メスガキ
時刻は十九時三十分、『エレナ』を出た僕たちは、ひとまず近くの交番に向かった。残念なことに、僕の財布は届いていないらしい。
「私は駅方面を探してきますね。泡沫くんは紛失届を書いておいてください」
聞くなり静久はそう言って、駅から僕が辿った道を探しに行ってくれる。
変わって僕は警官に案内を受け、言われた通り、紛失届を書いた。無くなったものを一つ一つリストアップする。うわー。面倒くさいとか言ってる場合じゃないが、めちゃめちゃ萎える。
住所やら、電話番号やら、細かい欄を埋めきって、それから見つかった場合の説明を聞き、他の警察署と連絡し合っているのを横目で見て、等々。
盗難と断定できないとはいえ、段階的に大ごとになっていくのを肌で感じながら、僕はじっと座っていた。
しかし、こうして警察にお世話になるのも、三年振りか。
勿論、犯罪で捕まったんじゃない。どっちかといえば、僕が捕まえた。捕まえてしまって、掴まれた。ともかく、助けてくれた警察の人には感謝しかない。
あの人、なんて名前だったか。色物芸人みたいな響きだったはず。気ーづいちゃった気ーづいちゃったワーイワイ(対象発見)。
刑事ちゃんだよ。
「んじゃ手続き終わりましたんで」
「ど、どうも、お世話になりました」
馬鹿なことを考えている間に手続きが終わった。僕は礼を言って、交番を出る——ポケットに振動——途端、着信。
〈白銅静久〉。
「ん」
『泡沫くん。今どこですか?』
「交番を出たばっかりだよ。……まさか見つかったの?」
『えっと、財布は見つからなかったんですけど』
「けど?」
『犯人を見つけました。で、とっ捕まえましたので、四丁目西の、墓石屋まで来てください」
通話終了。
「いぇー。……えぇ……うそぉ……?」
話が早すぎる。彼女の要領の良さとフットワークの軽さは、子供時代からよく知っていたけれど、それにしたって早過ぎる。僕が束になってかかっても追いつけない。
負けじと(?)、僕は足早に指定された場所へ向かった。
そして、
「あっ、泡沫くん。待ってましたよ」
「離してくださいまし! 離してくださいまし!」
雨が降り頻る中、静久に組み敷かれている少女の姿を目撃した。
「見た目よりすごく重いですわ!」
這う這うの体の、お嬢様だった。
「この子が犯人?」
「はい、おそらく。最初は道端でこつんとぶつかったので、心配したんですけれど、財布をスられたとその場で気付きまして。で、もしかしなくても、泡沫くんも同様にスリにあったのではないかと」
『エレナ』に向かっている時にぶつかったマドモアゼルが、静久に取り押さえられている。
こんな形で再会したくはなかったけれど、なるほど、僕は決して財布を道端に落とすようなおっちょこちょいではなく、軽犯罪の被害者だったらしい。良かった。
いや、別に良くはないか。
で、一つ疑問がある。あの一瞬で財布をスるなんて出来るのだろうか。
手先のテクニックとか、油断を誘う外見とか、その辺の要素が関係していないとは思わない。
しかし、僕は財布をしっかりと収納していた。
チャック付きのリュックの前ポケット、その奥底に入れていたのである。
それ即ち、僕に気付かれないようジッパーを開けて、財布を抜き取ったってことになる。
僕、間抜けすぎないか……?
待て待て。結局未遂に終わったとはいえ、静久だって一度は財布をスられている。でも、彼女の鞄はよくあるタイプの、エナメル製スクールバッグ。こちらもチャックが付いていて、財布を盗み取るのは難しい。
ちょっとぶつかったぐらいの時間で開閉なんて、ちびっこには出来っこない。
「問い詰めようとしたら、すぐ逃げ出しまして。追いかけていたらこんなところまで来てしまいました。悪党を追いかけて、アジトを突き止めたわけです! 私、しゅごい!」
凄いけど、失礼なことを言うんじゃない。人様の店だぞ。
まあ実際、アジトらしくはある……、大通りから随分外れていて、派手な外装があるはずもないので目立たない。建物も年季が入っていて──電気も付いていないようだ。
入り口に近寄ると、大きな張り紙がされている。
『家庭の事情により、しばらくの間休業いたします』。
ふむ。寂れた町外れの陋屋は、いい隠れ家だろう。中はどうなって、と思ったが、鍵がかかっている。そりゃそうか。
振り返って周囲を見渡すと、半開きのシャッターが目に入る。
車庫だ。二台は置けそうだが、社用車らしきものはない。お誂え向きに、スペースがぽっかり空いている。潜んでしまえば子供一人、見つかりはしないだろう。
「全く。こんなに重いのに足も速いなんて、信じられませんわ」
「おい、メスガキお嬢様」
「メスガキお嬢様!?」
「逃げようってんなら、諦めた方がいいよ。静久はこう見えて重量級だからね」
「ちょっと! 女の子に重いとか言わないでください! 失礼じゃないですか!」
「ごめん、訂正。こう見えて精神的に重量級だからね」
「あんまり変わってないですね……、否定できませんけども。けど泡沫くん、物理面に関しては改めて否定します。ええ、反駁しますとも!小さい女の子とはいえこうして楽々と押さえつけているのは、重量というか膂力のお蔭です!私は可憐な美少女なんですー!」
「そうだね。ごめんね」
ふくれっ面の静久を撫でて、僕はなだめる。
「自分で美少女とか言うの、どうなんですの?」
「少なくとも僕は気にしない。実際ものすごい美少女だから」
「えへへ、ものすごいときましたか。泡沫くんったらお上手なんですから。褒めても婚姻届しか出ませんよ?」
「ははっ。役所には出すなよ」
「あの、わたくしの上でいちゃつかないでくださる? 不快ですわ」
「む。立場が分かっていないんじゃないですか、軽犯罪」
「軽犯罪!? 単に!?」
罪の権化となってしまったちび鬼がぷんすこする中、静久はたおやかに微笑んで言う。
物理的にも精神的にもマウントを取っている。完全な優位だ。
「好き勝手言ってくれますわね! ……でも残念でした。見た目通りじゃないのは──わたくしもですわ」
その反論で、空気が変わった。馬鹿話は終わりだと言わんばかりに、しんとして。
少女の身体から紫色の煙が噴出する。
撒き散らされる不詳の暗黒で、空間が他靡く。
少女は笑う。らしからぬ凄惨さを以て、僕たちを嘲笑う。
次第に黙って、ゆっくり、闇が薄まって。
「申し遅れました。わたくしの名は、鬼札夜毎。誉ある鬼の一族筆頭・鬼札家の次女」
幼い少女は文字通り、頭角を現していた。
「控えなさい。逆らったら、どうなることか分かりませんわよ」




