第157話 「希望と絶望と希望」
『食べる』。
この言葉の持つ意味を、俺は目に刻みつけることになった。
今ならセンが言っていたことが分かる。
『生きることは殺すこと』。
俺達は皆、生きるために他の生を殺していた。他の生を食べていた。
フロマは、他の生のために命を奪われてしまった。フロマの目にはもう、光が宿っていない。口を開け、天井を見つめたまま、動かなくなってしまった。
食べられてしまった。
「あはははは。死んでしまったか。踊り食いの時間は終わりだ。でもまだまだまだ! 楽しいお食事は終わらない!」
生を終えたフロマを、途切れることなく噛み続けるモーグモ。
俺は、フロマを助けられなかった苦しみを、噛みしめることしかできなかった。
手足にどんなに力を入れても、俺を縛る手錠はビクともしない。
俺もこのまま、食われてしまうのか……。
その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「失礼しますよモーグモさん! この僕様、ウォレット・ミカウツがあなたに用があってきました!」
自尊心溢れる大声。ウォレットの声だった。ドア越しでもよく聞こえる。姿は見えないが、自信満々の表情を浮かべているのは想像できた。
助けに来てくれたのか? いや、ウォレットが俺の居場所を知る術があっただろうか。俺がこの部屋に運ばれる様子を見ていたならともかく、そうでないならこの部屋に俺がいることを知らないはず。となれば、ウォレットはたまたまここに来たんだ。
そもそも、ウォレットがなんであの場を離れて単独行動しているんだ。エリックとミミにウォレットの護衛を命じたはずなのに。
「おや? 鍵がかかっている。もしよければ開けていただけないだろうか!」
ウォレットはドアを開けようとしたみたいだが、ガシャンという金属音が鳴り、ドアの動きは止められた。
人を喰うための部屋に鍵がかかってないはずがない。もし見られたら大惨事だ。
「むうぅ……ミカウツ家の次男坊か……。一体何の用でこんなところに……」
モーグモは焦りを見せて呟いた。
このままドアの鍵を開けなかったら、『人には見せられないことを室内でしている』と疑われる。かといって鍵を開ければ、捕まっている俺と足を食われたフロマの死体が見つかる。どちらにせよ、モーグモにとって不利な状況だ。
「ど、どうされましたかな? ミカウツ君」
モーグモの口調は、若干ぎこちなかった。自然な態度を装ったのだろう。
「モーグモさん。アイズの隊員を見ていませんか? 男装をした女性の方なのですが」
ウォレットはドア越しにモーグモに尋ねた。ウォレットは俺を探していたのか。
ここで俺が声を張り上げれば……という考えは読まれていたらしく、ターヴェル夫人は俺の口を強く押さえた。これでは声を出しても「モガモガ」と小さな声を出すことしかできない。
「おお、クロムさんならダンスホールの外に行かれましたよ。お帰りになられたのではないですかな?」
モーグモはしたり顔で答えた。くそっ、やられた。ここでウォレットがモーグモの嘘を信じれば、ウォレットはダンスホールの外に出てしまう。そうすれば、鍵を開けることなくウォレットをこの部屋から離れさせることが可能だ。
「…………そうですか。情報提供、感謝しますよ! それでは失礼します!」
そう言ってウォレットが遠のく足音が聞こえた。
ああ、くそっ。望みが絶たれた。
小さな希望が消え、また絶望へと墜ちていく。
「さてさて。そろそろ冷蔵庫の中身を片付けないとな。この男装女をバラさないといけない」
モーグモはフロマを喰うのを中断し、ターヴェル夫人と協力して冷蔵庫の中身を箱に詰めていった。『輸出用』と書かれた箱だ。捕まえてきた人間の肉をあの箱に入れて、他の国に売っているのか。人体を輸出しているという、信じがたい現実。滅びかけのこの世界の、闇そのものだった。
冷蔵庫が空になるまで、その作業は続いた。モーグモは「ふう」と一息ついて、俺の方を見た。
「お待ちかね。解体ショーだ。まな板の上の鯉でい続けたのは苦しかっただろう。今、楽にしてやる」
モーグモは1メートルくらいの大きさの包丁を手に取り、俺に近付いた。
もはや人間の温かみの無い、冷酷な眼差しで俺を見つめ、包丁を振りかざす。
そして……。
ドアが轟音と共に吹き飛ばされ、壁に突き刺さった。
「何ぃ!?」
慌ててドアを見るモーグモ。その先には、アイズの制服を着た青年が一人、足を突き出したポーズで立っていた。
彼は、優しく温かな笑顔で言った。
「カインズ・ハルバート。あなたを助けに参上しました」




