第15話 召使い
玲がこの部屋へ転がり込んで、一週間ほどが過ぎた。
共同生活にも慣れ始めた玲だったが、遠慮という言葉だけは最後まで覚えなかった。
朝。
朝食を食べ終えた玲は、当然のように空になったコップを恒一へ差し出す。
「水」
「そこにあるだろ。自分で入れろ」
玲はじっと恒一を見つめる。
「……」
「何だよ」
「殺すぞ」
「その脅し、便利だな」
恒一はため息を吐きながら立ち上がり、水を注いで渡した。
玲は一口飲み、満足そうに頷く。
「うむ」
昼前。
玲はソファへ寝転がりながら、また口を開いた。
「腹減った」
「さっき朝飯食べただろ」
「デザート」
「ない」
「買ってこい」
「嫌だ」
玲はゆっくり立ち上がる。
「本当に?」
「ああ」
玲は無言のまま恒一の前まで歩いて来た。
「何だ?」
次の瞬間。
玲は恒一の右手首へ、そっと手を添えた。
「え?」
握ったというより、軽く触れただけだった。
玲の指先が、ほんの僅かに動く。
手首の角度を変えた。
それだけ。
「――っ!?」
痛みはない。
なのに、全身から一瞬で力が抜けた。
足に力が入らない。
踏ん張ることもできず、恒一はその場へ崩れ落ちる。
「な……何だ、これ……」
立ち上がろうとしても、身体が言うことを聞かない。
腕にも足にも力が入らず、膝をついたまま動けなかった。
玲はほとんど力を入れていない。
ただ手首へ触れているだけだ。
「買ってくるか?」
玲は首を傾げる。
まるで天気でも尋ねるような口調だった。
「わ、分かった……!」
「行く! 買ってくる!」
玲は満足そうに頷くと、手を離した。
その瞬間、不思議なほど自然に身体へ力が戻る。
恒一はゆっくり立ち上がり、自分の手首を見つめた。
「今の……何だ?」
「関節」
「これくらい出来ないと死ぬ」
「怖いことを平然と言うな……」
玲は得意そうに鼻を鳴らした。
「ふん」
夕方。
恒一がテレビを見ていると、玲がまた当然のように命令する。
「肩」
「揉め」
「またかよ」
「疲れた」
「今日は何もしてないだろ」
「昼寝した」
「昼寝で疲れるのか?」
「疲れる」
「そういうものだ」
「絶対違うだろ……」
結局、恒一は肩を揉み始めた。
玲は気持ち良さそうに目を閉じる。
「そこ」
「もう少し右」
「強く」
「はいはい……」
夜。
一日を振り返り、恒一は深いため息を吐いた。
「俺……」
「召使いになった覚えないんだけどな」
玲はきょとんとする。
「違うのか?」
「違う」
「飯を作る」
「水を持ってくる」
「肩を揉む」
「買い物へ行く」
「十分召使いだぞ」
「全部、お前が命令してるだけだからな!」
恒一が声を上げると、玲は少しだけ口元を緩めた。
「そうか」
「じゃあ、明日からもっと働け」
「……勘弁してくれ」
玲にとって恒一は、まだ料理が上手く、何でも言うことを聞く便利な召使いに過ぎなかった。
だから命令する。
従わなければ、少しだけ武力を使う。
それが玲にとって、ごく当たり前の人との接し方だった。




