解かれる記憶
「夜毎は、吸血鬼だ」
「……殺人鬼の正体は?」
「屋上少女。きっと、元々は茗花高校の生徒だった。誰も話題にしなかったのは、彼女が吸血鬼となって数日が経ち、その人物像を霧散させたから。夜毎の存在が人々の記憶から失われるのと同様に、屋上少女のことを誰も覚えていられなくなったんだ」
「いぇすいぇーす! 私の考えと全く一緒だよ! やるねえ、泡沫くん! よっ、日本二! 一位は私! うそうそ、総理大臣!」
雑破刑事は一人でトチ狂いながら満面の笑みを浮かべ、テーブル越しに僕の肩をバシバシ叩き、大袈裟に褒め称えた。
納得感のようなものはあるけれど、嬉しくもない。
夜毎が関わった人々から忘れ去られていくように、僕も屋上少女の姿形を忘れてしまった。
当然僕だけではなく、彼女の人生に関わってきた全員が、そうなっているわけで。三日間、たった三日間で……、親さえも彼女を忘れてしまったんだ。
その事実に黙ってしまう僕を他所に、雑破刑事は語り続ける。
「殺人鬼の正体は、キミの言う屋上少女で間違いないだろう」
雑破刑事はぐーっと伸びをして、脱力するとふうっと息を吐き出した。
「ただし現状、身元不明だ。今更と言うべきか。やれやれ、関係者の記憶が飛んじゃうんだもんな」
「それは、記憶喪失になるってことですか?」
「んや、ちょいと違うかな。吸血鬼って、招かれないと家に入れないのは知っているよね? だから身元が知れ渡ってしまうと、食糧にありつくのが難しくなる。そこで、幻覚能力で記憶を操作することにしたんだ。でも完全に消してしまうと後処理──消えた人間に係る物理的痕跡の完全な抹消──が大変だ。そんな不便が生存競争の結果、『記憶改竄』の能力にマイナーチェンジしたんだな」
これが厄介でね、と雑破刑事は肩をすくめた。
動機が無くなれば調査もされない……、完全犯罪はお手のものというわけか。
「吸血鬼でも早い世代、かの有名なドラキュラ伯爵なんかは意識的に使用していたと云われるけれど、子孫は無意識に発動するように進化しているんだよ。その分、効力が弱まっているのが、捜査の救いというべきかな。遭遇し続ける限り、記憶が書きかわらない程度の効力になっている。改竄より記憶の習得速度が上回るためにね」
ふむ。僕が夜毎のことを詳しく覚えていて、屋上少女のことを断片的にしか覚えていないのは、そういう理由があったらしい。
ともあれ、得心がいった。
静久との調査で挙げた四つの可能性は、どれもハズレだった。落下した屋上少女は、校舎に入ったのでも、降下したのでも、着地したのでも、受け止められたのでもない。
空中で霧となって消えたのだ。
タネも仕掛けもない、魔法みたいな能力。変幻自在の吸血鬼を捕まえるなんて、雲を掴むような話である。
捜査のプロもお手上げのようだし……、どうやって対処するんだ?
問いかけると、雑破刑事はなんでもないように言った。
「普通におびき寄せてぶっ殺すよ」
「そ、そんな簡単に……。殺すんじゃなくて、元に戻す方法」
「無理だね」
遮られる。
「一般人が変幻自在の化物に生まれ変わるんだ。身体組織がまるきり変性するんで、元に戻すのは無理だ。というか、仮に戻せたとしても、連続殺人犯として逮捕されるのがオチさ」
だから無慈悲と言うまいよ、と雑破刑事は、冷めた珈琲を啜った。
「吸血鬼ってのは破茶滅茶に強い生物だけど、成長が遅いのが弱点でね。特に知能面の発達が、それはもう、ゆっくりなんだ。幼稚園卒業ぐらいの知能になるまで三十年は掛かる。だから吸血鬼が生まれると、私みたいな治安維持組織や、専門家であるヴァンパイアハンターが、芽を摘むわけ。……屋上少女が元々十七歳だとしたら、今の彼女は三歳児ぐらいの知能のはず。積み木を崩すノリでバラバラ殺人を引き起こすヤツ、早いとこ殺処分しなきゃいけない」
滑落して凋落したバレリーナは、今や知性のない殺人鬼でしかない。救おうとする時点で、現実を見れていないのだ。
「知性がないなら、殺人鬼が静久を襲ったのは偶然じゃないんですか? さっき幸せだとかなんとか言っていましたが」
「吸血鬼は青鬼から派生した、瞋恚の鬼で——あー、簡単に言うとだね、寂しがりで嫉妬しいの女児が、楽しげな人たちを妬んで癇癪を起こしている。そんな感じだよ。……で、その子供を折檻して、きちんと教育するよう親御さんにゴアイサツすれば、今回の事件は終わりだ。放っておくと、次から次へと殺人兵器が生まれちゃう。根本治療しなきゃ」
聞いて、僕はハッとする。
そうじゃん。
親、正確に言えば親──殺人鬼を作り出した怪異がいて、当然、その正体は吸血鬼である。
「成熟個体なんでしょう? 簡単に止められるとは思えませんが」
「正面切って戦うのは結構キビシイ。だから、搦手を使う」
「搦手ですか」
「うん。泡沫くん、キミにひとつお願いしたいことがある。茗花高校まで、鬼札夜毎を連れてきて欲しい」
「夜毎を? ま、まさか吸血鬼同士で戦わせるとか」
「んやんや、まったく逆だよ。依頼、あるいは示談だ。鬼札夜毎を帰す代わりに、仲間作りを諦めてもらう」
「夜毎を帰すって、どこに?」
「数少ない────親類縁者の元に」
その一言で、分かってしまった。
夜毎の家を消し去って屋上少女を造り変えた、黒幕の正体が。
「決行は今夜。モタモタしてちゃ第二第三の屋上少女が生まれてしまうからね。一旦解散だ。十二時半に、茗花高校の裏門まで鬼札夜毎を連れてきてほしい。説得は任せたよ。じゃ、私は準備があるからお先に失礼するね。……あっ、動きやすい格好で来てね! 雨傘じゃなくて合羽スタイル! 何があるか分かんないから!」
雑破刑事はそう言って、足早に去っていった。
置いていかれたクシャクシャの一万円札と項垂れる僕が、夜更け前の喫茶店に取り残された。




