第75話 「次期当主は……」
時間はあっという間に流れ、ついに当主を決める日になった。ハルバート家の重役達が集まって、次期当主を話し合いで決定するらしい。その議論の結果が出たので、今日の昼食の時間に発表するそうだ。
大講堂には、既に多くの貴族が集まっている。テーブルに出された料理にも手を付けず、ただ真剣な顔をして話をしていた。話題は当然、次の当主が誰になるかだ。
この発表で、今後の人生が変わる人もいるだろう。大講堂は緊張に包まれていた。
俺達クロム隊は、会場の隅っこにあるテーブルに集合していた。レイティアもいる。レイティアはそわそわとしているのに対し、カインズはお気楽そうにジュースを飲んでいた。
「一体誰が当主になるんでしょうか」
レイティアがカインズの方を向いて言ったが、カインズは素っ気なく答えた。
「十中八九ボクかレイティアだろうね。ヘンリーさんの可能性は無くなっただろうし、他の候補者を推す人はほとんどいない」
カインズは極めて落ち着いていたが、何かを決心したような強い眼差しをしていた。今のカインズはアイズの制服姿ではなく、貴族らしい礼装をしている。灰色の綺麗なスーツだ。当然と言うべきか、似合っている。
レイティアも衛生団の制服ではなく、青いドレス姿だ。これもまた似合っている。
この昼食会が終わったら、王宮で新国王の戴冠式が行われる。今の王子が正式に王になったことを、国民に伝えるのだ。王宮の周辺には人がごった返しているらしく、お祭り騒ぎだ。王国騎士団や軍の人達も忙しなく働いている。今日は重要な式典が多い日だな。
「始まるぞ!」
誰かの声が聞こえたと思うと、大講堂のステージの上に巨体の老婆が現れた。カインズの大叔母にあたる、ブブリアド・ハルバートだ。紫色のドレスを引きずって、まん丸の体を前進させていた。
ブブリアドの隣には、ヴィルカートスもいる。会場全体の注目が集まる中、ヴィルカートスが観客を見渡した。そして、口を開く。
静かな空間に、ヴィルカートスの低い声がよく通った。
「ただいまより、ハルバート家の次期当主を発表する」
ヴィルカートスは息を吸い、勿体振るようにゆっくり口を開いた。
「カインズ・ハルバート。前に来なさい」
俺の予想通り、カインズが選ばれた。会場がざわつく中、カインズは「当然だ」と言わんばかりの表情で、ステージに上がった。
ヴィルカートスはカインズの顔をしっかり見据え、手に持っている丸いバッチをカインズに差し出した。ヴィルカートスの襟元に付いているバッチと同じものだ。何やら紋章が刻まれている。
「カインズ。当主の証であるこの記章を、お前に授ける」
だがカインズはそれを受け取らず、会場には訝しむ空気が流れた。
「……どうしたカインズ。受け取れ」
ヴィルカートスは眉を潜め、バッチを前に突き出した。
「お父様。当主になった後も、アイズの活動を続けてよろしいでしょうか」
「ならん。当主の責任として、貴様はこの屋敷を守らねばならない。特別な許可が下りない限り、街の外に出ることは許されない」
ヴィルカートスは目を細め、カインズを睨み、強く否定した。
「そうですか……。でしたら……」
空気を切る音と共に、カインズの右足がヴィルカートスの手先を撃ち抜く。当主の証はヴィルカートスの手から離れ、壁に勢いよく打ち付けられた。床にポトリと落ちる、壊れた記章。
「ボクは当主の座を辞退します。クロム隊長と……皆と一緒に、アイズの隊員として生きます」
「き、貴様っ……!」
ヴィルカートスが鬼のような顔付きでカインズを睨む。大講堂は騒然となった。
「何を言っているのだ! お前が当主になるのは決定事項! お前に拒否権は無い!」
ヴィルカートスが叫ぶ声が轟く。だが、カインズは一切動じなかった。
「ボクはもう決めたんだ。お父様に拒否権は無いよ」
「黙れ!」
ヴィルカートスの拳が振るわれる。だが、カインズに当たる前に、ブブリアドがヴィルカートスを止めた。
「待ちなさい」
ブブリアドがカインズの前に立ち、カインズを見下ろした。
「勝手なことばかり言うんじゃないよ。家出して一族に迷惑をかけたと思えば、今度は当主になりたくない? 自分の立場を自覚しな。アンタは自分のワガママで、ハルバート家の歴史に泥を塗ろうとしているんだよ。分かってんのかい?」
落ち着いた口調だが、奥に秘めた激しい怒りを隠しきれていない。恐らくはヴィルカートス以上に怒っているはずだ。
「重々承知してます。その上で、当主の座を捨てるんです」
次の瞬間、会場の空気が恐怖に染まった。
ブブリアドの一声で。
「ふざけんじゃないわよ!!」
至近距離で爆発が起こったと錯覚するぐらいに、大きな大きな怒声だった。
壁は震え、天井は揺れ、照明が落下した。比喩ではない。本当に会場が震撼したのだ。
およそ人間が発する音には思えない。規格外すぎる轟音だった。
俺は思わず腰のクロミールに手をかけていた。俺に敵意は向けられていないが、一刻も早く戦闘体勢にならないと殺される気がした。
大講堂の人々は、ほとんど動けないでいた。目の前の圧倒的恐怖に、立ちすくんでいた。
しかし、カインズは平然とブブリアドを見据えている。
「ご先祖様が築き上げてきたものを、アンタのワガママで崩す訳にはいかないのよ! アンタは五年間の空白があった分、この屋敷で正しい教育を受けなくちゃいけないの! 弱く育ってしまったアンタを、ワタクシ達が矯正してあげるって言ってんのに、理解出来ないの!? 責任の重さも知らない若僧が、生意気ぬかすんじゃないわよ!」
低く、強く、重々しい叫びだった。
だが、カインズも負けてはいない。
「『正しい教育』……? 狭い世界に閉じ込めて、自己満足の教育プログラムに当てはめるのが貴方達の『正しい教育』ですか! 笑わせないで下さい。ぬるま湯に浸かった偽りの天才になんかなりたくない。ボクは厳しい世界で、本当の実力を手にします」
不自由の無い科学が保証された中央都市。カインズはそんな甘えた世界より、滅びかけの外の世界を選んだのだ。
自分より高い壁を超え続けるために。
「お黙り!!」
破壊音が聞こえたと思うと、カインズとブブリアドが姿を消していた。他の人達は目視出来なかっただろうが、俺には見えた。
一瞬の間にブブリアドがカインズに体当たりして、カインズを吹き飛ばしたのだ。カインズはドアに衝突し、そのままドアを突き破って外に放り出された。それを追いかけるように、ブブリアドが外に飛び出す。巨体からは想像もつかないようなスピードで。
「カインズ!」
俺はすぐさま外の庭に出て、カインズの様子を確認した。砂煙が立ち込めて、よく見えない。
「ボクなら大丈夫です!」
目を凝らして見ると、カインズが片膝を立ててしゃがんでいた。思ったより遠くに飛ばされたようで、カインズの姿が小さく見える。カインズの背後には、大きな亀裂が入った壁があった。
ぞろぞろと貴族達が大講堂から出てきて、カインズとブブリアドの様子を見に来た。特にレイティアは、顔面蒼白でカインズを凝視している。
「聞き分けの無いクソガキには……教育が必要みたいだわね……」
ブブリアドは何本もの顔のシワを中央に寄せ、ゆっくりとカインズに向かって歩いた。ズシリ、ズシリと地面を踏む音が響く。
「痛い思いをしなきゃ分からないようだから」
ブブリアドは拳を握り締めた。
カインズは力強く立ち上がり、ブブリアドに向かって歩いた。
「だったらボクは貴方を倒して、自分の『ワガママ』を通します。そして証明してみせる。貴方達の言う『正しい教育』より、ボクの五年間が勝っていることを!」




