第169話 「影宿の温泉」
チェックインを済ませ、用意された部屋へと向かう。オーディンに用意された部屋というのが癪な話だが、特段悪質な部屋でもないので、文句は言わないでおこう。
部屋の数は少ないので、全員分の個室を用意するのは不可能らしい。よって、俺達には男子用の大部屋一つと、女子用の大部屋一つを使わせてくれた。俺達は男子四人と女子四人。ちょうどいいな。
「宿の裏口付近には、温泉がある。好きに使え」
オーディンからはそう教えられた。「好きに使え」って、ここはお前の宿じゃないだろ。
裏口に行ってみると、確かに温泉は存在した。脱衣所がきちんと用意されているし、風呂場には囲いがあって外から見えないようになっているし、掃除も徹底してあるし、広いし、なかなかいい風呂じゃないか。
お湯に触って湯加減を確認してみたら、ぬるすぎず熱すぎずの、いい湯加減だ。
唯一心配なのは感染症だが、そこはミミが解決してくれた。
「わたしの薬を使えば、温泉に病原体がいないか調べることができます。15分程度で終わるので、少し待っていて下さい」
ミミはポーチから薬品をいくつか取り出して、何やら調査を始めた。床に散布したり、青色の紙に液体を垂らしたりしている。あれで衛生面の調査ができるらしい。
ミミの技術と知識には、いつも助けられているな。優秀な仲間がいて、本当に良かった。
「大丈夫です。ここの温泉は安全ですよ」
15分後、ミミの環境調査が終わった。この風呂に入ってもいいということなので、俺達は服を脱いで湯船に浸かった。
「はぁー、いいお湯ですねー」
ユリーナは恍惚とした表情を浮かべて温泉を堪能していた。
「ああ、確かにな」
影宿の説明を聞いた限りでは、悪質な宿だと思っていたが、割といいところじゃないか。ウォレットは「宿の質は低い」って言ってたのに……。まぁ、大金持ちのウォレットの基準ではこの程度は『悪質』なんだろう。野宿慣れしている俺からすれば、十分なんだがな。
ウォレットの経営する宿はかなり素晴らしい宿だったし、それと比べれば影宿は低質に見えても仕方ないか。
「ぷはぁー、体の芯まであったまるわぁー。これで酒があったらこの上なく最高なんだけどねぇ」
アレイシアは顔を火照らせながら、またおっさんみたいなことを言っていた。
生憎だが、酒は持っていない。酒が欲しいと言っただけで酒が手に入る訳じゃあるまいし……。
「あるぜ、酒」
温かい温泉の中に酒瓶が放り投げられた。ドップンと豪快な音を上げて、水しぶきが飛ぶ。
俺の背後には、サジェッタ・ナリエシルが立っていた。
全裸の姿を見ても、やはり幼い少女にしか見えない。
「アタイの酒だ。簡単には手に入らねぇ高級品だぜ」
サジェッタはお湯に入って、水面に浮かんできた酒瓶を手に取った。
「あらぁ、気が利くわねぇ。アタシにもちょーだぁい」
アレイシアが酒瓶に触れようとすると、サジェッタが酒瓶を遠ざけた。
「ケッ、誰がテメェ等に分けてやるって言ったよ。これはアタイ一人で飲むんだ」
「何よ、意地悪。っていうか、あんた子供じゃない。ダメよぉ、お酒なんか飲んじゃ」
アレイシアは俺と同じ勘違いをしていた。確かに、あの見た目じゃ子供に見えてもおかしくないが……。
「子供じゃねぇよ。アタイは大人だ。もう酒も飲める歳だぜ」
サジェッタは酒瓶の蓋を開けて、グイッとラッパ飲みした。
「ぷはぁ、うめぇ! そんじょそこらの酒とは訳が違う! 残念だったなぁ、テメェ等! この旨さを味わえないなんてよ!」
サジェッタは自慢げに酒の味を語った。俺達に悔しい思いをさせたいんだろうが、微塵も悔しい気持ちは湧いてこない。別に俺達は高級な酒なんかに興味は無いからな。
「あーっ! ずるい! アタシにも飲ませてよぉ!」
そう、アレイシア以外は。
「アタシ達に向かって酒を投げたってことは、アタシにもくれるってことじゃないの?」
「違ぇよ。この酒はあっためると格段に美味くなるんだ。温泉に入りながらの一杯は最高だって、ボスが言ってたんだよ!」
情報源はオーディンか。あいつ、酒に詳しかったんだな。
「いいじゃない、少しくらい! ねぇ、飲ませてよぉ」
アレイシアはサジェッタの体に絡みついて、耳元で囁いた。
「なっ……離しやがれ! ぶっ殺されてぇのか! おい、クロム! このデカ乳女をなんとかしやがれ!」
サジェッタはアレイシアを引き剥がそうと、必死に抵抗していた。
「なんとかって言われてもな……」
どうするべきなんだ、俺は?
まぁアレイシアの無様な姿を見続けるのも嫌だし、サジェッタの言う通りアレイシアを離すか。
「やめろアレイシア。人の物をせびるなんてみっともないぞ」
これじゃぁ、どっちが『イーヴィル・パーティー』だか分からないな。
「……分かったわよぉ」
アレイシアはサジェッタから離れたが、酒に向かって物欲しそうな目線を送り続けている。
その様子を見て、サジェッタは満足そうに酒を飲むのであった。
「しかし、不思議だな。裏の人間が集まる宿って割には、結構清潔だな」
俺が疑問を呈すると、酒を飲み終えたサジェッタが俺を睨んだ。
「テメェ……裏社会の人間にどんなイメージ持ってんだよ……。悪人が全員不潔だとでも思ってんのか」
それもそうか。イーヴィル・パーティーのメンバーも、特に不潔という訳でもなかったな。オーディンに至っては紳士風の見た目だし。怪しい人間が利用する宿とはいえ、汚い訳ではないのだ。
「まぁ、ルトゥギアは衛生団の監視が厳しいからな。少しでも衛生的に問題があったら、奴らがうるさいんだろ」
衛生団……正式名称は『国際医療・衛生機関』。カインズの妹のレイティアが所属する部隊だ。世界中の不衛生な場所を綺麗にしたり、都会で予防注射を実施したり、人類の健康のために活動している組織だ。『はじまりの日』以降に設立され、感染症に苦しむ人々の助けになっている。特定の国家に従属せず、国境を越えて活動する団体だ。
衛生団の監視がある以上、不衛生な温泉を持っていると都合が悪いんだろう。だから、ここの温泉には病原体がいなかったんだ。
世界には、未だに病気の根源が溢れる地域が存在する。感染症は世界的な問題だ。俺の元上司も、感染症で倒れた。
だから、公共の施設を利用する時は細心の注意が必要になる。見知らぬ誰かの病気に感染してしまうかもしれないからだ。
「つーか、クロム」
サジェッタから殺気が放たれる。だがその殺気は、俺に向けられたものではない。サジェッタは鋭い視線で、温泉の外を睨んでいた。
サジェッタが何を言おうとしていたのか、俺には分かった。
常に警戒している俺は、この温泉に走る違和感に気付いていた。
「さっきから……視線を感じねぇか?」
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