第28話 表の人間
ジムから帰宅した夜。
恒一は肩を回しながらソファへ倒れ込んだ。
「疲れた……」
すると玲が腕を組みながら立ち上がる。
「まだ終わってない」
「何が?」
「武術」
「今から教える」
「まだあるの!?」
玲は恒一の正面へ立つ。
「まず姿勢」
「姿勢?」
「悪い」
そう言うと、恒一の肩へ手を置いた。
「猫背」
「重心が一か所に止まってる」
「居着いてる状態だ」
「居着く?」
「動き出しが遅くなる」
「殺されるぞ」
「だから普通は殺されないんだって」
玲は首を傾げた。
「そうなのか?」
「そうだよ」
「表の人間は、そんなに命を狙われない」
「え?」
「普通の人は一生、命のやり取りなんかしない」
玲は少し考え込む。
「でも治す」
「胸張れ」
「こう」
背中へ手を当てられ、無理やり姿勢を正される。
「痛い痛い痛い!」
「我慢」
「骨が鳴ってる!」
「治さないと殺されるぞ」
「だから殺されないって!」
玲はきょとんとした。
「そうなのか」
恒一は苦笑する。
「俺、お前から見たら弱いかもしれないけどさ」
「三十八年間、ちゃんと生きてるだろ?」
玲は黙った。
言われてみれば、その通りだった。
自分の世界では、弱ければ死ぬ。
強くなければ生き残れない。
それが当たり前だった。
だが、恒一は違う。
殺し合いなんて知らない。
それでも三十八年間、生きてきた。
「……そうか」
玲はぽつりと呟く。
「表の人間は、そんなもんなのか」
少しだけ俯く。
その横顔は、どこか寂しそうだった。
「いいな」
恒一は玲を見る。
「何が?」
玲は小さく笑う。
いや――笑おうとして、笑えなかった。
「表の人間は」
「普通に生きられるんだな」
その声には、ほんの少しだけ羨望が滲んでいた。
十四歳の少女が、一度も手に入れられなかった”普通”を、初めて羨ましいと思った瞬間だった。




