第96話 記憶
恒一は震える手で、ナイフを握っていた。
目の前にいるのは。
二十八年前。
父と母を殺した男。
天音剣吾。
その姿を見つめた瞬間。
忘れたことなど、一度もない記憶が蘇る。
『僕!』
『算数のテストで百点取ったんだ!』
『すごいじゃないか!』
『恒一は天才だな!』
父が大きな手で頭を撫でてくれる。
母も嬉しそうに笑った。
『明日は約束ね』
『ハンバーグ作ってあげる』
『やった!』
家族三人で笑い合う。
何も失うはずのない、幸せな夜だった。
『僕』
『いい子にしてたから』
『サンタさん来てくれるかな?』
『もちろんだ』
『恒一はいい子だから』
『きっと来てくれるさ』
父が優しく笑う。
その時だった。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。
『こんな時間に誰だろうな』
父が席を立つ。
玄関へ向かう背中を、何気なく見送った。
そして――。
ドサッ。
鈍い音が響く。
『……あなた?』
母が立ち上がる。
自分も後を追う。
玄関。
血だまり。
倒れた父。
見知らぬ男。
『恒一!』
『逃げなさい!』
母が自分を抱き締める。
次の瞬間。
母も倒れた。
何もできなかった。
声も出なかった。
身体も動かなかった。
翌日。
約束だったハンバーグは食べられなかった。
サンタクロースも来なかった。
父も。
母も。
二度と帰ってこなかった。
――二十八年。
一日たりとも忘れた日はない。
恒一は現実へ引き戻される。
目の前には剣吾がいる。
震える手で、ナイフを強く握り締めた。
「お前が……」
声が震える。
「お前が」
「父さんを」
「母さんを……!」
涙が止まらない。
憎かった。
この男さえいなければ。
父も。
母も。
ハンバーグも。
サンタクロースも。
あの日の幸せも。
何一つ失わずに済んだ。
二十八年間。
胸の奥へ押し殺し続けてきた憎しみが。
今、すべて溢れ出そうとしていた。




