無欠
「ただいま」
「っ! お帰りなさいまし!」
僕が帰宅すると、夜毎はバタバタと駆けてくる。
「夜毎……、話がある」
「なんですの早々に。ちゃんと戻ってきたのですから、少し休んでください。外は蒸し暑かったでしょう、冷たいお茶を持ってきますわね」
夜毎の家を消したのは、姉だ。
人殺しをしたのは、姉だ。
静久が傷ついたのは、姉のせいだ。
簡単にそう言えたら、どれだけ楽だっただろうか。
「無事に帰ってきてくれて、本当に安心しました。『鬼は外、福は内』などという、ヘイトスピーチが蔓延るこの国で、鬼を家にあげてしまうお人好しなあなたの家を『いわくつき』にする訳にはいきませんからね。まあ、そもそもこのわたくし、最強の自宅警備員がいるので、悪党に荒らさせたりしませんが。家を守る、守護鬼! しゅごい鬼がハウスキープしますわ!」
僕にはこの少女に、現実を突きつけることができそうもない。
明るくて、純粋で、優しい少女に対して……。
『──お兄ちゃんって透明人間みたいだよね』
頭痛。
『えっと、バカにしてる?』
『にゃ、違う違う! 確かにお兄ちゃんは他人に興味薄めなとこあるけどさぁ。刹那ちゃん的に、透明人間は善人なんだよ』
ふいに──フラッシュバック。
僕にとってこの家がちょうど良かった頃の、世界一大切な家族の記憶が、脳内を廻る。
『そんなことないだろ。むしろ痴漢するとか、物盗むとか、めちゃめちゃ悪いイメージあるよ』
『まあ最初はそうかもね。でも、何かをやって返ってきた反応は、現象に対するものでしょ。いつか自分自身への反応じゃないって気づくんだ。透明人間は、人間から現象になっていく。そして逆説的に、透明人間は人間らしくなろうとして、善人になるんだよぃ!!』
『難しいことを考えるね、刹那は』
『いぇー、褒められた。私賢すぎ。……で、お兄ちゃんはゲームとか、好きなことには意欲的だけど、そうじゃないことは基本、遠目に見る感じじゃん?』
『やっぱり悪口だったか』
『ちーがーうー! 遠目に、俯瞰して物事を見れるってこと。お兄ちゃんは困ってそうな人を見ても、正直すぐ助けたりしないと思う。でも、本当に助けてあげなきゃいけない人を見たら、絶対助けようとするじゃん。途中から興味を持てば、冷静で情報を持った、すっごく心強いサポーターになれる! ほぼ軍師だよ!!』
『軍師ではないかな』
『軍師ではないか。まあいいや。ともかく、お兄ちゃんは透明人間。傍観するけど無視はしない。困った人は見捨てない。やるべきことは、やる人間だよ』
『……そうかなあ』
『そうだよ。だからさ、お兄ちゃん。刹那ちゃんが困った時は、絶対そばにいてよね!』
「ちょっと、聞いていますの?」
「──あ」
現実で、夜毎が僕を見つめていた。
そうだ。
この広い家に……、あの子はもういない。
僕は強くならなきゃいけない。
家と姉を失った少女に、真実を告げる。
やるべきことを、やる。
「夜毎、お姉ちゃんは好きか?」
「突然なんですの? とっても好きですわよ。唯一の家族ですし」
「いい事だね──唯一の?」
「わたくしの親は、灰になっていますの。権力者を襲ったせいで、国を挙げて討伐されてしまったらしいのです」
「……人間が、憎くはない?」
「あいにく、わたくしは親の顔すら知らないんです。物心がつく前に、そうなったので。……歳を重ねた吸血鬼は、人間にとって災害そのものだと聞いています。恨まれて当然。悲しいですが、仕方ないとも思いますわ」
穏やかな表情で、夜毎は言った。
盛者必衰。
最強だろうが、長命だろうが、いつか死ぬ。
家族を失うことは、誰だってつらい。
けど、僕が静久に救われたみたいに。
喪失を乗り越えた僕なら、たった今記憶に残る消失を経験した夜毎を、励ましてやれるかもしれない。
意を決して、僕は現実を突きつけた。
「夜毎の家を消したのは、お前の姉だ」
「……え?」
「そして理由はわからないけど、彼女は一人の少女を吸血鬼にした。そして生まれた吸血鬼は、静久を傷つけた」
「ちょ、ちょっと、待ってください! あの子が……、お姉さまの、せいで?」
「結果的には。……雑破刑事という人に会ったんだ。信用できる人だと思う。今夜、僕の高校でそいつを倒して、夜毎の姉を説得するらしい。だからさ。唯一の家族である夜毎にも来て欲しいんだ」
「う、嘘です。私のお姉さまが人間を噛むなんて、有り得ません! 親が死んだ理由が分かっているのに! 信じません!」
「暴走しているのか正気なのかはわからないけど、夜毎の姉は間違ったことをしている。放って置けないんだ。夜毎がいれば、うまく働くと思うんだよ。だから」
「嫌っ、嫌です!! お姉さまはとっても優しくて、とっても強くて、わたくしの憧れなんです! 間違ったりしません! 失敗するはずありません! お姉さまは完璧なんですの!」
「完璧な存在なんていないんだよ、夜毎」
「……ぇ?」
「どんなに魅力的な人間でも自殺を試みたりする。どんなに強い吸血鬼でも弱点は無数にある。誰だって完全無欠にはならない。……だから、努力するんだよ。決まった答えなどなくても、目的に向かって努力する。できることを精一杯やるんだ」
「……」
僕に、殺人鬼を倒せる力はない。
静久のピンチにも居合わせられなかった。
ヒーローにはなれない。
それでも、今だけだとしても。
夜毎の隣にいてやれる。
「今やれることをやろう。姉に会いに行こう。大丈夫、だって生きてるんだ。死んだら……っ、死んだらもう、終わりなんだから。まだ、間に合うんだよ」
「……わたくし、また子供みたいに我儘を言っていましたのね。ごめんなさい。もう大丈夫です。お姉さまに会いに行くんでしょう? 喜んでお供しますわ」
「……ありがとう。成長した姿を、見せてやろう」
ミッションコンプリート。
一段と、精神的に成長した──切り替えの早さに定評のある、吸血鬼の少女とともに。
雨天決行、僕たちは茗花高校へ向かう。
***
「や、待っていたよ。泡沫くんと、鬼札夜毎。とりあえず、着いてきてくれるかい?」
裏門に到着すると、既に雑破刑事が待っていた。
ヒョイっと軽く乗り越える雑破刑事、跳躍して飛び越える夜毎に続き、なんとかよじ登って柵を越える。校内道路を淡々と歩いて、屋上少女の落下想定地点──校内駐車場の片隅までやって来る。
「話は聞いているよね?」
「ええ……、お姉さまと話をするんでしょう?」
「そうそう。まあ、行かないことには始まらない。早速、屋上に向かおうか」
雑破刑事はそう言って、地面から細長い鉄線を拾い上げ、手すさびした。
……壁登りするのか。
校門はよじ登れば越えられるが、昇降口は鍵がかかっているし、セキュリティもある……、人間がバレずに屋上まで行くには、そうするしかない。
雑破刑事が言っていた『準備』とは、このことだったのだろう。
「それじゃ、僕はここで。夜毎、気をつけて。……がんばれ」
「ええ! 任せてくださいまし!」
「ちょいちょい泡沫くん。何を言っているんだい?」
「え?」
雑破刑事が鉄線をぐっと下方に引っ張ったかと思えば──むぎゅ。
僕は雑破刑事に、強く抱きしめられていた。
「わ、えっ、えっ?」
「キミも来るに決まってるじゃん!」
そんな言葉と共に、鉄線が高速で巻き取られ、あっさり身体が宙に浮く。
「う、わああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!?」
マーベルヒーローみたいな特殊技術で、命綱などなしに。
僕は屋上へかっ飛んでいった。




