第181話 「クロムの選択」
「どういうつもりだ、クロムよ」
手を掴んだ俺に対し、オーディンは鋭い視線を向けた。
邪魔をするな、とでも言いたげに。
「前に、俺に言ったよな。『堂々と躊躇わずに人を殺せる方が、よっぽど情けない』と。お前は、殺人を躊躇した俺を肯定してくれた。人を殺す必要は無いと、そう言った」
「……なんだ、覚えていたのか。確かに我が輩はそんな言葉を吐いたが、それがどうした。あれは、貴様が手を汚す必要は無いと言っただけで、我が輩が人を殺すことまで否定した訳では無い」
「同じことだ。俺が殺すのも、誰かの殺人を見て見ぬふりをするのも、同じだ。俺はもう決めたんだ。人を殺したくない。人殺しを認めたくない。だから、俺はお前を止める。『ジャンバラ』を鞘に収めろ、オーディン」
だが、オーディンは剣を握ったままだった。
「この二人を見逃せば、どこかの誰かがこいつらに殺されるかもしれない。結果として、人が死ぬのだぞ。貴様の言っていることは、その場限りの救命に過ぎない。大局的に見れば、より多くの人間を殺すことに繋がる。それは矛盾ではないか?」
オーディンの言い分も理解できる。殺人鬼を野放しにすれば、無関係の誰かが死ぬかもしれない。それは分かっている。目先のことしか見えていない訳じゃない。
でも、それは殺人を正当化する理由にはならない。たとえどんな人間であれ、『殺していい人間』なんて存在しない。
過去の俺は、自己中心的な『正義』を盾にして、自分の犯した罪を正当化しようとした。主観的な倫理を以て、自分は悪くないと思い込もうとした。
でも違うんだ。そんな都合のいい理屈で、殺人を認めていいはずはない。
自己防衛に夢中だった、あの頃の俺。心の弱い俺。昔の自分は、とうに否定してやった。今の俺は、強い信念がある。
俺の眼の前で、人を殺させない。
「……俺は完璧な人間じゃない。強くなりたいと思っていても、弱いままだ。この前だって、俺の目の前で人が死んだ。俺のことを友達だと言ってくれた人を、守れなかった。もう、嫌なんだ。俺の弱さが原因で、人が死ぬのは。眼前の死を、『仕方ない』と諦めるのは」
「貴様は優しい人間だが、甘いのだな」
「そうだよ。甘ったれだ。俺はアイズに入団したのだって、人を守るためじゃなくて、自分を守るためだ。臆病者の自分を、強くしたかったからだ。本当は、優しくもない。優しくありたいとは思っているが、俺は清く正しい人間なんかじゃないんだ。何度も葛藤して、何度も間違った。みんなに褒められるような、大した存在じゃない。だが、その弱さを言い訳にして、選択を放棄したくないんだ。今の俺は、決断した。『人を守る』と決めたんだ」
「……それが貴様の答えか」
オーディンは剣を鞘に収め、マジマジとナナを見下ろして言った。
「去れ。我が輩が再び剣を抜く前に」
マジマジとナナは逡巡せずに、乗り物ドラゴンの上に跨った。そして、一度は外れた鎖を、また体に巻きつける。
「後悔しても知らんぞ。……だが、一応礼は言っておこう。さらばだ、クロム」
マジマジは渋い顔をして言った。マジマジとナナを乗せたドラゴンは、空高く飛来する。『ジャンバラ』の後遺症が残っているのか、多少フラフラした飛行だったが、墜落することなくこの場から離れていく。
地面には、マジマジから流れた血が少しだけ落ちていた。
「これは我が輩の気まぐれだ。貴様の信念に突き動かされた訳でも、悪の心を捨てた訳でも無い。断じて違う。気まぐれは二度と無いと思え。『人の命を守る』という、その意思……いつまでも貫けると思うなよ。いつか貴様は、二つの悪路を前にする。どちらを選んでも後悔しか残らん」
オーディンが言いたいことは分かる。優しい未来が待っているとは限らない。絶望的な二択を迫られることもあるだろう。
それでも、俺は……。
「そうやって消去法的に未来を捨てた結果、俺は自分の弱さに苦しめられた。俺は、誰かを守れる人間になりたいんだよ。ロマノのような、強い女に」
「…………そのような言葉が吐けるから、貴様は強いのだろうな」
オーディンは崩壊した温泉の壁を見て、一言呟いた。
「殺し合いは終わりだ。さっさと壁を直すぞ。この宿を壊されたままでは、我が輩が損を被るからな」




