第178話 「竜人」
オーディンの妻、シエル。かつて、ラトニアの浜辺で会ったことがある。ほんの、少しの時間だが。
こげ茶色のセミロングヘアー。大人びた顔立ち。落ち着いた雰囲気。
この少女が、何の用でここに。
「シエル? 聞かぬ名だな。それに、オーディン・グライトの妻? 貴様は結婚可能年齢に達していないように見えるが……」
確かに、シエルの身長は120センチメートルくらいで、幼い少女のような見た目だ。だが、見た目で人を判断すべきでないのは百も承知。サジェッタの例もある。シエルもきっと実年齢は高いに違いない。
「はい。ワタシは12歳なので、オーディン様とは正式な夫婦ではないですね。事実婚というやつです」
本当に子供だった。ということは……やはりオーディンはそういう性癖なのか?
「ほう、事実婚か。まぁ、そんなことはどうでもいい。貴様、『竜人』の名前を何故知っている。この研究はごく一部の者しか知らぬはずだが」
マジマジが問うと、シエルはすぐに返答した。
「答える必要はありませんね。ご自分で考えたらいかがですか? 観察と推測がお得意なんでしょう?」
シエルの答えにマジマジは不機嫌そうな表情を浮かべたが、すぐに真顔に戻って言った。
「その通りだな。我ながら、愚かな質問であった。だが、この質問には答えてもらうぞ。『イーヴィル・パーティー』も、ナナに危害を加えるつもりか? もしそうならば、対処をさせてもらうが」
「そのつもりはありませんよ。ワタシは、温泉の方が騒がしかったので様子を見に来ただけですから。しかし、『執念の手』が『竜人』を所有しているとは知りませんでした。実用化できる程に研究が進んでいたのですね」
シエルは『竜人』について何か知っているようだった。だが、彼女は多くを語ろうとしない。
「そうだ。かの中央都市の天才科学者が生み出した、大量殺戮技術。我々が有効活用させてもらっているぞ」
科学者、という単語が頭を何度も巡回した。シエルもマジマジと同じく白衣姿なので、おそらく科学者なのだろう。ここ最近、俺は『天才科学者』という言葉を耳にしたはずだ。チェルド大陸のラトニアの街にある、俺達のアジトで。
カインズの妹であるはずの、天才科学者少女のことを。
「その『天才科学者』の名前は……もしかして『ノーラ・ハルバート』か?」
ヴィルカートスが言っていた、ヴィルカートスの『三人目の子供』。人々の記憶とあらゆるデータから自分の存在を消し、行方をくらませた天才科学者ノーラ。俺達クロム隊は、ヴィルカートスからノーラの捜索を依頼されていた。シエルとマジマジの二人なら、ノーラについて何か知っているかもしれない。
俺の質問に、シエルとマジマジが眉を動かした。二人とも、『ノーラ』の名について知っているのか。
マジマジは俺の方を見て、答えた。
「よく知っているな。貴様の言う通り、『竜人』を作る技術はノーラ・ハルバートが完成させたものだ」
やはり。
様々な研究に携わっていたとされるノーラなら、『竜人』とやらの研究に関係していてもおかしくなかった。
だが、マジマジの返答をシエルは否定した。
「違います。違いますよマジマジさん。ノーラは『竜人手術』の基礎理論を提唱したにすぎません。『竜人』の技術を完成させたのは、ノーラの母親。ルナロード・ジニアスです」
ノーラの母……つまりはヴィルカートスの第二の妻ということか。
ルナロード・ジニアス。苗字がハルバートでないのは、二人が結婚していないからなのか。ルナロードとヴィルカートスも、シエルとオーディンのように、事実婚かもしれない。ヴィルカートスがノーラのことを話す際にルナロードの話をしなかったことから推測するに、ルナロードもまた、ノーラと同じように人々の記憶から抹消されているのだろう。
記憶と記録から消えた親娘。闇と謎に包まれた存在だ。
その親娘のことを、何故シエルは知っていたのか。
「ルナロード・ジニアスだと? 戯けたことを言うでない」
マジマジは顔にシワを寄せて言った。
「戯けたこと? 何故そう思うのです?」
シエルは不思議そうに聞いた。すると、マジマジは答える。
「何故かなど言うまでもない。ルナロードに竜人が作り出せるはずがないのだ。ルナロードは50年前の『はじまりの日』に、死んだのだからな」
○お知らせ
6月21日(火)は、連載をお休みします。22日からは再開します。




