第62話 普通
少し重い話が続いたせいか、恒一は気分を変えるようにテレビを点けた。
画面では、学生たちが楽しそうに笑っている。
揃いの制服を着て、教室で友人と話し、放課後には一緒に寄り道をしていた。
玲はしばらく黙って画面を眺める。
「学校って、本当にあんな感じなのか?」
「まあ、ドラマだから大げさなところもあるけどな」
「でも、友達と喋ったり、一緒に帰ったりはするよ」
「そうか」
玲は興味深そうに画面を見つめ続ける。
「こういちも行ってたのか?」
「ああ」
「運動会とか、遠足とかも?」
「もちろん」
「楽しかったか?」
「面倒なことも多かったけど、今思えば楽しかったかな」
玲は少しだけ考え込んだ。
「私は知らない」
「何を?」
「学校も」
「運動会も」
「遠足も」
淡々とした声だった。
羨ましがる様子も、悲しむ様子もない。
ただ、自分には経験がないと告げているだけだった。
「誕生日は?」
「生まれた日は知ってる」
「でも、祝われたことはない」
「クリスマスは?」
「仕事が増える時期だ」
「物騒な覚え方だな……」
恒一は思わず苦笑する。
玲は首を傾げた。
「何をする日なんだ?」
「家族で飯を食べたり、ケーキを食べたり、プレゼントを貰ったりする日だよ」
「誰がくれる?」
「親とか」
「そうか」
玲はそれ以上尋ねなかった。
テレビの中では、少女が恋人から贈り物を受け取り、顔を赤くしている。
「これは?」
「恋愛だな」
「恋愛……」
玲は難しい顔をする。
「よく分からん」
「俺も説明しろって言われると困るな」
「役に立たないな、こういち」
「悪かったな」
玲は小さく鼻を鳴らした。
「ふん」
しばらくして、玲がぽつりと呟く。
「私が知っていたのは、訓練だけだ」
朝起きれば訓練。
食事を終えれば訓練。
夜になっても訓練。
その合間に、暗殺の知識と技術を教え込まれる。
昨日と今日の違いすら、ほとんどなかった。
「遊びたいって思わなかったのか?」
「今思えば、遊ぶというものを知らなかった」
玲は自分の手を見つめる。
「知らないものを、欲しいとは思えない」
恒一は何も言えなくなった。
玲は学校へ行けなかったのではない。
誕生日を祝ってもらえなかったことを、悲しむことさえできなかった。
そういう生活が存在すると、教えられていなかったのだ。
「でも」
玲が顔を上げる。
「今は少し知ってる」
「ゲーム」
「買い物」
「ラーメン」
「水族館」
指を折りながら、一つずつ数えていく。
「普通というものは」
「思っていたより悪くない」
恒一は小さく笑った。
「まだまだ知らないことは多いぞ」
「なら教えろ」
「命令か?」
「ああ」
玲は当然のように頷く。
「私が知らない普通を、全部教えろ」
「全部は無理だろ」
「弱音を吐くな」
「こういちのくせに」
「はいはい」
恒一は苦笑しながら答えた。
失った子ども時代を、取り戻すことはできない。
それでも。
これから知ることはできる。
玲は再びテレビへ視線を戻す。
その目は、これまで知らなかった世界を覗く子どものように、わずかに輝いていた。




