第183話 「マジマジとナナ」
マジマジとナナがオーディンから逃げ出した、その後のこと。
二人は、移動用のドラゴンに乗って空を飛んでいた。
行き先は決まっていない。どこだっていい。どこでも同じだ。
ただ、マジマジの怪我を治せる場所が望ましかった。今は止血を済ましてあるが、感染症のことを考えると、傷は完全に塞いでおきたい。
影宿から離れたところにある、小さな廃村。誰も住んでいない村に、マジマジとナナは着陸した。
村の診療所だった場所を探せば、治療の道具が見つかるかもしれない。住人が全滅した村でも、道具くらいは残っているはずだ。
「あったよ、マジマジおじいちゃん!」
かつて診療所を営んでいた建物に入り、ナナは消毒薬を見つけた。
「ありがとう、ナナ」
マジマジはそれを受け取り、オーディンに斬られた箇所に塗った。これで、病気になるのは防げそうだ。
「マジマジおじいちゃん、だいじょうぶ?」
ナナが心配そうに見つめる。マジマジは笑顔で返答した。
「ああ、問題ない。ナナこそ、大丈夫か?」
「うん! あたち、『りゅーじん』だもん!」
『竜人』の再生能力を持つナナは、既に傷が完治していた。オリジンピースを全員殺された今、ナナは無力な少女だ。ただし、高い身体能力と再生能力を持っている。
「……そうだな。竜人だからな……」
いくら強い力を持っているとはいえ、ナナはまだ6歳の少女。戦いに向いているとは言えなかった。
それでも、ナナは『執念の手』として、殺人活動に勤しんでいる。この娘が、殺人しか知らない純粋な心を有しているが故に。
「ナナ。お前は、『竜人』になったことを後悔しているか?」
竜人化することは、大きなデメリットを伴う。幼いナナが、人間としての人生を堪能する前に、竜人になってしまったこと。
もしかしたら、ナナは後悔しているかもしれない。マジマジはそう思ったのだ。
「ううん。こーかいしてないよ? りゅーじんになったから、ナナはつよくなったもん! これで、ナナもセンおにいちゃんみたいにひとをころせるね!」
ナナは屈託のない笑顔で、答えた。
強さの代償として背負うものなど、ナナには見えていないようだった。彼女は殺すことしか頭にない。そういう育ち方をしてしまったから。
「……儂はな。本当は、世界が幸せになる未来を探っておった。儂の研究が人類を救えると、信じておった。だがな。儂の観察眼は、この世の未来を知ってしまったのだ。人々に救いがもたらされることはない。未来には絶望しかないと。だから儂は、世界が絶望する前に、人類を滅亡させようと考えた。せめて、苦しむ前に死んでいって欲しいと。儂の行動は、今でも正解だと疑っておらん。だが……しかし……」
マジマジはナナの手を握った。暗い瞳で、小さな希望を見つめながら。
「お前のような子供を見ていると……儂の心は惑うのだ。子供達が幸せに暮らせる世界が欲しかったのに……お前のような、悲劇の子供が生まれてしまう。儂は、希望を捨てたはずだ。未来を諦めたはずだ。なのに、儂はまだ、僅かな可能性を見つけ出そうとしておる。愚かなことだ。今更、こんな人殺しに、希望などあるはずが無いというのに」
マジマジの言葉をよく理解できず、ナナは首を傾げた。
「えーっと、どういうこと? あたち、ひげきのこどもじゃないよ? ひとをころすのはたのしいし、かなしくなんかないよ?」
「それが悲劇なのだ。『執念の手』に育てられたお前は、殺人鬼に囲まれて生きてきた。その結果、お前は人を殺すことでしか感情を整理できなくなった。嬉しくても、悲しくても、辛くても、困っても、人を殺すことしか考えなくなった。同じ年頃の子供は、他のことで人生を謳歌しておるのだぞ。家族と会話したり、友達と遊んだり、自然と戯れたり。なのにお前は、人殺しだけを楽しんでおる。汚れた殺意のみに支配された、純粋な精神だ。これを悲劇と言わずして何と言う!」
マジマジが叫ぶと、ナナは怯えて尻餅をついてしまった。慌てて、マジマジは謝罪をする。
「す、すまなかった。儂としたことが、子供に怒鳴ってしまうなど」
ナナは、不思議そうに聞いてきた。
「え? ひとごろししかしらないのはひげきなの? マジマジおじいちゃんは、ひとをころしたくないの?」
「儂は他の連中とは違う。望んで人殺しになった訳ではない。これは儂の使命なのだ」
誰に命じられた訳でもない。自分が自分に課した使命。
絶望の未来から、人々を解放すること。
その答えを、ナナは理解できなかった。マジマジが殺人を好んでいない。そんなこと、あるはずないと。
「なんで? なんでなの、マジマジおじいちゃん! センおにいちゃんも、スーニャおねえちゃんも、テマネスクおじさんも、ベシムおじいちゃんも、みんなひとごろしがすきだったよ? なんでマジマジおじいちゃんはちがうの? そんなのおかしいよ! ねえ、なんで?」
自分の知らない事実が怖い。自分の価値観が他者の価値観と異なると怖い。理解の範疇を超えるのが怖い。
異物を受け入れ難い純粋な彼女は、感情のままに叫んでいた。
「ナナ!」
マジマジはナナを抱き締めて、彼女の心を抑えた。
「……マジマジおじいちゃん」
「すまなかった。儂が、お前を育てなければ。お前を、幸せな家族の元に預けていれば。お前は、殺人以外の幸福を見つけられたかもしれないのに。儂のエゴのせいで、お前の人生は狂ってしまった。本当に、すまない……!」
自分の過去も、現在も、未来も。全てを見通せるはずの、マジマジの観察眼。それでもなお、マジマジは迷いの中にいた。こんな感情、何年ぶりだ。迷いなく完璧なシナリオを歩いていたはずのマジマジに、後悔が生まれていた。
いや、本当は知っていた。この『今』も、この先の『未来』も。知っていながら、マジマジは後悔する道を選んでしまった。
自分への強い糾弾を込めて、マジマジは力強くナナを抱き締めた。
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