第十閑話 「ナナは非常識的常識を学んで育った」
怒涛の閑話ラッシュも、今回でストップです。
次回からは本編が始まります。
記念すべき10回目の閑話は、嘔吐系幼女ナナ・ティーパのお話です。
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人の価値観は、何によって決まるのだろうか。
環境、家庭、遺伝、人間関係……様々な要因が考えられるだろう。
先天的なものや、後天的なもの。
ナナ・ティーパの場合は、後者だ。
ナナは、孤児だった。アーネの街の道端で捨てられていたナナを、拾って育てたのがマジマジだった。
自分の力で歩くこともままならない、小さな赤子。厳しめのこの世界において、捨てられた赤ちゃんが誰かに救われたのは、極めて幸運だったと言えるだろう。
しかし、幸運の中にも不幸はある。ナナの育ての親は、『執念の手』の一員だった。殺戮のために生きる、残虐な集団。
マジマジ・オブズアブは科学者であった。主にドラゴンの研究を進めている、優秀な科学者だ。『執念の手』のメンバーである彼が、何故ナナを救おうと思ったのか。何故、見殺しにせずに助けようと思ったのか。
「科学的興味」だとか、「ただの気まぐれ」とか、いろいろ理由はあるだろう。だが一番の理由は、「子供の不幸を許せなかった」からだ。
マジマジは、子供が苦しまなければならない世界が、嫌いだった。この世の理不尽を憎んでいた。そして同時に、諦めていた。
諦めた、はずなのに。
そこで見殺しにすれば、ナナの人生は殺意に染まらずに幕を閉じただろう。だがマジマジは、「この赤子の命を救いたい」と、思ってしまったのだ。
それが過ちだったのかは、分からない。ただ言えるのは、当時のマジマジはそれが正解だと信じていた。
飢えと寒さに弱っていたナナは、マジマジの保護によってみるみる元気になっていった。
子育てを始めたマジマジを、『執念の手』のメンバーは好奇の眼差しで見ていた。
「よぉ、ジジイ。テメェ、ガキを拾ったんだってな」
センはマジマジとナナを鋭い目つきで睨んだ。
センの雰囲気に怖がることもなく、ナナはきゃっきゃと笑っていた。
「どういう風の吹き回しだよ。テメェがドラゴンの研究以外に興味を持つなんてよぉ」
「貴様には関係ないことだ。この子を殺すなよ? もし手を出せば……」
「分かったよ。テメェを敵に回すのは厄介だからな。それに、そのガキは必死に生き延びようとしてたんだろ? 気に入ったぜ。そいつは『死んで』ねぇからよ」
精一杯に生を掴もうとするナナに、センは好印象を抱いていた。必死に『生きて』いる人間は、『死んだ』ような人生を送る連中より興味深い。
『執念の手』は一つの場所に集まることは少なく、各々が自由に独断行動をしていた。だが、『執念の手』のブレインを担当しているマジマジは、他のメンバー達と会う頻度が多かった。センやテマネスクやベシムやスーニャなど、何人かのメンバーがナナと顔を合わせた。
それが原因だったのだろうか。ナナは、殺人を是とする倫理観を抱いてしまった。周りの人間は人を殺している。殺して、嬉しそうにしている。きっと殺人は素晴らしいことなんだ。だからみんな嬉しそうに殺すんだ。
だったら、自分も人を殺さなきゃ。
歪んだ環境で育ったナナは、歪んだ価値観を身につけてしまった。嬉しい時は殺す。悲しい時は殺す。辛い時は殺す。楽しい時は殺す。
感情の起伏が訪れる度、ナナは純粋な殺意を抱いた。それが当然のものだと思っていた。殺すことが、感情の正しい表現法だと思っていた。
マジマジは、その頃から微小な後悔を感じることになる。こんな環境で育ててしまったがために、ナナは純粋な殺人鬼になってしまった。
その後悔は、徐々に膨らんでいった。
マジマジの心配など知らず、ナナはすくすくと大きくなっていった。ナナが5歳の誕生日を迎えた時、一人の女性がナナの元にやってきた。
背の小さい、美人であった。茶色く短い髪を持つ、若い女性。綺麗な白衣を身にまとい、知的な雰囲気を醸し出していた。
「こんにちは、ナナちゃん。君は強くなりたいかな?」
虚ろな笑顔で、彼女はナナに問いかけた。
「おねえさん、だれですか?」
初めて会う女性に、戸惑いを見せるナナ。それを見て、白衣の彼女は言った。
「わぁ、すごいね。敬語で話してる。えらいえらい。マジマジさんの教育が行き届いているのかな?」
「はい! としうえのひとにはけいごではなせって、マジマジおじいちゃんがおしえてくれました。おねえさんは、マジマジおじいちゃんのおともだちですか?」
マジマジと似た服装をしていることや、マジマジの名前を知っていることから、そう思ったのだろう。
しかし、両者は知り合いではなかった。『彼女はマジマジを一方的に知っている』し、『マジマジは彼女を一方的に知っている』が、それでも両者は知り合いではなかった。
「ううん、違うよ。私とマジマジさんは似た者同士だけどね。それより、ナナちゃん。私が君を強くしてあげよっか?」
「つよくするんですか? どうやって?」
「簡単だよ。君を、『竜人』にするんだ」
「りゅーじん?」
彼女は、ナナに竜人について説明した。ドラゴンの体を移植することで、強大な力を手にすることができるということ。リスクが伴うということ。
子供にも分かりやすい説明を終えた後、彼女はもう一度聞いた。
「どうかな? ナナちゃん。『竜人』になってみない? 私なら、君を『竜人』にできる」
「うーん……」
ナナが思案していると、マジマジがやってきた。マジマジは顔にシワを寄せて、彼女を睨んでいる。
「誰だお前は。ナナに怪しい話を持ちかけるのはやめてもらおう」
マジマジを見た彼女は、そっとナナから離れ、マジマジに近付いた。
「はじめまして、『執念の手』の『観察者』さん。私は別に、怪しいことなんてしてませんよ。ナナちゃんが望むであろう力を、与えようとしているだけ」
「『竜人』のテクノロジーについては聞いたことがある。危険な技術だそうだな。それをナナに施そうとしているのか?」
マジマジの目は怒りと警戒に満ちていた。
「おお、怖い怖い。ナナちゃんが竜人になるかどうかは、ナナちゃん本人が決めることですよ。誰にも、ナナちゃんに選択を強制できない」
「貴様、科学者か? 見慣れない顔だが」
「見慣れないでしょうねぇ。当然です。あ、名前を知りたいですか? 本名を教えても信じてくれないと思うので、『滅びし文明の天才科学者』とでも呼んで下さい。『センに竜人手術を施した者』と呼んでもいいですよ」
「何だと?」
センの右足は、『ファストグシーガ』というドラゴンの足だ。最速のドラゴンの足を移植することにより、センは桁違いの素早さを手に入れた。
センも、一種の竜人だ。センを竜人に変えた人物が、この白衣の女だというのか。
「はいはい。セン君の足を改造したのは、この私なんですよ。と言っても、セン君は竜人の未完成品ですけどね。再生能力も無いし、細胞の変化率も低いし。第一世代の竜人手術じゃ、あの程度が限界でしょう。でも、ナナちゃんならもっと高性能な竜人になれるかもしれませんよ。ドラゴンの能力と、再生の力を持つ竜人にね」
「ふざけるな。誰でも竜人になれる訳では無い。ドラゴンの細胞が上手く人体に適合しなければ、拒絶反応を起こして被験者は死んでしまう。ナナをそんな危険に晒す訳には……」
「わかりました! あたち、りゅーじんになります!」
マジマジの言葉を制して、ナナは大きな声で答えた。
その一言に、唖然とするマジマジ。
「ナ、ナナ……。儂の話を聞いていないのか? 竜人になるのは危険だと……」
「はい! きいてました! でもでも、ナナはつよくなりたいです! センおにいちゃんみたいに、ひとをころせるようになりたいです!」
ああ。
マジマジは、幼い少女の発言を、素直には受け入れられなかった。重く冷たい何かが、胸の中に落ちていくような感覚。
『センみたいに、人を殺したい』。
たとえ大きなリスクを背負うことになっても、殺人を執行できる力を求めたナナ。
赤子の頃から染み付いた『殺人』という価値観は、ナナの精神の奥深くまで根付いていた。
「……決まりだね」
白衣の女性は、冷たい笑みを浮かべて、ナナの頭を撫でた。
自分のせいで、ナナは殺人を欲するようになってしまった。人並みの人生を送らせることもできず、『執念の手』の一員としての人生を送らせることになってしまった。
確かな意思を持って竜人になりたがったナナを、マジマジは止めることができなかった。
自分に、止める資格などあるものか。
無責任な情けでナナを拾い、中途半端な信念でナナを育ててきた。自分はナナの親ではない。彼女の人生を狂わせた自分が、何を偉そうに言えるというのか。
あの健気な笑顔と純粋な殺意を作ったのは、自分だ。
それなのに、また自分勝手な感情でナナを止めようなど……。
竜人手術により、ナナは『竜人』となった。『ハンガードルガ』というドラゴンの胃袋を移植したおかげで、強靭な胃袋を手にいれた。その上、傷がついてもすぐに再生する。
強くなれた自分を誇って、ナナは嬉しそうに飛び跳ねた。
「やった! これであたちもたくさんころせるね!」
嬉しそうなナナを見て、マジマジは「これでよかったのかもしれないな」と呟く。結果論だが、ナナは元気に竜人になれた。本人が嬉しそうなのだから、それでいいのかもしれない。
心に染み付いた殺意も、本人が望んでいるのなら……。
「儂は……間違ってない。間違ってない……はずだ」
何度も後悔し、何度も葛藤した。ナナが死なずに、今を楽しく生きていること。それが、幸福なのか不幸なのか。
絶望から人類を救うために人類を滅ぼそうとするマジマジ。
その選択は、間違っていないはずだった。
正しいと信じていた。
それでも、マジマジは迷うのであった。
そして、月日は流れ。
センが死んだとの報告が、ナナの元に届いた。
クロムという女に、殺されたという。
「センおにいちゃんが……? うそ……」
大切な人を失い、悲しみと絶望に沈むナナ。
普通の人なら、涙を流したりして感情を爆発させるだろう。
しかし、ナナは違った。
「ころさなきゃ……センおにいちゃんをうばったひと……ころさなきゃ」
ナナの心は殺意で満たされていた。復讐や怒りの感情ではない。ただ、『悲しいから殺す』という己の価値観に従っただけだ。
その思考しか、ナナは持っていなかった。そういう行動しか、ナナは選択できなかった。
かくして、ナナはクロムを殺すために影宿に向かった。
純粋で、汚れた、殺意を胸に。
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