第32話 普通って何だ
あの日から、数日が過ぎた。
恒一は何も言わなくなった。
人を殺すなとも。
普通に生きろとも。
何も言わない。
ただ、毎日仕事へ行き。
帰ってきて。
一緒に飯を食べる。
ゲームをする。
休日は買い物へ出掛ける。
それだけだった。
夜。
テレビゲームを終えた玲は、ソファへ寝転がる。
「今日はここまで」
「一日一時間だからな」
「お前が命令するな」
そう言いながらも、コントローラーを素直に置く。
少し前までなら、もっとやらせろと怒っていた。
今は違う。
明日も遊べる。
そう思えるようになっていた。
玲は天井を見上げる。
「普通って……何だ?」
誰へ向けたわけでもない呟きだった。
玲にとっての”普通”は、殺しだった。
朝、命令を受ける。
標的の情報を見る。
相手がどんな人間かは関係ない。
善人でも。
悪人でも。
子どもでも。
老人でも。
命令なら殺す。
殺せば褒められる。
失敗すれば叱られる。
ただ、それだけだった。
玲はそれが世界の当たり前だと思っていた。
けれど今は違う。
「……こいつ」
リビングで洗い物をしている恒一を見る。
「気に入らない」
「弱い」
「説教くさい」
「うるさい」
少し考えて、小さく付け加える。
「でも」
「飯はうまい」
思い返す。
ラーメン。
ゲーム。
買い物。
美容院。
テレビを見ながら笑ったこと。
肩を揉ませたこと。
毎日、「おかえり」と言われること。
全部。
今まで知らなかったものだった。
「楽しい……」
自然と口から漏れる。
玲は、自分でも驚いた。
殺しで楽しいと思ったことは、一度もない。
褒められた時も。
強くなった時も。
当主になった時も。
そんな気持ちにはならなかった。
今は違う。
朝になれば飯がある。
夜になれば帰る場所がある。
安心して眠れる。
追われることもない。
誰かに殺される心配をしなくていい。
玲は静かに目を閉じた。
「……不安がない」
それが、普通なのだろうか。
まだ分からない。
でも。
もしこれが普通なら。
玲は、この毎日を失いたくないと思い始めていた。




