第98話 「血竜の狂乱」
『観察者』の目はいつだって平等だ。欲望や偏見を排除した観察眼で、世の中のあらゆるものを見てきた。そして『観察者』マジマジ・オブズアブは、一つの決断を出した。
人類は滅ぶべきだと。
「貴様らアイズが儂の研究所に来た時、研究所には裏切り者がいた。トーマス・ホワイトのことだ。覚えているかね? 彼はニトラ教の一員で、ドラゴンを憎んでいた。故にブラッドドラゴンの殺害を企てていたようだが、貴様らの助力で免れた。ニトラ教は儂にとって……いや、『執念の手』にとって邪魔な存在だったからな。一応、アイズには感謝の言葉を述べておこう」
ルクトシン付近の劇場で、キューが襲われたことを思い出した。あの時は10人ものニトラ教団員と戦い、キューを守り抜いた。そのキューが現在、ハルバート家の屋敷で殺戮と破壊を行っているのだから、世の中は世知辛い。
「あの時ニトラ教団員を殺したのも、お前の仕業か?」
捕らえられたニトラ教団員は、何者かによって毒殺されていた。犯人は不明とのことだったが、マジマジの犯行なら不自然じゃない。誰にも気付かれないように、近くにいた教団員達を殺せただろう。
案の定、マジマジは肯定の意を現した。
「その通りだ。『中毒老』のベシムから頂戴した毒物を用いてな。元中央都市の科学者だけあって、なかなかいい毒を作ってくれたものだ」
何故マジマジの正体に気付けなかったのか、とカインズは悔やんだ。気付かないのも当然である。カインズ程度の観察眼では、マジマジの奥に潜んだ殺意と執念に気付けるはずがない。
マジマジは正体を隠し、優秀な研究員としての顔のみを表に出していた。実際、マジマジは本気でドラゴンの研究に打ち込んでいた。太古の生物を復活させ、人類を抹殺するために。
「貴様らの戦闘データは取らせてもらった。儂の研究所には、無数の監視カメラがあったのでな。トーマスがやったように、儂も貴様らの戦闘を観察して分析したのだよ。おかげで、強力なドラゴンを作ることが出来た」
カインズ、ミミ、クロムがブラッドドラゴンに挑んだ戦い。それらは全て、マジマジによって観察されていた。
「そして儂は仲間に情報を送り、都市の襲撃に成功した。そこまでは計画通り。だがな。ハルバート家の跡継ぎがここまで強くなったとは思わなかったぞ。貴様の父親もだ。儂の自信作を相手に、よく戦ってくれた。しかし茶番はここで終わりだ。弱者が強者を倒すなど……茶番にも程がある。世の中は弱肉強食なのだ。人類はドラゴンに勝てないということを、理解してもらわねばな」
マジマジはポケットから極太の注射針を取り出し、キューの腕に刺した。ブラッドドラゴンの強靭な皮膚を貫く程、鋭い針。だが重要なのはそこではない。中身の液体が、妖しく揺れていた。
「ギュウオオオオオオオオオン!」
ブラッドドラゴンが口を大きく開き、けたたましい叫び声をあげた。上空を見上げ、目を見開いている。その上、全身がブルブルと振動を始めた。
「これはブラッドドラゴンの身体能力を向上させる薬。言わばドーピングだ。血液の濃度と循環速度を上げ、栄養を多く供給させる。副作用として、正気を失うがな。むしろ暴れ狂ってもらった方が好都合だ」
マジマジは淡々と説明した。
現在、ドーピング薬は世界中で普及している。大抵のものは合法だが、激しい副作用を持つものは麻薬扱いされ、違法である。クロム隊のミミも合法ドーピングを調合したりしているが、もちろん非合法なものは取り扱っていない。
ドーピングは身体能力を高めたり、体力を回復させたり出来る。人間が使用しても強力なのに、ドラゴンが……しかも違法なドーピングを使用したらどうなるか。
想像に難くない。
「お前……なんてことを!」
ドラゴンだって生物だ。気が狂うのを良しとするはずがない。
「殺戮兵器が殺戮兵器としての本懐を遂げられるのだ。これこそ本質だと思わんかね」
マジマジは平然と言い、後ろに下がっていった。
「早く決着をつけようではないか。品種改良された人間と、生物の頂点であるドラゴン。どちらが優れた遺伝子なのかを!」
マジマジが颯爽と場を離れるのを見て、カインズは追いかけようとした。
「待てっ!」
だがブラッドドラゴンの尻尾が乱れ、カインズの目の前に叩き付けられた。カインズは尻尾を避け、後方へ下がる。
尻尾の動きは決して遅くはなかった。ドーピングの効果が現れている。
「くっ!」
マジマジを追いかける前に、ブラッドドラゴンを倒さなければ話にならない。カインズは地面を蹴って、ブラッドドラゴンに突進した。
ブラッドドラゴンは即座に反応し、カインズに平手打ちを浴びせた。カインズの体に走る、衝撃と痛み。
「うぐっ!」
カインズは平手の進行方向と同じ向きにステップを踏み、ブラッドドラゴンの手の相対速度を下げていた。それによりダメージ最小限に抑えられたが、無傷とは言い難い。
「反応速度まで上がってるんだね……」
避けられなかった。咄嗟にダメージを減らすことしか出来なかった。クロムから教わったこの防御術が無ければ、深刻な怪我を負っていただろう。
「ギュルルルルルルルウウウウウウ……」
ブラッドドラゴンが唸る。目が充血して、牙を剥き、鼻息が荒かった。明らかに興奮状態になっている。副作用の現れか。
「不可能だ。貴様に勝利は訪れない」
マジマジは屋敷から離れた展望台で、カインズとブラッドドラゴンを観察していた。
「ブラッドドラゴンには毒物を体内から排斥する能力がある。外部からの毒はもちろん、体内で生成された悪性物質もすぐさま排除出来る。だがな、このドーピング薬はブラッドドラゴンでも無力化出来ない特別製だ。このまま奴は暴れ続ける」
マジマジは勝利を確信し、うっすらと笑みを浮かべた。
「それに……貴様はブブリアド・ハルバートとの戦いで消耗している。センに斬られた右腕も治っていない。そんなコンディションで、儂のドラゴンに勝てるとでも?」
マジマジはかつてないほど機嫌が良かった。口調から余裕が溢れている。
自分の研究成果が見れるのだから、気分が良くなって当然だ。
マジマジは研究員として、殺人者として、人と竜の戦いを観察していた。
「痛いなぁ……もう」
ブラッドドラゴンの頭突きを食らい、屋敷の壁まで吹き飛ばされたカインズ。残り少なくなった無傷の壁が、また破壊されてしまった。いよいよハルバート屋敷は廃墟寸前である。
「なんかボク吹っ飛ばされてばかりな気がする」
そもそも、普通の人間は何度も吹き飛ばされない。カインズが丈夫であるが故の吹っ飛び回数だ。
カインズは瓦礫の山から抜け出し、ブラッドドラゴンを見据えた。
「完全に狂っちゃったね、あれ」
ブラッドドラゴンは奇声を吐き出しながら、翼と四肢と尻尾を頻りに動かしていた。その度に空気が乱れ、地面が揺れ、轟音が鳴る。駄々を捏ねる子供のように、乱暴に暴れまくっていた。
その姿は、恐ろしいというより哀れだ。
「家を守るって大変なんですね、お父様」
そんな怪物を前にして、カインズは。
「狂った暴竜を殺すなんて、貴族の仕事じゃないですよ、普通」
勝つ気でいた。




