安否
第十九話
美佳からの連絡はなかった
ベルはいつまでも鳴る事はなかった
回線が混んでいるのだろうか?
それとも出来る状態ではないのか?
きっと近くに旦那さんがいるからだと…
思う様にしていた
それ以外の理由は…考えたくなかった 。
淡路島北部を中心とするM7.3
震度7を記録する
当初はマスコミ各社も被害状況の収集も
困難を極めた。
それは情報収集するにも、報道するにも
現場に行くことすら困難なぐらいの被害だったからだ
それでも次第に被害の状況が映し出され
全ての映像が想像を絶していた。
長田区では古い木造家屋が密集していたのもあり
大火災が発生、空襲を受けたような火災
全国各地から応援が駆けつけてくれたが
鎮火までに2日掛かり長田は一面焼け野原に
なってしまった。 (火災の7割が長田区だった)
火災は長田区以外でも起こり、どこの地区でも
消火活動が困難ですべて燃えていくのを
人々は悲しくも見届けるしかなかった。
三宮生田神社本殿の倒壊など
神戸の中心地三宮も倒壊で道々は
瓦礫の山と化していた
木造家屋など、多くの建物が倒壊した。
(死因の8割が圧死や窒素死だった。)
阪急伊丹駅の崩落など、
安全神話の新幹線の橋脚の崩落
JR在来線、阪神阪急のほとんどが被害
阪神間の大動脈は完全に断ち切られた。
救急車や消防車の行手を阻んだのが
道路の亀裂、陥没、橋の崩落、液状化だった。
最初に見た、深江の阪神高速の横倒し
芦屋西宮市の数カ所阪神高速橋桁の落下
道路交通網も寸断された 。
当たり前に存在していたものが
当たり前ではなくたった••
電話もなかなか繋がらず
家族が生きているかさえ分からずでいた
みな苦しい思いをしながら夜を明かしていた。
一月の寒さが、いっそう人々を悲しみの
底に落としていった。
震災2日目
どうしても美佳の安否を知りたくて
自宅に行くことにした。
後輩が
『車だとまともに道路を通れないから、
バイクの方が小回りききますよ』
と聞いていたので 、バイクを借りて出発した
言ってた通り実際はバイクでも大変なぐらい
至る所で道路が陥没しており、
押して歩かないと行けないところが多かった。
六甲トンネルは普通通りに通れた、けど
料金場は人は居なく そのままフリーで通り
いつもの場所でバイクを停めて 、神戸の町を見た
愕然とした!
眼下の神戸の町は所々で火の手、煙の柱が
何本も上がり 空はその煙の雲に覆われて
灰色と化していた 、
その空には自衛隊、報道のヘリコプターが何機も
バリバリと音を立てて飛んでいた。
適切な表現ではないと言われると思うが
映画で見る戦場のような光景が実際の目の前にあった
これは紛れもない現実だった。
神戸は終わってしまったと感じた。
六甲山を下り高羽の交差点を左に抜けて
阪急電車高架をくぐり山手幹線で東に進んだが 、
次第に道路も平坦では無くなり、うねり、隆起、
陥没した道路
途中、押して歩かなければいけなかった。
それでも車だと身動きとれなかっただろう、
バイクでなければたどり着けていなかったかも
知れない
美佳の自宅近くのいつもの場所にバイクを止めた
旦那さんの車はなかった…
いつもの停めた場所からの景観・雰囲気が
違っているのがすぐ分かった 。
今まではそこからは見えない、低層のマンションが
見えていた。
軒並み、一戸建て住宅の2階のみならず1階までもが
崩れ、瓦礫と化していた。
だから向こうまで見えていたのだ
昔からの古い木造建築はいとも簡単に
潰されてしまっていた。
(東灘区は家屋倒壊が多く発生、
犠牲者も一番多かった)
歩いていくが、美佳のマンションまでの道は
道ではなくなり ほとんどの木造家屋が倒壊(拉げる)瓦礫で道路をふさいでいた 。
マンションは外からの見た目は大丈夫だった、
少しほっとした、、私は
後先考えずドアをノックした…
何度かノックしても反応がなかった …
隣の家のドアにはみんな無事、○○に避難してますの張り紙があった
美佳の家のドアには何もなかった•••
初めてのメッセージ…
初めての電話の声…
初めての声…
初めての待ち合わせ…
初めての食事…
初めての手の柔らかさ…
初めての抱擁…
初めてのキス…
初めての身体の温もり…
けど
まだ愛してると言ってない
美佳に初めて愛してると言うから…
どうか、聞いて欲しい
きっと、聞いて欲しい
もう、後悔は嫌だから
どこにいるの?美佳…




