第117話 「貴様は弱くなどない」
「躊躇したな」
オーディンは短く言った。
「すまない」
思考が構築されるより前に、言葉が出ていた。
「何故謝る。謝るのは悪いことをしたときのみでいい」
オーディンは微笑して「我が輩は謝らんがな」と付け加えた。
「俺は覚悟を決めていたはずなんだ。センを殺す覚悟を……。でも、情けない話だ。俺の覚悟なんてその程度だったんだ。俺は……弱い」
結局の所、俺は殺人を恐れてしまった。心が弱かったから。
「情けない? 何をほざくか。堂々と躊躇わずに人を殺せる方が、よっぽど情けないだろう」
オーディンは語気を強めて言った。
「そうかもしれないが……」
「黙れ。貴様は弱くなどない。我が輩が、心身共に強さを認めた人間は貴様だけだ。だから自分を誇れ。それとも、我が輩の目が節穴だったと言うのか」
「そんなことは言ってないだろ。俺は、自分が血に染まるのを恐れたんだ。あの殺人鬼を殺せなかった」
「だから何だと言うのだ。貴様の代わりに、我が輩が殺しただろう。それでいいではないか。貴様が血で汚れる必要は無い。貴様の刀は、血で汚れない能力なのだろう?」
その台詞は、何故か俺の脳裏に深く焼き付いた。
『クロミール』は血に染まらない……。
一切の血を認めず、拒絶する刀。まるで……。まるで……。
俺みたいじゃないか。
「貴様は冷酷な人間かと思ったが、案外優しいのだな。アイズに所属しているだけはある。ならば、自分の本心を貫け。無理に修羅の道に進むことはない。後ろめたい行為など、我が輩のような悪に任せておけばいいのだ」
俺は、『クロミール』で人を殺したことはない。人を斬ったことはあるが、殺したことはなかった。
「そう……だな」
癪なことだが、俺はオーディンの言葉に安心していた。
こんな悪意の権化みたいな男に、こんな言葉を貰うとはな。
オーディンは俺から目を逸らし、やや小さめの声で言った。
「ふむ。こんな言葉を言うとは、我が輩らしくないな。今の話は忘れろ」
「……分かった」
いや、忘れられそうにないな。
「さて、我が輩は部下の様子を見に行かねば。先程から、通信が遮断されているようなのでな……」
オーディンは視線を後ろに向け、警戒を露にした。俺も同時に気付く。何かが来ている。
俺とオーディンは瞬時に後退した。俺達のいた場所で小爆発が起こる。どこかから爆弾が飛んできたのか? それにしても、この爆発は妙だ。殺傷が目的というより、俺達を遠ざけるのが目的のように感じる。音と煙幕は凄まじいが、肝心の爆風は大したことなかった。
「はじめましてーっ! 『執念の手』のムードメーカー、『爆発少女』のスーニャ・チルでーす!」
煙幕の後ろから、ハツラツとした女の子の声が聞こえた。『執念の手』……センの仲間か。街を爆発させていたのは、こいつの仕業だろう。センがやられたのを見て、加勢に来たのか。
「『セナージ』は回収させてもらうよん! じゃーねー! バイバーイ!」
スーニャと名乗る少女の声が、だんだんと遠ざかっていく。俺達と戦うつもりではないらしい。『セナージ』の回収に来たのか。
「待て!」
追いかけようとしたが、煙幕が邪魔で姿が追えない。風が煙幕を吹き飛ばした頃には、もう彼女はいなかった。顔すら知らない少女は、街の中に消えていった。
「くそっ」
道路に落ちていた『セナージ』がなくなっている。スーニャが持ち去ったのだ。
「深追いはするな。貴様は戦いで消耗しているだろう」
左腕を失っているお前が言うか。
しかし、オーディンの言う通り、俺のコンディションは万全とは言えなかった。
「でも、あのスーニャとかいう奴もセンの仲間だろ。放っておけるか」
「貴様は部下のことも把握しておらんようだな。我が輩ですら知っているというのに」
オーディンは遠くの高層ビルを眺めて言った。何の話だ?
「安心しろ。貴様の部下が奴を止める」
確信して言っているようだった。何を根拠に。
オーディンのことだから、平然と嘘を吐いているのかもしれない。
だが、俺は信じた。オーディンではなく、俺の仲間を信じた。
あいつらは、俺の頼れる仲間達だから。
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