにゴキブリは走るのは速い。なら、真似て走ってみるのも面白いかも知れないと永剛は思った。


運動会当日、リレーのアンカーの番が回って来た。1位を走っているのは4組だった。アンカーの丸永はタスキの位置を直し、左手を背後に伸ばしている。


2番手は1組で永剛のクラスは6組中、3番目を走っていた。1位と2位の差は僅かに身体ひとつ分、遅れる事、身体4つ分離された永剛のクラスが必死にバトンを持つ手を回しながら前の2人の背を追いかけていく。


永剛はスタートラインを越えないよう、前傾姿勢を取った。上半身を前屈みに近づく足音に耳を澄ました。


必死の形相のクラスメイトの顔をみると、永剛は吹き出してしまった。どんなに必死になったって足が早くなるわけじゃないのに。


1位と2位の組がアンカーにバトンを手渡した。走り出す姿を永剛は見なかった。どれだけ離れていたって直ぐに追いつける。そして第3コーナーの手前で2人を抜き去っていく。そんな映像が頭の中を駆け巡る。


伸ばした手にバトンの感触を感じたその時、永剛は地面にうつ伏せ、手足を広げた。手の平を地面に付け両手足を使い、ゴキブリのように這い出した。


まさかの光景に校庭に集まった全ての関係者達が呆気に取られていた。数秒間、身動きが取れなかった。


掃除の時、クラスメイトが冗談で言った事が今、目の前で起こっている。現実としてその生徒達の目に焼き付いていた。


運動会に参加している生徒や教師、観客である保護者達全員が口をあんぐりと開けたまま、永剛の奇妙な走り方に生唾を飲み込んだ。


永剛は必死に手足を動かすがあっけなく4番手、5番手のアンカーに抜かれていった。それでも永剛を諦めなかった。その態勢で第2コーナーに差し掛かる所まで走った。

その時、誰かの声が校庭に響き渡った。


「何やってんだ!」


恐らく永剛と同じ組みの保護者だろう。その声は永剛の耳にも届いていた。何をやってる?馬鹿だなぁ。僕は速く走る為にやってるんだよ……


保護者の声で現実に引き戻された会場の人々からは1位と2位を争う生徒への歓声を上げ、それに混じり永剛へ向けられた罵声や溜め息が漏れ出した。


中には永剛の姿を嘲笑した笑い声も入っている。その声を全て受け止めながら永剛は必死に走った。


いや、全力で這っていた。それを止めようとトラック内に駆け寄った教師2人に永剛は掴まれ担ぎ上げられトラックの外へとつまみ出されてしまった。


そのまま永剛は校庭内から引きずり出されて行った。当然、永剛のクラスは最下位の5位という結果になってしまった。


「ゴキブリのようにはいかないなぁ」


視聴覚室に連れて行かれた永剛の下へ担任の先生が駆け込んで来た。いきなり永剛の体操着の首を掴み金切り声で怒鳴りつけた。更には意味がわからない言葉を捲し立てた。


だが永剛の心にその言葉が突き刺さる事はなかった。頭の中はゴキブリの足の事で一杯だったのだ。


「僕にもう2本手足があれば、1位を取れたのに」

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