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 ⑧⑦

「ご両親を呼んで来なさい」


視聴覚室から校長室へ向かう途中、校長先生が担任の先生へ向けてそう言った。


「先生も一緒に行くから。英君、お父さんとお母さんはどの辺りにいるの?」


「いないよ」


「いない?来てないって事?」


「うん」


「なら英君、お昼はどうしたの?」


「おにぎりを持たされていたからそれを教室で食べた」


担任の先生は永剛の話を聞いて溜め息をついた。


「子が子なら親も親ね」


永剛に聞こえないよう小声で言ったつもりなのだろうが永剛の耳にはしっかり届いていた。


どう言う意味だろう?と永剛は再び校長室へと向いながらそう思った。


親も親。子が子。あ、違う。子が子なら親も親だ。つまり子と親は似ているって事なのかな。同じことをするって事なのかな。でも、と永剛は思った。


僕はお父さんやお母さんが、裸で流し台の所でしている事をまだした事はない。一度お母さんに呼ばれて手伝った事はあったけど、でもそれだけだ。それに僕のチンチンから出るヌメヌメした液体にはゴキブリの卵が入っている。だからそこから産まれるのはゴキブリだから、つまりそれって僕がゴキブリの親って事だから、それじゃ僕とゴキブリは似ているって事なのかな?似てないよ。僕は足は2本しかない。手と合わせても4本だ。


でもゴキブリは6本あって平べったい。それに羽もあってたまに飛んだりもする。けど僕は飛べない。だから先生の言った子が子なら親も親だと言うのは間違っている。


「先生、違うよ。先生は間違えてるよ?」


「え?何が?先生の何が間違っていると言うの?」


担任の先生がそう言うと足を止めた。既に校長室の前まで来ていたようだ。先生が扉をノックする。返事が返って来て先生は失礼しますといい扉を開けた。


担任が幾ら電話をしても英永剛の両親とは連絡がつかなかった。だから担任の先生は永剛に手紙を持たせが、お母さんはそれを読みもせず破り捨てた。


その事を先生に話したら、さすがに痺れを切らしたのか、週末の休みの昼間に先生がいきなり家へ訪れた。家庭訪問ってやつだ。


その日は珍しく、昼間からお父さんとお母さんは裸で抱き合っていた。相変わらず流し台の所で変な声を上げたり、お父さんの身体を叩くお母さんの笑い声が押し入れの中まで聞こえてくる程だった。


この行為を何度か永剛に目撃されていたので、2人は既に永剛の目を気にする必要はないと考えるようになったのかも知れない。


「開いてるよ」


母の声で玄関が開く音がした。


「失礼します」


先生のその言葉の直ぐ後に、短い悲鳴が家の中に響いた。


「な、何を、なさってるんですか!」


「はぁ?あんただっていい大人だろ?これが何をしてるかくらい見ればわかんじゃないのかい?」


2人が流し台から移動する音がした。父は止めて!恥ずかしい!と声を荒げている。けど、何故か怒っている風には聞こえなかった。

母は玄関に通づる廊下に父を引きずり出した。


「あんたが永剛の担任かい?」


「そ、そうです、けど……」


先生は言いながら両親から目を逸らした。


「ならあんたも私らの家族みたいなもんだ。どう?手伝ってみないかい?」


そう言うと父のお尻の中に入っていたキュウリを抜き、先生に見せつけた。


「色々試したけどね。この人、キュウリとの相性が抜群なのさ」


永剛は押し入れの襖を開け、部屋を出た。

2人の後ろから顔を出すと先生が


「英くん!」


とほとんど叫び声のよう言った。


「こんにちは」


永剛は父と母が抱き合っている側を通り玄関へと向かう。それに合わせてゴキブリ達が扇形に逃げ出し、玄関の方へと這っていった。それを見た先生は悲鳴を上げ、玄関を開けたまま逃げ出して行った。


「失礼な先生だねぇ」


母はいい、永剛の手を掴み、父の硬く反り勃ったちんちんを握らせた。


英永剛が幼少期時代、児童福祉法というものは存在していたが、表立って利用するような人間はほとんどいなかったに違いない。寧ろ知らなかったのがほとんどではないだろうか。


家でも学校でも体罰は当たり前で、大人は当然の事だと認識していた時代だ。なので知り合いの子供が餓死で亡くなったり、体罰で死なない限りは、耳にする事もなかったのではないだろうか。特に地方都市や田舎の場合は尚更だった。


翌週の月曜日、担任の先生は体調不良でお休みを取った。それは1週間にも及んだ。


戻って来た先生は頬がゲッソリと痩せ細り、話す声も弱々しかった。落ち窪んだ目から光は失せ、目に見えない何かに怯えているかのように落ち着きがなく視点も定まっていなかった。


誰の目から見ても、先生はまだ病気だというのは明らかだった。そして先生は永剛と目が合うと頬を震わせ直ぐに逸らした。それからと言うもの、学年が変わる春まで先生は目を合わす所か、永剛と言葉を交わす事は1度としてなかった。


振替休日の翌日、朝、教室に行くと見た事のない生徒が永剛の席の机に座っていた。


永剛はその生徒を無視して自分の席に向かう。


「お前、英だろ?」


「それが?」


「何で運動会の時、あんな真似したんだよ」


「1位になる為だけど」


「お前、馬鹿じゃねーの?」


永剛の机の上に座っていた生徒は、自分の事を丸永誠司と名乗った。例の足の速い転校生か。


「お前が、この学年で1番足速いって聞いてたのによ。つまんねー野朗だな」


丸永誠治は言うと永剛の髪の毛を鷲掴んだ。


「勝負しろよ」


永剛は丸永の腕を払い退けると椅子から立ち上がった。はやし立てるような歓声がクラス内に沸き起こった。


それを見て丸永誠治は微笑んだ。机に両手をつき飛び降りた。着地と同時に丸永のその足を永剛が払うと丸永誠治は背中を机の角にぶつけて、そのまま床に尻餅をついた。永剛は転んだ丸永に向かって前蹴りを食らわした。足が肩に当たった衝撃で丸永は側頭部を床にぶつけた。


永剛は自分が座っていた椅子を掴み丸永の横に立った。腰を屈め痛がる丸永の顎を掴んだ。頬を押し潰すように口を広げるとその中へ椅子の1つの脚を押し込んだ。


椅子を立てその上に座った。丸永が悲鳴を上げた。さっきまでの歓声は嘘のように教室内は静まり、生唾を飲み込む音さえ聞こえそうだった。そんなやりずきの永剛を止める生徒は1人もいなかった。


「君は知らないかもだけど、僕は馬鹿じゃないよ。それにあの体勢を選んだのは1番になる為だよ。まぁ確かに実験的ではあったけどさ。でもそのように工夫を凝らした事も知らないで、馬鹿呼ばわりするのは、僕はどうかと思うんだ」


そう言うと丸永誠治は泣きながら手足をバタバタさせ、助けを求めた。くぐもった声でごめんなさいと言い続ける。


「わかった?」


永剛は丸永誠治の返事を待たずに椅子から腰を上げ、口から椅子の足を引き抜いてやった。すると丸永誠治は素早く起き上がり、泣きながら走って教室から出て行った。


その速さは確かに噂されている程のものだった。あいつとよーいどんで走ったら負けるかも知れない。逃げ帰る丸永の後ろ姿を眺めながら永剛はそう思った。この一件以降、丸永誠治が永剛の教室に姿を現す事は1度もなかった。


秋が来て冬が到来する頃、担任の先生が学校を辞めた。その頃の先生は運動会の前とは明らかに別人になっていた。ぽっちゃりとしていた体型は今では痩せ細り、ガイコツのようだった。気持ち悪いとは思わなかったけど、凄く汚い人に見えた。まるで乞食だと永剛は思った。


5年生の春が来てクラス替えが行われた。

4年生の時に同じクラスだった生徒は半分近くいたが、それでも永剛は独りぼっちだった。


半月、1か月と時が過ぎてもクラスメイトは勿論、先生も英永剛と言葉を交わす事はなかった。運動会の事と丸永誠治の件が、そうさせたようだった。お陰で勉強が捗り、永剛は見る見る内に学力がアップして行った。


と同時に5月のゴールデンウィーク中に父が失踪した。


いつ居なくなったのか永剛はわからなかった。その事を母に尋ねるた。


「永剛の担任だった女と一緒に夜逃げしたのさ」


あんなガイコツのような先生と一緒に?

永剛は母は嘘をついていると思った。


先生は4月に入る前に学校を辞めていた。それなのにゴールデンウィークまで父と夜逃げするまで待っていたというのだろうか。とても信じられる話だと思えなかった。何故なら2人で夜逃げする為に1か月近くその時を待っていたら、先生は死んでいたと思うからだ。だから母は嘘をついていると考えたのだった。


それにお父さんはお母さんの用意するキュウリが好きだった。その筈だった。なのに別な人と?永剛は頭を振ってそれを否定した。僕の知らぬ間に、2人の間で何かあったのだ。

一緒にいられない程の何かが起こったのだ。


そうでなければ、お父さんがいなくなる理由が見当たらない。ならどんな理由があったのか。それはきっとお母さんなら知っているだろうが、わからないの一点張りで答えてはくれなかった。


お父さんは僕の知らない間にこの家から居なくならなきゃいけない程、切羽詰まった状況の中にあったのかも知れない。


そしてお父さんの失踪から3週間が過ぎたある深夜の事だった。襖1枚隔てた向こうで物音が聞こえて来た。永剛はそっと襖を開いた。


そこには寝ている筈のお母さんの姿は無かった。布団は片付けられていた。カーテンの隙間から薄らと月明かりが入り、畳の上に線状の明かりを取り込んでいる。


しばらくするとお母さんが部屋に戻って来た。口にマスクを付け、手には軍手をはめ鉄状の長い棒を握っていた。あれは確かバールと言って父の仕事道具だと永剛は思った。


お母さんはそのバールを縦に持ち替えると畳と畳の隙間に差し込んだ。お母さんは鉄の棒に乗るように全体重をかけた。僅かに畳が浮いた。その縁を掴む。障害物競争みたいに母はその畳を全身を使い押し上げた。そして壁に立てかけると床下へ向けて懐中電灯を照らした。


永剛は唾を飲み込んだ。途端、蒸せたような暑い空気が部屋中に広がった。その空気に混ざって嗅いだ事のない異臭が永剛の鼻をついた。


永剛は思わず吐きそうになり慌てて口を塞いだ。お母さんはそんな異臭のする中で平然とした顔で床下を眺めた後、小さく舌打ちをしてから1度部屋を出た。戻って来るとその手には大きなゴミ袋が握られていた。お母さんはその袋を床下へ向け逆さにした。袋の口を開けると中からおびただしい数のゴキブリが這い出ては床下へと落ちて行く。全てのゴキブリを床下に落とすとお母さんは直ぐに畳を下ろした。そして袋を持って部屋を出た。永剛はそっと襖を閉めた。


どうしてお母さんは床下なんかにゴキブリを入れたのだろう?永剛にはわからなかった。


しばらく考えたが全く分からずいつしか眠ってしまい、朝になるとその事をすっかり忘れてしまっていた。


そして学校へ行き勉強をする毎日を送っているといつしかお父さんが居なくなった事も忘れ、居ないのが普通の事になっていった。その代わりに新たに英家に変化が訪れた。それはお母さんの大切なお父さんの役目を、永剛が担うようになったという事だった。


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