第184話 「影宿の夜」
温泉での一件が収束した後、俺はユリーナとミミ、アレイシアと一緒に、女子用の部屋で休憩していた。戦いの疲れが取れていないので、大人しくしておこうという訳だ。
男子メンバーは、男子用の部屋で休んでいるはずだ。今日はもう疲れたし、早めに寝ようかな。
「その前に、トイレに行っておくか」
16歳にもなってお漏らしとかしたら大変だからな。
16歳にして人前での放尿をしてしまったユリーナの前では、そんなことは言えないが。
トイレは、部屋から近い所にあった。移動に時間がかからなくて楽だ。そういえば、ユリーナが『エリックさんはトイレマニアの変態さんですよ!』とか言ってた気がするが、あれは何だったんだろう。エリックはトイレが好きなのか? 別に、トイレに造詣が深くても、変態ではないと思うが。
ま、それはともかく。出すものを出してしまおう。
無駄のない動きで用を済ませた後は、部屋に戻るだけだ。
帰りの廊下を歩いている途中で、人影が見えた。ウォレット・ミカウツが、ベランダにて物思いにふけているようだ。何を考えているのやら。
「何してるんだ、ウォレット」
俺はウォレットの近くに行って、声をかけた。ウォレットは俺に気が付くと、振り向いて答えた。
「やあ、クロム嬢。ちょっと、外の景色を見ていたんだ。それより、先程の戦いでは怪我が無くて何よりだ。疲れは取れたかい?」
ウォレットは椅子に腰掛けながら、宿の外の風景を見ていた。何の変哲も無い、草原が広がっていた。人けは無い。地味で静かな光景だった。
ウォレットは俺の分の椅子も用意してくれて、座るように促した。俺はお礼を言って、その椅子に座る。
「幸いにも、強敵じゃなかったからな」
「そうだね。君が苦戦する強敵なんて、世界に数えるほどしかいないんじゃないかな?」
「褒めても何も出ないぞ」
だが実際、俺が苦戦する敵と言ったらオーディンくらいしかいないかも知れない。あと、セン。
ロマノやアレイシアなら、実力は互角だ。ほとんどの相手には、条件が悪くない限りは勝てると思う。
しかし、ナナよりも強力な竜人が現れた時、俺は勝てるだろうか。敵の実力は未知数。また執念の手が竜人を差し向けてきた時、苦戦を強いられないとも限らない。
「何も出なくてもいいさ。僕様が言いたいことを言う。それが、僕様にとっての『利益』だよ」
「お前らしいセリフだな」
「そうさ。理想も現実も見られる、天才かつエリートの僕様らしい」
相も変わらず、自信が服を着て歩いているような男だ。
「そういえば、お前の本職は大丈夫なのか? 俺達と一緒に行動して以来、本来の仕事を出来ていないような気がするが」
「ああ、問題ないよ。前にも言ったと思うが、僕様がいなくても会社は成り立つ。そもそも、僕様の仕事は主に、『会社を立ち上げる』ことと『商売を軌道に乗せる』ことくらいさ。会社の経営がある程度上手くいったら、仕事を現場に任せる。それの繰り返し。僕様は会社の代表者……いわば象徴としての意味しかなくなるのさ」
「それってつまり、会社が儲かり始めたら何もしなくなるってことか?」
「何もしないってことはないよ。でも、かなり仕事量は少なくなるね。企業に大まかな命令を下したり、問題が起きた時は責任を負ったり。そのくらいはしている。100近い数の会社を経営しているんだから、全部の会社の面倒を一から十まで見る何て不可能さ。『忙しさなど、なんとでもなる』とは言ったが、流石に限度ってものがある。僕様は天才だけど、超人じゃない。多くの種類の小さな仕事をこなすのが、僕様流の働き方さ」
「なるほどな。詳しくは分からないが、時間の使い方が上手いのは、なんとなく分かった」
俺が言うと、ウォレットは愉快そうな笑みを浮かべた。
「そうともさ。僕様を見直したかな?」
「最初から、お前には一目置いてるよ」
ウォレットが凄い人間だってことは、重々理解している。
肩書きや身分だけでなく、実力も高い人物だ。
「なら、僕様の妻になってくれないかな」
「それは前に断っただろ?」
「うーん、残念。僕様の魅力を理解しておきながら、結婚の誘いを断るなんて。君はそこらの女性とは違って、難攻不落の要塞だよ」
「要するに、簡単に心を奪えないってことだろ?」
「そういうこと」
しつこくないアプローチは、割と好感的だ。だが、やはり俺は誰かの唯一の存在になる気はない。
まだ、あの時のことが心から離れないから。
「じゃあ、そろそろ俺は部屋に戻る。眠くなってきたからな」
「どうせ、熟睡はしないのだろう?」
「ああ。警戒を怠らず、浅い休憩を取らせてもらうよ」
そう言って、俺はウォレットと別れた。まっすぐに女子部屋に戻って、床に寝転ぶ。
「お帰りなさい、クロムさん!」
ユリーナの元気な声で迎えられた。夜だというのに、あんまり疲れを感じさせないな。
「俺はもう寝る。お前達も夜更かしするなよ」
「もう寝ますか? じゃあ、私を抱き枕にして下さい!」
「お断りだ」
抱き枕志望のユリーナを置いておいて、俺は瞼を閉じた。
脳裏に、一日の出来事が浮かんでくる。今日はいろんなことがあったな。
道端で眠るアレイシアを発見したり、ウォレットが仲間になったり、ファティオを助けたり、オーディンと戦ったり、ナナと戦ったり。
疲れが溜まりそうなイベントがたくさんだった。
「だったらクロムさんを抱き枕にしちゃいます! ぎゅーっと!」
テンション高めのユリーナが、寝ている俺に抱きついてきた。また疲れそうな出来事が増えた。
でも振り払うのもめんどくさいので、俺はそのまま睡眠へと移った。
周囲への警戒を継続しつつ、不十分な休息へ。




