震災
第十八話
1995年1月17日午前5時46分
神戸の都市を大きな地震が襲った
(1•17阪神淡路大震災)
それは早朝、まだほとんどの人たちは
寝入っていた。
ドーンという音のあとダンダンと
大きく上下に揺れ、そのあと横に
グラグラと揺れた。
揺れたというより落ちていくような
感覚だった
私はドーンという地鳴りに目がさめ
瞬間に揺れ始め、そこで地震だと
わかった、そのあとの長い揺れが
止まるのを待ち、棚が揺れる音と
ただならぬ雰囲気に
外に出た方がよいと思い、揺れが
収まった頃を見計らい
子供たちをつれて、外に出た。
停電になり真っ暗で何も見えなかったが
目が少しなれ、食器棚が倒れ
足下に食器が散乱しているのがわかった
子供を一人づつ抱き上げ、玄関まで
運んだ、まだ夜があけてない、外に出て
車に乗りエンジンをかけて暖をとった。
近くの人たちも大勢外に出てきており
不安げにみんな話していた。
ラジオを聞いても、地震の発生だけで
詳細が全くわからなかった。
(この時は『大きな地震が発生しました』
ぐらいだったが
4時間後に見る映像だけで大きな地震の
悲惨さは想像を絶するものだった)
私の住む北区や西区の被害は六甲山より南の
東灘、灘、中央、兵庫、長田、須磨、垂水
などから
比べると比較的軽く、それでも
全壊、半壊の家屋も多くあった。
それを遥かに超える被害が
神戸の都市部でおこっていた。
もちろん、神戸だけでなく
明石、芦屋、宝塚、伊丹、西宮、尼崎から
大阪にかけた阪神地域、そして淡路島
兵庫県南部の直下型地震が
大都市の下で発生した、神戸の街は
軒並みやられてしまった。
(淡路島北部震源M7.3)
ライフラインは全てダメになり
鉄道網、道路の交通網もやられてしまった。
この地震は一瞬で多くの人の命と
生活を奪ってしまった。
美佳の住む東灘区は被害者が一番多く出た
区でその多くは
家屋倒壊による被害が大半だった。
夜があけ、辺りが明るくなってくると
外にはたくさんの人がもっと集まっていた、
私は一旦家に戻り状況を確認して
妻にまた揺れて倒れるかもしれないから
このままにして、棚の扉をガムテープで
固定してから、後で落ちたものだけ
片付けようと言った。
ラジオでも一向に詳しい状況は
不明だった、何度も余震らしきもので
揺れるたびにみんなはどよめいていた
この時、仕事の事は気になっていたが
それどころではなかった
それでも、なぜが会社にいけばもっと何か
わかるかもと思い…
ある程度片付けして、あとは妻に任せて
会社に向かった、
有馬街道はどうなっているか?
わからなく、渋滞もあるかもしれないので
国道428号を通り淡河町を抜けて
会社に向かった、渋滞もなく普通に走る事が出来た。
会社に行くと、みんな集まり始めてきてた。
(ほとんどの人は西宮市の北部、神戸北区、
もしくは三田市)に住んでいたので
あまり大きな被害はなく無事だった。
ただ、みんな両親、親戚、知人などが心配だった。
その時、誰かが叫ぶ声、テレビ見て!と呼んでいた
会社は三田市、西宮市山口町、神戸市北区の
隣接する地域にあり(電気は比較的すぐに復旧した)
テレビが置いてある部屋にみんな行き
テレビから流れる映像をみて愕然とした
それは作り物のドラマか何かと錯覚した。
テレビには阪神高速が倒れた映像が流れていた!
43号線の上を走る阪神高速神戸線
『神戸市東灘区深江本町あたりで長くに
(実際は635メートル)わたり
倒壊しています』
とヘリコプターからの映像が流れていた。
高速道路が根本から山側に何百メートルも
倒れていた。
まさかの光景だった‼︎
この時とんでもない地震が起きたんだと
それが山の向こうの神戸を襲ったんだとわかった
そして、
あの近くに住んでいる美佳が大丈夫なのか?
ものすごい不安に襲われていた…
美佳は無事なのか?
この時、自分の情緒が段々と崩れていくのが
わかった••
次第に状況がわかってきて
テレビからの情報が入ってきた
それは入る度に酷くて大きな被害しか
入って来なかった。
不安は大きくなる一方で
何もできない、何も知る手段がない自分に嘆いた。
無事であって欲しいと願っていた
なんとか生きていて欲しいと強く願った
「美佳ぁー.!」と叫んでいた…
震災に関しての記載、表現については
作者自身も被災者であり
実際に自分で見た光景、事実を記載して
おります事をご承知下さい。




