第118話 「ファティオの本気」
ファティオ・ハージは目がいい。それも、尋常でなく。
ハルバート家でも、ファティオ程の目を持った人間はいないだろう。ファティオは、クロム隊の中で断トツに目がよかった。
例えば、豪雨で視界が遮られていても遠くの景色まではっきり見える。
例えば、人の表情の細かい変化も把握出来る。
例えば、銃弾の動きをじっくり観察出来る。
例えば、煙幕に包まれた人の様子が鮮明に見える。
そんな優れた目を持っていた。
だが、ファティオは普段、その視力を封印していた。ファティオの眼鏡は特殊な加工が施されている。その眼鏡をかけたら、視界がボヤけてしまうのだ。常人がその眼鏡をかけたら至近距離ですらよく見えないだろうが、ファティオの場合は『ちょっと前が見辛い』程度で済む。言わば、ファティオは眼鏡で視力を抑えていたのだ。
その眼鏡は、今は外れている。スーニャの爆弾によって、壊されてしまったからだ。ファティオは狙撃の腕を上げるために、わざと視界を悪くしていた。どんな悪天候だろうが、どんなに視界が悪くなろうが、確実に狙撃出来るように訓練していた。
そして今、ファティオは真の力を解放する。
「見つけましたよ。爆弾魔さん」
ファティオはビルの屋上にて、長距離用狙撃銃を構えた。ただの銃ではない。ファティオの師匠であり、世界有数のスナイパーである『銃王』から授けられた一品。その名も『銃王の爪』だ。黒光りする、1メートル強の銃。ファティオにとって、思い入れのある武器である。
ファティオの標的……スーニャ・チルは、『セナージ』を持って走っていた。『セナージ』は、鞘に納められている。スーニャはなかなかにすばしっこい。スーニャのいる位置はファティオから1キロメートル以上離れていたが、ファティオにとっては関係無かった。
大きく、重い発射音。ファティオが放った弾丸は、街を駆け抜け、真っ直ぐにスーニャの左手を撃ち抜いた。
「痛ぁっ!」
堪らずスーニャは腕を押さえた。
「何!? 狙撃されてる!? まさか、さっきのお兄さん!?」
スーニャは煙幕を展開し、自分を包んだ。
これで自分は見えない。狙撃は不可能なはずだ。そう思っていた。
「隠れたつもりですか」
ファティオは容赦無く二発目の弾丸を撃った。今度は、スーニャのベルトに命中した。留め具を壊されたベルトは、たちまち緩んで、スーニャの腰から落ちていく。ベルトに装着していた爆弾も、道路に落ちた。
眼鏡を外したファティオに、煙幕など通用しない。全部見えているのだ。煙幕の中に立つスーニャの、動作の一つ一つまで、全て見えているのだ。煙幕の隙間……凡人では絶対に見えない、小さな小さな隙間を通じて、ファティオはスーニャの様子を目視していた。
「あぁっ! あたしの爆弾が!」
スーニャが爆弾を拾おうとすると、銃弾が爆弾を貫いた。今回は、火薬の部分に命中だ。
「なっ……!」
轟音と共に爆発が起こった。スーニャは咄嗟に回避したものの、多少の火傷を負った。
今の爆発で、スーニャの持ち合わせの爆弾はほとんどなくなった。残るは、足に仕掛けている爆弾のみ。
極めて正確な狙撃だった。『銃王の爪』の能力のおかげでもあるのだが、当然、ファティオの狙撃技術があってこその正確さである。
「うわわっ! 酷いよ、アイズのお兄さん……」
スーニャは痛みに耐えながら、ひたすらに走った。爆弾が無い以上、もう中央都市の人間を殺すことは出来ない。ならば、ここは逃げの一手だ。『セナージ』を持って、中央都市を脱出する。それがスーニャに出来ることだ。
しかし、ファティオの銃弾は冷酷に襲う。気付いた時には、スーニャの右足が撃たれていた。悲鳴をあげながら、地面に倒れるスーニャ。
どこから攻撃が来るか分からない。いつ死が襲ってくるか分からない。
奇しくも、その感情はスーニャが中央都市の住人に与えていた感情と似ていた。
「あっ、ああああああああっ……。痛い……。助けて……」
スーニャは震えた声を吐き出した。分かっている。助けなんか来ない。自分でなんとかするんだ。もたもたしていると、また狙撃が来る。迷っている時間は無かった。
スーニャは、足の爆弾を起爆させた。爆風によって、自分が前方に吹っ飛ばされる。その勢いを使って、スーニャは出口に辿り着いた。街の壁に空けられた大穴。そこは、センが街に入る時に『セナージ』で壁を斬って作った穴だ。
スーニャは街の外に出た。ここまで来れば、ファティオの銃撃も届かない。流石のファティオも、中央都市の厚い外壁を突き破って狙撃することは不可能だ。
「あはっ。助かったよ……あたし」
スーニャは弱々しく歩いた。左手から血が流れ、両足は大火傷をしている。最早、爆弾は一つも無い。
そんな状態で、スーニャは『セナージ』だけを持って歩いた。冷たく厳しい台風の中を。
「逃げましたか」
街の外に出たスーニャを見て、ファティオは呟いた。
「逃がさないなんて言っておいて何ですが、逃げてくれてよかったです。あのまま彼女が人殺しを続けていたら、もっとたくさんの人が亡くなったでしょうから」
何より大事なのは、これ以上の犠牲者を出さないことだ。スーニャが逃げの選択をしたのは、ファティオにとってもスーニャにとっても良かったと言えるだろう。あの時スーニャが逃げずに民衆を殺していたら、ファティオは本当にスーニャを逃がさなかっただろう。確実に、迅速に撃ち殺していたはずだ。
敵が街の外に行ったのなら、深追いの必要は無い。
「それにしても……」
ファティオが屋上からスーニャの行方を探っていた時、クロムの姿を発見した。その場には、『イーヴィル・パーティー』のボス、オーディン・グライトもいた。何故この二人が一緒にいたのかは分からないが、クロムの表情を見る限り、切羽詰まった状況ではなさそうだ。むしろ、敵を倒した時に見せる、安心した表情をしていた。クロムの場合、安心しても油断はしないだろうから、特段心配する要素は無い。
見たところ、オーディンは敵としてクロムの前に立っている訳ではないと思われる。少なくとも、今回は。もしオーディンがクロムに害するようなことがあれば、この場で援護射撃をするまでだ。
……いや、そう単純にいくだろうか。
オーディンは、ファティオの方を見ていた。まるで、屋上にいるファティオに気付いたかのように。まるで、ファティオがいつでも狙撃出来ることに気付いているように。
「まさか。あり得ません」
ファティオじゃあるまいし、こんなに離れた場所が見えるはずがない。たまたま、こちらを見ていただけだ。ファティオはそう結論付けた。
この悪寒も、鋭い悪意の気配も、きっと気のせいなのだ。
ファティオは銃をしまい、立ち上がって屋上を後にした。
* * *




