第170話 「エリックの覗き大作戦」
クロム達が温泉を嗜んでいた頃。
エリック・ドールは葛藤していた。
無駄と分かっていつつも、己の欲望が命じるままに冒険に挑むか。それとも、理性の導くままに危険なき道を歩むか。
要するに、クロムのいる風呂を覗くか覗かないか迷っていたのである。
「うーん、どうしようか……。悩みどころだぜ……」
かつて、エリックは何度もクロムの裸を覗こうとしてきた。だが、圧倒的な警戒力を誇るクロムの前では、全ての挑戦が無に帰する。
安易に風呂場に侵入しようものなら、即座に見つかってお仕置きだ。エリックとしてはクロムのお仕置きされるのはむしろご褒美なのだが、痛めつけられるだけでは満足できないのが男というもの。
何としても、あのスラリとした裸体を拝みたい!
だからエリックは悩んでいた。迂闊に覗きを行っても、失敗に終わるのは火を見るよりも明らか。クロムの警戒心に悟られぬよう、策を練らねば。
楽園は生半可な手段では到達できない。
「まずは、温泉付近の地理情報を把握しねぇとな……」
考えていても始まらない。エリックは男子用の大部屋を出て、行動に移った。
「あれ、エリック。どこ行くの?」
部屋でくつろいでいたカインズが、エリックに気付いて声をかけた。
まずい。ここで「風呂を覗きに行く」なんて言ったら、全力で止められることは間違いない。
嘘を吐いて誤魔化す他なし。
「ちょっとトイレに行ってくるぜ」
「ふーん」
カインズはエリックの顔をじっと見た。
カインズはクロムに『嘘の見抜き方』を教わっている。ここでエリックが動揺を露わにしたら、嘘がバレてしまう。
「……そう。行ってらっしゃい」
だが今のカインズの熟練度では、エリックの本心を見抜くことは出来なかった。
笑顔でエリックを見送るカインズ。
エリックは内心で喜びながら、部屋の外に出た。
すると、カインズが慌てて引き止める。
「あ、待ってよエリック。トイレはそっちじゃないって」
カインズはエリックが向かった先とは反対の方向を指差した。温泉へと続く裏口と、トイレの場所は反対だ。
「トイレは向こうだよ」
優しい声色でトイレの場所を教えてくれるカインズ。
またもやピンチだ。さらなる嘘を重ねて、窮地を切り抜けなければ。
「いやぁ……向こうにもトイレはあったような気がするぜ……?」
「え、そうなの? でも、こっちのトイレの方が近いって」
カインズは温泉とは反対の方のトイレを勧める。近い方のトイレに行かないと答えれば、違和感を持たれてしまうだろう。
「いや、その……向こうのトイレの方がかっこいい形状してんだよ。ほら、俺ってトイレマニアだから、かっこいいトイレに目がなくてな……」
エリックの吐いた嘘は、あまりにも不自然なものだった。エリックはトイレマニアではないし、トイレの形状にこだわったことはない。
カインズは訝しむ表情をして、「えっ、そうなの……?」と答えた。
「そ、そうだ! 俺はトイレが大好きなんだ!」
若干ヤケになったエリックは、勢い余って変なことを口走ってしまった。
エリックはトイレに興味はない。クロムの使用済みトイレにしか興味はない。
「そう……なんだ……。君と一緒にいて4年近く経つけど、エリックがトイレに造詣が深いなんて初めて知ったよ……」
仲間の意外な一面を見て、驚きを隠せないカインズ。
もちろんその『一面』は偽物である。
「お、おう! というわけで俺は最高にクールなトイレを求めて冒険してくるぜ! じゃあな!」
やや強引に話を切り上げ、エリックはトイレ……ではなく温泉に向かった。端から見ればエリックが酔っ払っているようにも見えるだろうが、エリックは素面である。酔いの入った状態で覗きを決行するようなエリックではない。
「ふぅー、なんとか乗りきった」
温泉へ続く裏口に着いたエリック。その近くには、飲料を売る自動販売機がある。長期保存用の入れ物に入った水やジュースが、いくつも売られていた。
そして、自動販売機の前で酒を飲む中年男性が一人。
イーヴィル・パーティーのボス、オーディンであった。
「アンタは……イーヴィル・パーティーのボスじゃねぇか」
エリックは敵意を露わにししオーディンを睨んだ。クロムから「イーヴィル・パーティーのメンバーも宿泊している」という情報は聞いていた。できれば遭遇したくなかったが……。
「むぅ? 貴様はクロムの部下か。名前は……何といったかな」
エリックに気付いたオーディンは、酒を飲みつつ尋ねた。
「俺はエリック・ドールだ。クロム隊のエンジニアだぜ」
「エリック……エリックか。どこかで耳にした名前だな。うむ、思い出せん」
オーディンは顎に手を当てて記憶を探ったが、答えは出なかった。
「まぁいい。して、エリックよ。この先には温泉しかないぞ? しかも今は女達が入浴している」
オーディンはエリックの目を見ていった。オーディンは既に、エリックが何のためにここに来たのか気付いている。
「知ってるぜ。だからこそ来たんだ。クロムの美しい肌を、この目で拝むためにな!」
エリックのだだ漏れの欲望を聞いたオーディンは「ほう」と不気味に笑った。
「だがクロムは警戒心が強く、気配を察知することに優れている。そう簡単にはいくまい」
「あんたに言われなくたって分かってるよ。だから、いいアイデアがないか考えてるんだぜ」
「ふむ。では『我が輩なら貴様の願いを叶えられる』と言ったらどうする?」
オーディンの言葉に、エリックは少し眉を動かした。
「何?」
「我が輩はあらゆる悪事に精通している。当然、覗きもお手の物だ。エキスパートと言ってもいい。我が輩に従えば、クロムの裸を見るなど造作もない」
「だっ、誰がテメェなんかと……」
「別にイーヴィル・パーティーに加入しろと言っている訳ではない。少しだけ手を貸してやろうと言っているのだ」
エリックに突きつけられた究極の選択。悪魔の手を借りるか、無謀な覗きに挑むか。
一時の協力とはいえ、悪の化身の言葉に耳を傾けるのか。
手を伸ばせば、希望はそこにある。
エリックが出す答えは、一つしかなかった。
「悪いが……イーヴィル・パーティーのボスと手を組む気はないぜ。俺は俺のやり方でクロムの裸体を見る」
ここでオーディンに教えを乞えば、クロムの裸を易々と拝めただろう。だが、それでは男の意地が許さない。
自分の力で楽園を目の当たりにしてこそ、エリックの魂は満足できるのだ。
「そうか。我が輩も嫌われ者だな」
そう言うオーディンの顔は笑っていた。まるで、嫌われることに喜びを感じているように。
「ならば貴様のやり方で、望むものを手に入れてみせろ」
オーディンは自分の部屋に帰って行った。その後ろ姿を見つつ、エリックは拳を握りしめた。
「あぁ、やってやるよ。これが俺のやり方……俺の覗きだ!」
クロムの周囲への警戒は伊達じゃない。昔、エリックが小型無人飛行機で風呂場の撮影を試みた時も、すぐに見つかってしまった。ただ単に撮影用機械を用いただけでは、覗きがバレてしまう。
人や機械が近付けばバレる。ならば、わざと存在をバラしてしまえばいい。
エリックの作戦はこうだ。まず始めに、小型の機械を温泉付近に設置する。音を発する機械を置いて、わざとクロムに気付かせる。風呂に入る女達はその機械の音に注目するだろう。だがそれは囮。囮の機械に注意を注いでいるうちに、エリックがクロムの裸を覗く。クロムの警戒心を利用する寸法だ。
だが、この作戦には欠点がある。
一つは、囮の機械を設置する際に気付かれてしまう可能性。その時点でエリックの存在がバレては、元も子もない。
二つ目は、温泉を覆う壁だ。2メートルくらいの壁なので、身長175センチメートルのエリックでは、温泉の中が見れない。しかしこの問題は、椅子などを足場に使えば解決する。椅子の上から壁の向こうを覗けばいいのだ。
ちなみに、機械の材料は足りている。音を出すだけの単純な機械なので、エリックが持ち歩いている工作素材だけで十分制作可能だ。
不安要素のある作戦だった。しかし、やらなければ覗けない。行動あるのみだった。
「脱衣所には誰もいない……っと」
エリックは温泉の脱衣所に足を踏み入れた。女子達は全員温泉にいるので、脱衣所に人はいない。その隙に、エリックは囮機械を置いた。制作時間、なんと1分。すでにある部品をくっつけるだけだったので、あっという間に完成した。
作戦は次の段階に移行する。エリックは脱衣所を後にして、囮機械から遠い場所に移動した。やや高い壁が視界を遮るが、用意した椅子に登れば、中の様子を見ることができる。
ちなみに、脱衣所に来た時点でクロムの下着の匂いを嗅いでおけばよかったと、エリックは後悔することになるのだが、現時点ではそのことに気付いていない。
さぁ、あとは囮機械のスイッチを押すだけだ。このスイッチを押せば、脱衣所にある囮機械が音を出す。クロム達が囮の様子を見に行った隙に、風呂場を覗く。
今こそ、作戦実行の時。エリックはスイッチに手を伸ばした。
だが。
「さっきから……視線を感じねぇか?」
サジェッタが、鋭い殺気を放ちながら言った。
まずい、覗きがバレたか!? エリックは慌てて椅子から降り、その場を離れた。
「隠れてるつもりか? 甘ぇんだよ!」
サジェッタは素早く脱衣所まで走り、サジェッタの愛用武器『天の邪鬼の鞭』を掴む。
「くたばれ!」
サジェッタは『天の邪鬼の鞭』を勢い良く振るう。空気を裂く音が鳴り、鞭が一瞬で温泉の壁を貫いた。
硬い物が壊れる大きな音。エリックは命の危機を感じて伏せた。
だが、違和感を覚えて、後ろを振り返る。
サジェッタの鞭は、エリックのいた場所とは反対の方向に穴を開けていた。
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