第74話 「ティアナ姫と夜のトークを」
カインズが寝室でベッドに潜ろうとしていると、ノックの音が聞こえた。
「はーい。今開けます」
カインズがドアを開けると、そこにはティアナ姫が立っていた。
「こんばんは、カインズ様」
ティアナ姫はスカートの端を持ち上げ、お辞儀をした。
「ティアナ姫……どうなされたのです?」
カインズのフィアンセであり、チェルダード王国の第四王女であるティアナ姫。彼女が、こんな夜遅くに何の用なのか。
「カインズ様とお話がしたくて。あわよくば、夜を共にしていただけないかと」
「後者はお断りしますが、お話するだけなら喜んで」
カインズはティアナの誘惑をやんわり断りながら、ティアナを寝室に誘った。
「あら、冷たいのですね」
「一国の姫が男を誘惑するものではありませんよ」
「子孫を増やすのは王族のたしなみですわ。今の時代は、特に」
「王宮には帰らないのですか」
「カインズ様が当主になる瞬間を見届けるまで、この屋敷に滞在させてもらうことにしました」
ティアナ姫はベッドに近付きながら、上着を脱ぎ始めた。脱いだ服をベッドの上に置き、胸元をはだけさせながらカインズに体を寄せる。そして上目遣いでカインズを見つめ、腕に抱きついた。
「どうしてもダメでしょうか……。この部屋は防音なので、他の皆様の迷惑にはなりませんわ」
ティアナ姫は湿った唇でカインズを求めたが、返事は変わらない。
「ダメです。また今度にしましょう」
姫はほっぺたを膨らませ、残念そうにベッドに座った。
「王族のお誘いを断るなんて、いい度胸してますね。まあいいですわ。夜のお相手は諦めましょう。では、ティアナとお話をして下さい。一人ぼっちの夜は寂しいですもの」
「構いません。何をお話しましょうか」
ティアナは脱いだ上着をまた着て、カインズを見た。
「カインズ様は、本当に当主を目指しておられるのですか?」
カインズの眉がピクリと動く。
「……ええ。本気ですよ」
「そうでしょうか。ティアナの目には、そうは見えませんでしたが。当主なんかならずに、アイズの皆様と一緒にいたいのでは?」
「皆とは別れたくないですけど……」
カインズが上手く言葉を繰り出せずにいると、ティアナがカインズに顔を近付けた。
「カインズ様は、クロム様のことがお好きなのですね?」
カインズの表情が固まるのを見て、ティアナは確信の笑みを浮かべた。
「やっぱりそうですわ。ティアナの思った通り」
「……何故分かったんです?」
カインズがクロムに好意を抱いているのは、クロム隊のメンバーとロマノしか知らないはずだが。
「恋する乙女は、好きな殿方の気持ちに敏感なんですのよ」
「まさかボクを監視してました?」
「はい。カインズ様が街の散歩から帰ってからずっと、ティアナは貴方だけを見ていました。クロム様と話す時のカインズ様は、一段と輝いていましたよ」
ボクってそんなに分かりやすい人間だったんだ……。と、カインズは少し反省の念を抱いた。
「クロム様を愛するのは構いませんが、もう少しティアナに愛を分けてくれてもいいんじゃありません? これでも貴方のフィアンセですのに。寂しいですわ」
カインズがティアナを好いていないのは、本人にバレバレだ。
「善処します」
カインズは後頭部を掻いた。
「話を戻しましょうか。……カインズ様は、一族の責任に囚われて、自分の気持ちを見失っているのではありませんか? 『自分が当主にならなくちゃいけない』なんて考えているのでは?」
「……姫なら分かるでしょう。大きな家に生まれた宿命を。自分の意思を捨ててでも、遵守しなければならない掟があるんです」
「そんなもの、誰が決めたのですか。貴方が当主にならなくても、ハルバート家は滅びません。レイティア様がいます」
「だからって、ボクが逃げていい理由にはならない。ボクは五年も家から逃げ出した。その答えを……ボクの選択が正しかったっていう証明を、一族に見せなきゃいけないんです。ここのぬくぬくした優しい環境ではなく、退廃した厳しい世界で生きたボクが……強くなったんだと、皆に認めさせたいんです」
カインズはティアナの横に座り、口調を強めた。
「お父様やティアナ姫の言う通りですよ。ボクは迷っている。当主になるか、アイズの皆を選ぶか。でもここで妥協したら、一生後悔する気がするんです。自分に自信が無くなる気がするんです。だから、ボクは当主の座を勝ち取ります。ボクの五年間を認めてもらうんです」
ティアナ姫はカインズの話を、黙って聞いていた。
「ティアナ姫こそ、女王の座は狙わないのですか?」
「ティアナは第四王女ですもの。お兄様やお姉様がお亡くなりにならない限り、王にはなれないでしょう。国のトップには興味がありますが、兄姉を蹴落としてまでなろうとは思いませんわ」
暫しの沈黙の後、ティアナ姫が口を開いた。
「カインズ様もご存知でしょうが、シャルロッテ様とティアナは、政略結婚のためにカインズ様に嫁がされました」
急に意外な話題に移ったので、カインズは驚いてティアナの顔を見た。
「当主になるであろうカインズ様と家族になって、権力を高めようという魂胆でしょう。ティアナのお父様も、そんな企みを持っていました。『ハルバート家との癒着を深めたいが、女王候補は嫁がせたくない。ならば、権力の低い第四王女を嫁として渡そう』という風に」
ハルバート家とチェルダード王家は、大昔から強い繋がりがあった。だが、ハルバート家の当主と女王が結ばれることになれば、王家を乗っ取られるかもしれない。そう考えた王族は、カインズの婚約者としてティアナ姫を選んだのだ。
ハルバート家の力を都合よく利用するために。
「実際、シャルロッテ様はカインズ様を愛していないでしょう。カインズ様が当主にならなければ、見捨てるかもしれません。でも、ティアナは違います。ティアナは、一目見た瞬間からずっと、貴方をお慕いしておりました」
「一目惚れですか。お伽噺みたいな夢物語ですね」
「夢物語に憧れる少女もいますのよ」
ティアナはカインズに抱きついて、弱々しく呟いた。
「ティアナの愛が、信じられませんか?」
「いえ、信じますよ」
「でしたら、無理に当主になろうとしなくてもいいのです。カインズ様がどんな選択をしようが、ついていく覚悟はありますから」
カインズは、黙っていた。
ティアナはカインズの固い表情を見て、優しく微笑んだ。
「カインズ様は我が強いのですね。ヴィルカートス様にそっくりです」
「ボクが? お父様に?」
「ええ。意思が強くて男らしいところはお父様譲り。優しくて人当たりがいいところはお母様譲りです」
カインズは恥ずかしげに頭を掻いた。
「そんなに似てますか?」
「似てますよ。素敵な親子ですね」
昔からヴィルカートスとカインズはいさかいが多かったが、似た者同士故のことかもしれない。
ティアナはベッドから立ち上がり、くるりと右に一回転した。
「夜も深くなって参りましたね。惜しいことですが、そろそろ寝なくてはなりません」
ティアナは「ふわぁ……」とあくびをした。
「寝室に戻るとしますわ」
「ボクの部屋で寝ていってはどうですか」
「あら、積極的ですわね」
「ただし、ボクは床で寝ますけどね」
「そんな訳にはいきません。ティアナは自分の部屋に戻りますわ」
ティアナはドアを開け、廊下に出た。
「おやすみなさい。ティアナの王子様」
笑顔で手を振って、ティアナは去っていった。
「『王子様』、か……」
一人になったベッドの上で、カインズは寝転んだ。
カインズがティアナと結婚したら、カインズはチェルダード王の義理の息子になる。『王子様』というのも、強ち間違っていない。
「上手いこと言うなぁ……」
あれはティアナなりの、愛の言葉だった訳だ。
積極的なお姫様の言葉を胸に、カインズは微睡みに落ちていった。
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