第3話 生命保険
朝霧夫妻の葬儀は、冷たい雨の降る日だった。
黒い服を着た大人たちが静かに頭を下げる。
線香の匂い。
白い花。
遺影の中で笑う父と母。
そのどれもが現実とは思えず、恒一はただ黙って立ち尽くしていた。
泣くこともできなかった。
何も考えられなかった。
葬儀が終わると、恒一は親戚の家へ引き取られた。
親戚は優しかった。
温かいご飯を作ってくれた。
学校へ送り出してくれた。
風邪を引けば心配もしてくれた。
けれど。
父ではない。
母でもない。
夜になるたび、恒一は思い出す。
もう「ただいま」と言っても返事はない。
もう「おかえり」と迎えてくれる人はいない。
少しずつ。
本当に少しずつ。
恒一は理解していく。
――自分は、一人になったのだと。
それからの恒一は荒れた。
学校では喧嘩を繰り返した。
先生へ反抗した。
授業も真面目に受けなくなった。
どうでもよかった。
自分さえよければ、それでよかった。
心配してくれる人へも、冷たい言葉ばかり投げつけた。
そんな恒一を見ても、親戚は見捨てなかった。
何も言わず、側にいてくれた。
一方で。
両親を殺害した犯人は逮捕され、裁判へかけられた。
有罪判決。
実刑。
ニュースでも大きく報じられた。
周囲は言った。
「これで安心だね」
けれど恒一は思う。
違う。
犯人が捕まっても。
刑務所へ入っても。
父と母は帰ってこない。
何一つ終わっていなかった。
そんな恒一を支えたのは、一枚の契約書だった。
父と母が生前加入していた生命保険。
残された保険金は、恒一の生活費になった。
学用品を買うお金になった。
高校へ進学する費用になった。
大学へ通う学費にもなった。
当時の恒一には、その意味は分からなかった。
ただ、大人たちが、
「大丈夫だから」
と言ってくれていたことだけを覚えている。
やがて時が流れ、恒一は大人になった。
初めて知る。
父と母は、自分がいなくなった後のことまで考えてくれていたのだと。
亡くなってもなお。
最後まで、自分を守ろうとしてくれていたのだと。
生命保険は、お金ではなかった。
父と母が最後に残してくれた愛情だった。
その時、恒一は決意する。
(今度は、俺が誰かを支えたい)
(人生で一番苦しい時に、寄り添える仕事がしたい)
そうして恒一は、保険会社へ就職した。
営業職として働き始める。
一件一件、お客様の家を回る。
家族の話を聞く。
将来の話を聞く。
笑顔で契約書を渡す。
それが誰かの未来を守る仕事だと信じて。
仕事には誇りを持っていた。
けれど。
仕事以外の人生は止まったままだった。
恋愛をしなかった。
結婚もしなかった。
家庭を持とうとも思わなかった。
もし大切な人ができたら。
また失ってしまうかもしれない。
そんな恐怖が、二十八年経っても消えなかった。
(俺には資格がない)
(誰かを幸せにする資格なんて)
(父親になる資格なんて)
そう思い込みながら、仕事だけで毎日を埋めていった。
そして――。
二十八年後。
三十八歳になった朝霧恒一は、今日も営業先から会社へ戻る道を歩いていた。
十二月の街。
イルミネーションが輝く。
ショーウインドウには、色とりどりのクリスマスプレゼント。
手を繋いで歩く親子。
楽しそうに笑う恋人たち。
恒一は、それらを見ないように視線を逸らしながら歩く。
二十八年が過ぎても。
あの夜の傷だけは、少しも癒えていなかった。




