第152話 「クロムの消失」
クロムとユリーナが悲鳴の元へ向かった後、カインズは高くジャンプして近くの大木の枝の上に乗った。約50メートルの地点から、ダンスホール全体を俯瞰する。見た限り、大した違和感は無かった。ダンス会場の建物が見えるだけ。
そして、カインズが木に登って間もなく、会場に放送が鳴り響いた。不審者が出現したという。外部から侵入した輩がいるのなら、今の放送を聞いて外に逃げようとするかもしれない。そう思ったカインズは、注意深く会場を見渡した。
エリックとミミは、ウォレットを守るために待機していた。今後の協力者となるウォレットに、不測の事態があってはならない。そう警戒していた。
だが、ウォレットは言った。
「君達は僕様を守る必要はないよ。僕様は一通りの格闘技を習得している。自分の命という財産を守るためにね。クロム嬢やカインズ程強くはないが、凡人共に遅れをとることはないと断言しよう。だから僕様も様子を見に行かせてくれないか。妹の身に何かあったのではないかと、不安でしょうがないんだよ」
ウォレットは過去に何度も命を狙われたことがある。ミカウツ家の次男であり、無数の会社を運営する社長でもあるウォレットは、何かと恨みを買うことも多い。そのほとんどが自分勝手な欲望や理不尽な逆恨みの結果なのだが、ウォレットはそんな怨恨の暴力から自分の身を守ってきた。強盗に襲われた時も、商売敵に襲われた時も、下級貴族に襲われた時も、自分の身は自分で守った。
「てめーが行くってんなら、俺達もついて行くぜ。てめーを守れって命令だからよ」
「わたしも行きます」
エリックとミミはそう言った。まだウォレットを信用しきった訳ではない。強いと言いつつ、本当は大した実力じゃないかもしれない。そう思っていた。
だが、妹の危機を察知した兄の心境を、理解できない訳でも無かった。ウォレットの心中が穏やかでないのは分かる。表情は先程と変わらず明るいが、心の奥では焦っているはずだ。
それでも、ウォレットは冷静に言葉を発した。
「助かる」
カインズは言っていた。『ウォレットはむしろ落ち着きすぎかな。どんなピンチでも、冷静な判断ができる。有能な男だよ』と。その評価に偽りはない。いかなる状況であれ、ウォレットは冷静さを失わなかった。それが『利益』への最善手だと知っていたから。『利益』を追求するウォレットは、クレバーな志を失わない。
「ボクは引き続き会場全体を見張る。みんなはウォレットについて行って。彼の言葉に嘘は無い。ウォレットは強いよ」
カインズは高い木の上からエリック達に呼びかけた。
「そうだとも。君には劣るがね、カインズ」
ウォレットはエリックとミミを引き連れて、クロムが向かった場所へ走った。
時を同じくして、ユリーナはエリック達の元へ駆けていた。
鉄扉の向こうに閉じ込められた、クロムからの指示。
『逃げろ』。
それが意味することは分かっていた。クロムは罠にかけられたのだ。例の不審者が仕組んだものなのか、そうでないのかは分からない。はっきりしている事実は、『クロムが気絶させられて捕まった』ということだ。
クロムはいち早く危機を察し、ユリーナを助けた。その結果、クロムだけが何者かの餌食になってしまった。
一瞬遅れて状況を判断したユリーナは、激しく扉を叩いた。
「クロムさん! クロムさん! 大丈夫ですか!? 返事して下さい!」
返事は無かった。鉄扉を叩く腕が痛くなるだけで、事態は絶望に染まるのみだった。
「クロムさん……」
クロムは無事なのか。それすらも分からない。硬い扉に邪魔されて、愛する人の無事すら確認できない。
自分一人の力では、どうすることもできなかった。そんな時、どうするのが正解かは、もう知っている。
「助けを……呼ばなきゃ……!」
クロムが『逃げろ』と言った。それは、ただ逃げろという意味ではない。クロムはユリーナを信じていたし、ユリーナはクロムを信じていた。だからこそ分かる。
『逃げて、仲間に助けを求めるべき』だと。
ユリーナの判断と行動は早かった。一刻も早くクロムを救出するため、ユリーナは走った。全力で走った。
そして、ユリーナはウォレット達を発見した。
「エリックさん! ミミ! 大変です! クロムさんが!」
その言葉を聞いた時、エリックの表情は険しいものになった。
「クロムに何かあったのか!?」
ユリーナは自分を落ち着かせながら言った。
「クロムさんが閉じ込められました! こっちに来て下さい!」
ユリーナはクロムが気絶させられた部屋にエリック達を案内した。焦るユリーナに合わせて、エリック達も素早く現場に着いた。
そこで、ユリーナは一つの不可思議な点に気が付いた。
「あれ……?」
さっきまで重く閉ざされていた扉が、思いっきり開かれている。まるで扉が気を緩めたかのように、豪快に開いていた。
部屋の中は外から丸見えになった。先程と変わらず、暗くて冷たくて不気味な室内だった。だがそこに、いるべき存在がいなかった。
「クロムさんが……いない……?」




