第2話 サンタさんは来なかった
玄関から聞こえた鈍い音に、母と恒一は同時に振り返った。
「……あなた?」
返事はない。
母は不安そうな表情で立ち上がり、廊下へ向かう。
恒一も小さな足で、その後を追い掛けた。
廊下へ出た瞬間。
恒一の足が止まる。
玄関に、父が倒れていた。
床には真っ赤な血が広がっている。
「……え?」
理解できなかった。
父は眠っているのだろうか。
どうして起きないのだろうか。
そんな幼い考えしか浮かばない。
父の向こうには、一人の男が立っていた。
黒いコート。
無表情な顔。
右手には、血の付いたナイフ。
母は一瞬で状況を悟る。
「恒一!」
強く抱き寄せる。
「逃げなさい!」
震える声だった。
しかし恒一の身体は動かない。
恐怖で足が床へ縫い付けられたようだった。
「お願い! 早く!」
母は恒一を背中へ隠しながら男と向き合う。
男は何も言わない。
ただ静かに、一歩、また一歩と家の中へ入ってくる。
「来ないで!」
母が叫ぶ。
次の瞬間。
鈍い音が響いた。
母の身体が崩れ落ちる。
「……お母さん?」
返事はない。
母は恒一へ手を伸ばしたまま、動かなくなった。
世界から音が消える。
父。
母。
血に染まる床。
立ち尽くす男。
恒一は声も出せない。
涙も流れない。
ただ、その光景だけが目に焼き付いていた。
男は静かに携帯電話を取り出した。
「……始末した」
短く告げる。
受話器の向こうから、慌てた声が聞こえた。
『……え?』
『まさか、もう行ったのか?』
男は眉をひそめる。
「どういう意味だ」
電話の向こうで慌ただしく紙をめくる音が響く。
そして焦った声が返ってきた。
『すまない!』
『こちらが提供した住所を間違えていた!』
『ターゲットは、その家じゃない!』
男の表情が初めて揺らぐ。
「……何だと」
ゆっくりと倒れた夫婦へ視線を向ける。
そして、呆然と立ち尽くす少年を見る。
短い沈黙が流れた。
『今すぐ離脱してくれ』
『後はこちらで処理する』
通信は一方的に切れた。
男は携帯電話を下ろす。
しばらく動かなかった。
何かを考えるように目を閉じ、小さく息を吐く。
「……取り返しがつかないな」
その一言だけを残し、男は静かに家を後にした。
やがて、近所からの通報で警察が到着する。
赤色灯が夜の住宅街を照らす。
規制線。
鑑識。
救急隊。
慌ただしい足音と無線の音だけが響いていた。
恒一は毛布に包まれ、救急車の前へ座らされる。
「名前は言えるかな?」
「大丈夫だからね」
「何があったか教えてくれる?」
何を聞かれても答えられない。
父と母が運ばれていく姿を見つめたまま、恒一は一言も話すことができなかった。
犯人はその後、警察によって逮捕された。
けれど。
父も。
母も。
二度と帰ってくることはなかった。
翌朝。
本来ならクリスマスイブ。
母が約束してくれたハンバーグを食べるはずの日。
恒一は家へ帰ることができなかった。
父もいない。
母もいない。
知らない部屋で、一人きりの朝を迎える。
枕元へ目を向ける。
プレゼントは置かれていなかった。
十歳の恒一は、小さく布団を握り締める。
(僕……悪い子だったのかな)
(だから、サンタさん来てくれなかったのかな)
誰も答えてはくれなかった。
母が約束してくれたハンバーグを、恒一が食べることはなかった。
その年のクリスマスに、サンタさんは来なかった。




