第120話 「マジマジとスーニャ」
『執念の手』による大量殺人が起きた日の、午後のことだ。
「あははは……痛いなぁ、もう!」
スーニャ・チルは台風に包まれた大地を歩いていた。先程ファティオに撃たれた傷が、まだ痛む。そんなスーニャに追い打ちをかけるように、冷たい雨風はスーニャを襲った。
中央都市の外には草原が広がっていた。果てしなく広い、無人の大地だ。『はじまりの日』以降、このチェルド大陸は寂しい風景ばかりになった。それほど広くない大陸なのに、人口密度は大きくない。この国の人口は約10万人。その内、中央都市の外に住むのはたったの1万人だ。中央都市はともかく、ラトニアやルクトシンなどの街の人口密度は小さい。人けの無い、寂しい風景が多くなるのも当然だ。
ただでさえ人口が少ないところに、『執念の手』がさらに人口を減らした。今回の死亡者は約2万人。たったの5人で、たったの一日で、2万人の人間を殺したのである。世界人口の4パーセントが、呆気なく失われた。
この事実は、世界中を震撼させるだろう。どの国も、『執念の手』の殺意に戦慄した。
彼らの殺意は予想を超え、人知を超え、国境を超える執念なのだ。
「無様にやられたようだな、スーニャ」
低く老いた声。スーニャが振り返ると、そこにはマジマジ・オブズアブが立っていた。
「怪我の様子を見るに、ファティオ・ハージに撃たれたのか?」
ご名答。マジマジの観察眼は、的確に状況を見通していた。
「マジマジお爺ちゃんじゃん! おひさー」
スーニャは激痛を感じさせないような満面の笑みで答えた。
「ファティオの銃撃には気を付けろと教えなかったか?」
「えー、どうだったっけ? 忘れちゃったー」
マジマジはルクトシンでの一件で、アイズの戦力を観察していた。ファティオの狙撃能力についても把握している。
マジマジは止血剤を取り出し、スーニャの傷口に塗った。
「一応の応急手当てだ」
「ありがとー、マジマジお爺ちゃん。でも、この腕はもう使えないかも」
スーニャはファティオに撃たれた左手を揺らした。穴の空いた腕が痛々しい。
「使えない、か。ならば新たな腕を移植するか?」
「うん。それがいいかも。あたしもセンみたいにドラゴンの体をくっつけちゃおうかなー」
「……どうだろうな。上手く適合出来るか分からんぞ。それに……」
マジマジは間を空けて言った。
「儂らが『奴ら』の実験体になるのは、癪に障る」
二人が歩を進めていると、だんだんと晴れてきた。台風が過ぎ去ったのだ。
「まったく、この台風には迷惑させられたよねー。あたしの爆弾が使えなくなっちゃったじゃん!」
スーニャは雨雲に向けて舌を出した。
「って言うか、何で中央都市に台風が入っちゃったの? 何で何で?」
「儂が見たところ、天井のガラスが移動していた。何者かがガラス天井に信号を送り、雨風が入り込むように仕組んだのだろう」
「ふーん。その『何者か』っていうのは誰だか分かったのん?」
「ああ。大方の予想は付いている」
ルクトシン第一バイオ研究所のシステムをハッキングした、あの男……。
エリック・ドールなら、可能だろう。
マジマジはそう推理した。
「マジマジお爺ちゃん。この後はどうする?」
「まずはこの国を発ち、他の『執念の手』と合流する。他国でも仕事はあるからな。それまでにお前は傷を癒しておけ」
「はいはーい。了解ですよん!」
スーニャは元気良く返事をした。
マジマジの頭脳に、カインズの姿が過る。
まさか、カインズがブラッドドラゴンを倒すとは。
マジマジは勝利を確信していた。観察の結果、カインズが敗れると予測した。
だが、自慢のドラゴンは死んだ。マジマジの観察眼が間違うなど、極めて珍しいことだ。
全てを覗き、過去と未来を知る、マジマジの観察眼。
カインズの強さが、マジマジの観察力を凌駕したのだ。
予想外。故に……。
「興味深いことだ」
マジマジは笑っていた。本人は自覚していなかったが、確かに彼は笑っていた。
科学者として、予測が外れたことは悔しい。だがそれ以上に、未知なる事実が登場したことに喜びを感じていた。
知らない。分からない。予測出来ない。
だからこそ、研究は面白い。
法則という固定観念をを打ち破った今日の日を、マジマジは深く噛み締めた。
『執念の手』としてではなく、一人の研究者として、マジマジは笑っていた。
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