第93話 あの日の少年
剣吾は巨大な両手剣を振り上げた。
その刃が玲へ振り下ろされようとした、その瞬間。
「やめてくれ!!」
恒一の叫びが、静まり返った住宅街へ響き渡る。
剣吾の動きが止まった。
「もう……」
「もう俺の大切な人を奪わないでくれ!」
震える声だった。
恐怖で足は震えている。
それでも恒一は、一歩も退かなかった。
「父さんも!」
「母さんも!」
「俺の目の前で殺された!」
「もう誰も失いたくないんだ!」
剣吾は玲を踏みつけたまま、ゆっくりと恒一へ視線を向ける。
その顔。
その瞳。
涙を浮かべながら、自分を睨みつける表情。
どこかで見たことがある。
二十八年前。
血に染まった家の中。
倒れた両親の傍らで、声も出せず立ち尽くしていた幼い少年。
その面影が、目の前の男と重なった。
剣吾の目が大きく見開かれる。
「まさか……」
握っていた両手剣が、わずかに揺れた。
「あの日の……少年か」
その瞬間。
剣吾の顔から初めて冷静さが消えた。
二十八年間。
刑務所の中で、一日たりとも忘れたことのない光景。
自分が奪ってしまった夫婦。
そして、生き残った一人の少年。
その少年が、今。
自分の目の前に立っていた。
ほんの一瞬。
剣吾の意識が玲から外れる。
玲は、その隙を見逃さなかった。
「遅い」
地面へ押さえつけられたまま、剣吾の足首を掴む。
「何っ――」
細い腕に、凄まじい力が込められる。
玲は腕力だけで剣吾の身体を持ち上げ、そのまま地面へ叩きつけた。
ドォンッ!!
「ぐっ……!」
剣吾の身体が大きく跳ねる。
踏みつけから解放された玲は、即座に立ち上がった。
剣吾が両手剣を握り直そうとする。
だが、その前に玲が懐へ潜り込んだ。
剣を握る腕を掴み、その身体を肩へ担ぐように滑り込む。
「悪く思うな」
玲は躊躇しなかった。
ゴキッ――。
鈍い音が住宅街に響く。
「ぐぁっ……!」
剣吾の腕から力が抜け、巨大な両手剣が地面へ落ちた。
玲は続けざまに足を払い、剣吾を再び地面へ倒す。
逃れようと動いた脚を押さえ込む。
剣吾が息を呑んだ。
「待――」
バキッ!!
「があああっ!!」
脚が折れる音とともに、剣吾の悲鳴が響き渡った。
玲は荒い呼吸を繰り返しながら、動けなくなった剣吾を見下ろす。
口元には血が滲み。
左脚からも赤い血が流れている。
それでも。
玲は恒一の前へ立った。
まるで盾になるように。
「こういち」
振り返ることなく告げる。
「大丈夫だ」
「私は死なない」
恒一は、その小さな背中を見つめた。
玲が勝ったのは、剣吾より強かったからではない。
自分の叫びが。
あの日の記憶が。
剣吾の心を、ほんの一瞬だけ止めたからだった。
剣吾は折れた腕を押さえながら、呆然と恒一を見つめ続ける。
「あの日の少年が……」
「生きていたのですね」
その声には。
安堵とも。
後悔とも。
言葉では表せない感情が滲んでいた。




