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迷い道

第二十一話



美佳たちはしばらく六甲山のお父さんの

ところで避難していた 。


旦那さんの居ない時はベルを鳴らしてくれて

話しをする事ができた 。



「こないだね、六甲山の北側の岡場?にある

 ショッピングセンターに

 旦那さんと買い物 行って来たよ

 パパの近くじゃないの?」


「ダイエーのあるところ? 」


「そうそう、結構、買い物客で混んでいた」


「神戸の方だと今は品切れの店も多くて困るけど

 結構普通に物があったね、日用品が買えたのが

 よかった」


「そうだね」

 (大阪の山側のルートは比較的流通は確保

  されているけど 神戸の中心地へは

  道路がまだまだだった)


「山の向こうとこっちでは全然ちがうね 」


「けど、お客さんもなんか服装と暗くてね、

 被災してるって感じが見えるよね 」


(いつもは言わないような言葉だったので

  …少し気になった )


「まあ、みんなも大変で必死なんだろね 」


「美佳たちみたいに向こうから買出しに

 来てる人も多いみたいだしね 」


(実際に多くの人たちは北区や三田は大丈夫だと

 聞いて買い出しに来られる方が多くいた)


私の住むところは北区役所のある辺り

 兵庫区から有馬街道を北上、天王ダムの

 小部トンネルを超えたところから北区になる


北区でもまだ兵庫区に近いところ


美佳たちが買い物に行ったのは

私の職場の近く

六甲山の裏側 北区の北側に位置する


近くは中国自動車動の西宮北ICのあるところ

(西宮北口と勘違いされる)


北区でも南と北とでは被害の大きさは違っていたが


美佳たちの行ったショッピングセンターは

壁にヒビとかは入ったが、致命的な被害は少なく

大丈夫な場所はすぐ営業を始めていた。


すぐに普通に営業をしてくれたので

我々北区民は本当に助かった 。



その裏で

補償金問題で半壊・全壊でもめているマンションや

住宅も多くあった


住むところがあるだけでもマシなのに、

は通用しない人たちも居た

それもまた、みんな必死だったんだろう


神戸の本当の被害地域を実際に見て欲しいと思った

子供達に現実に起きた悲惨な災害を

見て心に刻んでおいて欲しいと強く思った。




「保養所はどう? 」


「そうね、広いし、研修施設もあるから

家というより 林間学校みたいな感じかな 笑」


「美佳は夜は寝れているの? 」

「相変わらず寝れてないの?」


「う-ん あまり寝れてないかな 」


「やっぱり、あの時の事が思い出されて

 寝れない事がある 」



あの時の音と大きな揺れ


「叫ぶ声…」

「家から逃げ出した人たちが

 道路に毛布を被ってうずくまって…」


言葉が震えていた…



「旦那さんに相談したの? 」


「ううん、言っても気にするなって、

 その内忘れるよって 」


「そうかな、心配だな 」


(話をゆっくり聞いてあげたいけど )

 ずっと一緒に居れない私はどうする

 事も出来なくてもどかしかった


(私は携帯を持つことを考えていた そうすれば

 いつでも美佳のペースで しゃべれるかもと)



「いつ自宅にもどるの 」


「そうなの!

「片付けには何度か戻ってるけど」


「お店も行かないといけないしね」


「旦那さんも会社に通うのが大変だしね」


「電気と水道は戻ってるみたいだから

 近いうちに帰るつもりだよ」


「仕事に早くもどらないとね」


「うん、岡本店が入ってるビルは少しは

 マシだったので早めに再開出来そうって」


「ただ、三宮センター街のお店はセンター街が

 何ヶ所か崩れてるので

 まだ、人が入れないんだけど」


「規制が解除されたら

 まず、そっちに応援に行く予定だよ」


「けど、三宮側へはまだ電車が通ってないでしょ?」


「そう••だから代替バスか、自転車だね」


「岡本店も自転車でいかないと路線バスはまだ

 予定通りは走ってないみたいだから」


道路の修理はまだまだだったが、私が行った

18日からは仮補修されて大きな道は通れるように

なっていた。



------------

美佳たちはこの電話のあと3日後に

自宅にもどった。


ただ自宅に戻るの別の現実として

『自宅だとあまり連絡が出来ない』

 という寂しさがあった


それでも少しだけでもやりとりは出来ていた


美佳は言ってたとおり、三宮センター街のお店に

片付けの応援に行っていた,


アーケードは堕ちて歩道からは空が丸見え


そんなセンター街の中にあったお店に

美佳は行っていた。


それがひと段落すると、次は岡本店の再開だった。


その頃

美佳から朝、家に来てと言われ

震災後、初めて家にいった


あの日行った時のように…

ヒビは少しあったが大丈夫そうで

(マンション側からも問題無いと言われてた)

家の中もすっかり前の状態に戻っていた


震災直後は見ていないが自分の家の数十倍は

大変だったんだろうと想像出来た。

「綺麗になってるね、頑張ったね」


「そうだよ、もう大変な状態だったからね」


「全てのものが倒れ、たくさん食器は割れて

 水もガスもないから大変だったんだよ」


「そうだよね」


ほぼ、翌日にはライフラインが揃った

私の家からは想像が出来ないほど頑張ったんだと思う


被災した人たちは

みんな生きるために必死に前に進んでいた。



「パパ、、そろそろ出ないと」


「お店まで送ってくれる」


「もちろん、いいよ」


「外で待ってるよ」


「うん、すぐ行く」


すぐに美佳は来て慌てて車に乗り込んだ



土日の朝は美佳の家に行くようになり

美佳のお店に送くるのが習慣になりつつあった…



家に行き、お茶もせず、少し話して

すぐ車で送る


車の中だけの短い会話だけでも十分に幸せだった


気づけば

震災から一か月、もう2月半ばだった


車中


「美佳、まだ寝れてないの?」


「うん、そう寝れてないかな•」


「落ち込んだり」

「イライラもよくするの」


「やっぱり心配だった、「ストレスかな」


「すぐ、良くなるよ!」


「あのね

大阪の人に聞いたらね

大阪は店が開いてるところが多くて」


「それでね、○○○ホテルで食べ放題の

 ビュッフェランチをやてるって、

 一緒に行ける?」


「行けるよ」


「やった!ね行こうね、ね」


「ずっと暗くなっててもねダメだから」

「約束ね」


「約束するよ、いいね楽しみだね」


美佳らしい笑顔だった•••



しかし

当時はまだ呼ばれてなかった『PTSD』

のストレス障害この兆候に早く気付くべきだった

私がなぜこの時に気づいてやれなかったのか…



     二人で入った迷い道だったのが

  気づけばひとりになっているときがある

     繋いでいた手が少しずつ

  離れようとしている事に気づかずにいる二人

     自分達だけて強く握りしめていても

     ふとした瞬間に緩んでしまう

     誰も助けてくれない

  そんな迷い道に二人はまだいる

  迷い道を二人で出ることができるのだろか…




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