王都潜入
――ゲートの事件があった後。
王都の大通りは、今日も喧騒に満ちていた。
鍛冶屋の槌音。
果物売りの怒鳴り声。
荷馬車の車輪が石畳を軋ませる。
だが――
そんな音はどうでもいい。
――今日から、俺は有名になる。
腰の羊皮紙入れを叩く。
中にあるのは、先週出した記事。
『王都騒然の“聖女スキャンダル”!』
酒場の酔っ払いの与太話。
それを“衝撃の事実”に仕立て上げたのは、この俺の筆だ。
「これで編集長も文句言えねえだろ」
人混みをかき分けながら、にやりと笑った。
――今日、俺の人生は変わる。
はずだった。
大通りから脇道へ差しかかった、その時。
横から腕が伸び、強引に路地へ引きずり込まれる。
フードを被った三人組。
そのうち一番小柄な男が前に出た。
「おい……今出回ってるこれは、お前が書いたのか」
差し出されたのは、俺の記事。
「ああ、そうだが……」
「ふぅん。なんでも――“王都を旅立った聖女セフィリアは毎晩パーティのメンバーと夜な夜な大人な親睦を深めている”……だってな」
次の瞬間。
ドンッ!!
首を掴まれ、壁に叩きつけられた。
「ぐっ……な、何すんだ!?」
「今すぐこの記事を取り消せ」
「だ、だめだ! これには次の取材許可がかかってる! 取り消せない!」
ゴッ!!
拳が、顔の横の石壁に叩き込まれる。
石壁が抉れ、粉塵が舞った。
当たっていれば頬骨は砕けていた。
「俺はな……人体にちょっと詳しい」
一拍。
「骨の折れ方とか」
低く、淡々とした声。
「どうやれば一番長く、苦しく、痛みを味わえるか知ってる」
赤い瞳が、至近距離で光る。
「教えてやろうか……実践で」
悪魔のような笑み。
――その時。
「だめだよ、レイ……」
後ろから大柄な女性が割って入る。
もみ合いの拍子にフードが外れた。
長い金髪がさらりと揺れ、澄んだ青い瞳がこちらを見る。
どこか悲しげだった。
(天使か……?)
「ユリ……ユリーナ、止めるな」
「俺はコイツを一発殴らないと気が済まない」
再び拳が壁にめり込む。
背後の赤い長髪の男が咳払いをした。
眼鏡の奥で目を細める。
「気持ちは分かるが……ゴホンッ。拳で解決するのはよくありません。話し合いましょう」
一瞬、誰もが真顔を保とうとする。
だが。
「「……っ」」
金髪の美女と“悪魔”が、同時に笑いをこらえる。
「笑うなよ……」
長髪の男は肩を落とした。
*
ゲートの戦いが終わった後。
焦げた石畳から、焼けた匂いがまだ立ちのぼっていた。
「杖……どうする? 信用できねぇぞ、あいつ」
ディランが腕を組む。
「本当は聖剣を取り戻したい。でも……今回、自分の力が足りなかったのは事実だ」
ユリウスは拳を握った。
レイは地面を見たまま、低く言う。
「……聖剣、護符の方向に消えた」
「なっ……じゃあ、ノアが持ってるのか!?」
ディランが目を見開く。
「その可能性はある」
沈黙が落ちる。
ユリウスがぽつりと呟いた。
「聖剣があっても……敵から離れられないのか」
レイが続ける。
「脅されてる可能性が高い」
「ノアを取り戻すなら――力がいる」
ディランが低く唸る。
「聖剣でも難しい相手から、奪い返す力か……」
レイが言う。
「手っ取り早く強くなるなら……武器だ」
「白いあいつ……俺たちを強くしたがってた」
「杖の話も、本当かもしれない」
レイが静かに続ける。
「……ノアの杖は、教会が押さえてる」
ユリウスが顔を上げた。
「今、場所が分かってる力はそれだけか」
レイが頷く。
「教会にあるノアの杖――取り戻そう」
ユリウスは立ち上がった。
ディランが眉をひそめる。
「でも俺たち、魔王討伐の旅のはずなのに王都にいて大丈夫か?」
ユリウスは、わずかに口元を上げた。
「なら――」
「俺たちだと分からなければいい」
*
「っ……ディラン、似合わねえな」
レイの手がようやく緩む。
「だから笑うなって!」
ディランは顔を逸らし、耳まで赤くなっている。
レイは小さく息を吐いた。
「おい。お前、名前は?」
「……」
「手荒なことはしない」
「いや、さっき壁えぐってたろ」
ディランが呆れた声を出す。
「……さっきは頭に血が上ってた。悪い」
レイは視線を逸らしたまま、ぶっきらぼうに言った。
「ねぇ、お名前は?」
ユリウス――今はユリーナが、柔らかく微笑む。
「……ロンドです」
恐怖で真っ青だった記者の顔が、今度は別の理由で真っ赤になっていた。
(やっぱり天使だ……)
「「……は?」」
ディランとレイが同時に目を見開く。
「私たちは、この記事を取り消してほしいのです。交渉できますか?」
「……はい!」
ロンドは勢いよくユリーナの手を握る。
だが次の瞬間、その手はやんわりと、しかし確実に引き抜かれた。
「まずは、落ち着いて話し合いましょう」
背後で、レイが無言のままロンドを睨んでいる。
――王都潜入。その第一歩は、思いのほか順調に踏み出された。
*
午後の陽光が天窓から差し込む。
純白の大理石に、やわらかな陰影を落としていた。
三段重ねのスタンドには、宝石のようなタルト、繊細な装飾のマカロン、雪のように白いクリームを乗せたスコーンが整然と並ぶ。
ルシエルはソファに身を沈め、銀のフォークを指先で弄んだ。
「ほんと信じられないよね……僕の目の前にこの子を出すなんて」
視線の先では、ノアがわずかに目を逸らしている。
「あなたに隠し事はできませんから。でしたら、最初からお見せしたほうがよろしいかと」
クラウスは穏やかに微笑んだ。
「僕の気持ち考えてよ。せっかく育ててた勇者パーティ、壊されちゃったんだけど?」
「申し訳ありません。闇を増やすには、この形が最適と判断いたしました」
「……もう僕、お腹いっぱいなんだけど。クラウスも分かってるでしょ?」
「ええ。あなたの執事ですから」
ルシエルは小さくため息をつき、紅茶に口をつける。
その視線は、窓の外へと滑るように移った。
「ノアくんも飲んだら? この紅茶、美味しいよ」
紫の髪の少女が楽しげに微笑む。
「結構です」
ノアは淡々と答えた。
二人の視線が突き刺さる。それでも、手は伸ばさない。
「仲間が気になる?」
ノアがゆっくりとルシエルを見る。
「君の仲間、きっとまた強くなるよ。それに……君に面白いものを見せてくれるかも」
ルシエルは挑発するようにクラウスを見る。
「それは興味深いですね」
クラウスは動じず、静かに菓子を取り分けた。
ノアは窓の外へ視線を移す。
胸の奥で、仲間の影が揺れた。
それに応えるように、腰の聖剣がわずかに光を帯びる。
その光に、ルシエルの視線が止まった。
胸が、かすかにざわつく。
遠い昔、同じ光を見た気がする。
――思い出せない。
ルシエルは小さく首を傾げた。




