白飛びのパラドックス
「こっちこっち!」
『エレナ』に到着した僕が扉を開けると、一階席の奥まったテーブル席についていた人物が、ひらひらと手を振っていた。
紺色のスーツを身に纏った、すらりとした長身の女性。どこかで会ったような気がするが、そんなことより——
「静久は! 静久はどこに!?」
「落ち着いてよ。悪いけど、んや、私は悪くないけど、申し訳ないのはそうだから。えーっと……、座りなよ。あ、店員さ〜〜ん。ホットブレンドふたつ!」
整然とした外見からは想像できない、落ち着かない言動を見せる女性に困惑する。拍子抜けし、本当に少し落ち着いてしまった僕は、女性の向かいに腰を下ろした。
「私、こういう者です」
女性は懐から黒い二つ折りのケースを取り出し、開いてみせた。
青背景の証明写真、その下に『警部』の文字、そして氏名。
「雑破寧々。刑事さんだよ!」
「雑破……、ざっぱさん————え、もしかして、あなたは……!」
「泡沫なんて珍しい名前、二人といない。キミが中学二年のとき会っているんだけど、覚えてないかな?」
“気づいちゃった”。
その女性は、恩人。
三年前、僕の手を引いてくれた刑事。
「思い、出しました……、あの時はありがとうございました」
思いもよらないところで、僕は雑破刑事と再会した。
諸手を挙げて喜びたい所だが、自宅待機を言い渡されている一介の高校生が、警察と面会している時点で。
「来てもらって早々悪いけど、キミに言わなきゃいけないことがある。静久ちゃんは、殺人鬼に襲われて傷を負った。幸い一命を取り留めたが、まだ意識が戻っていない」
そこには、事件があるのだった。
「なんで静久が」
「……、静久ちゃんが幸せ者だから」
雑破刑事は目を伏せる。
「私が道に倒れている静久ちゃんを見つけた時、傷ついたあの子は譫言のように、キミの名前を呼んでいたよ。それほど大切な人が待っているのが、素敵な恋をしていることが、殺人鬼は許せなかったんだね」
許せなかった?
ふざけるな。
静久は何も、何も悪くない……!!
「理不尽だよね。けど、それを考えなくちゃいけない。私たち警察は事件を解決するために、どんな奇行だろうと、行動を解き明かさなきゃいけないんだ。行動には必ず根拠があって、突拍子が無かろうが無意識の内だろうが、何かしらの論理があるのさ」
カップが届いて、珈琲が燻る。
怒りで曇もった頭が、少し醒める。
「……どうして、僕を呼んだんです?」
「三つの事件全ての関係者に、話を聞かないわけにはいかないよ」
「三つ?」
「虐殺事件、静久ちゃんの事件。それから、はじまりの消失事件だ」
目を見開く。
この人は、誰も気にしていなかった、屋上の悲劇を認識している。
ふふん、と雑破刑事は鼻を鳴らし、真っ直ぐに僕を見た。
「──捜査協力願います。話を聞かせてくれるかい?」
屋上少女の消失。
夜毎の住居・家族の消失。
男子トイレでの惨殺事件。
静久への襲撃。
そして、降り続く雨。
「はい」
その繋がりを、解明する時が来た。
「まずは、茗花高校で起きた殺人事件について整理しよっか。被害者は男女二人。死体発見場所は別館四階の男子トイレ。さて泡沫くん、あからさまな不審点があるね?」
「発見場所ですね。女子生徒が男子トイレに居るのはおかしい。加えて、いくら放課後とはいえ『学校のトイレ』は、いつ誰が入ってくるかも分からない」
「いぇす。殺人に極めて不向きなロケーションだ。そんな場所でド派手にバラバラ殺人をやってのけたんだから、甚く豪快な犯行といえる」
閉じた空間でありながら、誰もが当然に利用する場所。罪を犯すには、あまりにもリスキーだ。
発見されたら後戻りできない。逃げられない。
「ふつう重視される逃走経路の確保を微塵も考えていない時点で、十二分に奇怪だ。けど、全部が全部、超常現象って訳でもない。女子生徒が男子トイレに居る、これは『変』だけど、『ありえない』ではない。分かるかい? 言ってしまえば、扉を開けて入るだけで達成されるんだよ」
「それは、そうか……」
不可解と不可能を、分けなくてはいけない。
「うん。では泡沫くん、女子生徒が男子トイレに居た理由を考えてみよう」
「『無理やり連れ込まれた』。あるいは『自分から入った』でしょうか」
「どっちだと思う?」
「『自分から入った』可能性が高いと思います。『無理やり連れ込まれた』なら、その連れ込んだ人……、男子生徒が共々死んでいる理由が弱くなるので」
「ふむ、なるほどね。でも、あっさり二人殺しちゃうような怪異が来ちゃったんだから、逃げようがないんじゃない? さっき言った通り、上層階のトイレは袋小路だ。女の子を庇った正義漢。逆に、盾にしようとしたクソ野郎。成り果ての姿では、どっちだったか分からないよね」
「……確かに、そうですね」
「やー、ごめんごめん。責めるつもりは毛頭ないよ。むしろ褒めたいぐらいだ。ほら、茗花高校のトイレは扉がついているだろ? 暴れる人間を扉を押し除けて連れ込むというのは、確かに不可能とはいえない。けど、別館四階まで連行するのは『不可解』だ」
言われて、思い返す。
確かに茗花高校には、全ての部屋に扉がついている。公衆トイレなんかとは違って。
「そして、公共的でありながら密室なわけ。『他の誰にも気づかれない』という十分条件から推測すると、キミの推理は正しいよ。だから、今一度考えよう──別館四階という点について」
雑破刑事はそう言って、タブレット端末を取り出した。見ると、本館から別館まで、茗花高校のフロアマップが表示されている。そんなページあったのか。
「ああ、これは殺人事件の捜査の為に、学校から貰ったんだよ。主にセキュリティが理由で、ほとんどの高校は詳しい教室配置をネットで公開しない。大学とは違うね。さて、別館四階。クラス教室がなく、部活動もないフロアのようだ」
ざっくり覚えてはいるが、一応僕も目を通す。
情報処理室とその準備室、理科室とその準備室、社会科教室1と2、社会科資料室、ほか余裕教室。部活動にも使われていない。
改めて見ると、あまりにも地味だ。
「一階層まるごと物置みたいだ。ともかく、放課後に行く理由が薄い場所ばかり。で、学校は各階にトイレがある訳だから、一般生徒がわざわざ別館四階まで行く理由もない。被害者たちがそこに向かったのは、何故だろうね?」
「女子生徒が『自分から入った』としたら、傍目からすれば『不可解』ですから、人目を避けるためとしか考えられません」
殺人と似て非なるリスク思考だ。
殺人は、実行後に重きを置く。悲劇を起こすまで、姿を見られても何にもならない。技術室でハンマーを持っていたとして、家庭科室で包丁を握っていたとして、どう疑えと言うのか。
無論、チェンソーを担いでトイレに入って行ったら、怪しさ満点だが……、糾弾こそあれど、弾劾には至らない。『無実』とは、そういうことである。
しかし、男女がトイレに集まる——放課後デートなんて可愛いものにはなり得ないこの行動は、実行前に重きを置くだろう。殺人と比べたら、事後処理は簡単そのもの。論理の飛躍が起きないからこそ、最初から完璧に隠れなければならない。
「けど不運にも、バレてしまって——バラバラにされちゃった。殺人鬼に遭遇したんだ」
「殺人鬼……、静久を襲ったのも同一人物なんですか」
「可能性は高い。というか——そもそも、人物じゃないだろうね」
「……えっと?」
「この殺人は人間業じゃないんだよ。直視してしまったキミに言うのはちょいと気が引けるけど、二人の人間をあそこまでバラバラにするには、相当な時間がかかるんだ。世の中には事前にバラして放棄するというトリックもあるけれど、被害者たちは当日の授業すべてに出席した記録が残っているし、何より現場の夥しい血痕が、その日その場で起きた殺人であることを物語っている。放課後になってから円炭教諭が発見するまでの二時間程度じゃ、とてもきかない所業だよ」
「人間業じゃないのなら、誰が……」
「鬼の仕業さ」
「鬼……、鬼って、まさか⁉︎」
「そ。捻りのない話で悪いね。殺人鬼は——本物の鬼だ」




