♯3ー2 読書感想文を提出してください 人事部より
翌日の昼休み、田村は感想文を書き始めた。
まずスウィフトについて簡単に触れた。十七世紀から十八世紀を生きたアイルランドの風刺作家。聖職者でもあった。彼が書いたのは、子どもが喜ぶ冒険物語ではなく、人間の愚かさを笑い飛ばすブラックユーモアだった。
四つの国を順番に書いた。
小人の国リリパットでは、卵をどちらから割るかという問題で大戦争が起きている。当時のイギリスの政党抗争を風刺したものだが、今でもSNSでは似たような「どうでもいい理由での総攻撃」が毎日起きている、と田村は書いた。
巨人の国ブロブディンナグでは、ガリバーがヨーロッパの文明を誇らしげに語ると、王様から「なんと野蛮な」と一蹴される。自分たちの常識が、外から見れば非常識だという逆転。これは、田村が長年会社の中にいて感じてきた、ある種の息苦しさに似ていると思った。
空飛ぶ島ラピュタの科学者たちは、キュウリから太陽光を取り出そうとしたり、屋根から逆さまに建物を建てようとしたりして、肝心の生活は荒廃している。賢いのに役に立たない。これは、本社の企画部門で何度か目撃した光景に重なった、と田村は書きかけて、消した。さすがに人事に送る文章に書くことではない。
最後に馬の国フウイヌム。高い理性と道徳を持つ馬たちが支配するこの国では、人間によく似た「ヤフー」が最低の家畜として扱われている。ガリバーは人間の本質が「ヤフー」と同じだと悟り、帰国後は家族すら嫌悪して馬と暮らすようになる。
スウィフトが絶望していたのは、結局「人間は変わらない」という事実だったのだと、田村は思った。三百年前と今で、人間の本質的な愚かさは、驚くほど変わっていない。
それが悲しいことなのか、滑稽なことなのか。たぶん両方だ。
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感想文を書きながら、田村はふと思った。
もしスウィフトが今の時代に生きていたら、第五の旅をガリバーに課すだろうか。そして、その旅先はどんな国だろう。
田村は、原稿用紙の余白に、思うままに書き始めた。
ーーガリバー第五の航海 「数値の国ヌメラリア」 ――
嵐で船が難破し、ガリバーが流れ着いた国には、見た目では何も変わったところがなかった。人々の姿も、街の様子も、ガリバーの故国とさほど違わない。しかし、よく見ると、誰もが首から小さな板を下げていた。その板には、常に数字が表示されている。
ガリバーが尋ねると、案内役の男が説明した。これは「評点板」だという。
この国では、すべての人間に点数がついている。他者から「よい」と思われるたびに点数が上がり、「悪い」と思われると下がる。生まれた瞬間から死ぬまで、その数字が人の価値を決める。就職も、結婚も、家の場所も、食べられるものの質も、すべてこの数字で決まる。
ガリバーは驚いた。これは公平ではないか。人の努力と評判が、客観的な数字として可視化されているのだから。
ところが数日滞在すると、奇妙なことに気づいた。
人々は、「本当によいこと」をするのではなく、「よいと思われること」だけをするようになっていた。困っている人を助けるのは、それを誰かに見てもらえる場所だけだ。誰も見ていない場所では、誰も助けない。深夜に一人で倒れても、そこには誰も来ない。評点板を持っていない老人は、もはや「存在しない人」として扱われていた。
さらに恐ろしいことがあった。
この国の評点は、「何者かに見られ続けること」によって維持される仕組みになっていた。何も発信しなければ、点数は自然と下がっていく。だから人々は、休む間もなく「見せるための生活」を演じ続けていた。美しい食事の絵。幸せそうな家族の記録。誰かへの感動の言葉。その裏側に何があるかは関係ない。見せられるものだけが、現実とみなされる。
ガリバーは、ある日、評点板を持たない老婆と出会った。
彼女は森の外れに一人で住んでいた。かつては高い評点を持っていたらしいが、夫を亡くした後、発信することをやめた。すると評点はみるみる下がり、ついには社会から切り離された。食料も、医療も、何も受けられなくなった。しかし老婆は言った。
「わたしは今、はじめて静かに生きている」
ガリバーは長い間、その言葉の意味を考えた。
この国の人々は、数字という「見える化された価値」によって、確かに安心を得ていた。不透明な人間関係の代わりに、明確な序列がある。それはある意味で、合理的だ。しかし同時に、数字には表れないものが、静かに消えていた。
誰かのために、誰も見ていない場所でする行為。結果が出なくても続ける努力。失敗した後の沈黙。数字にならないその時間の中にこそ、何か大切なものがあった気がする。だが、それを証明する方法は、この国には存在しなかった。
帰国したガリバーは、妻に「評点板」の話をした。妻は呆れた顔をした。「そんな国、あなたの頭の中にしかないでしょう」と言った。ガリバーは答えなかった。窓の外を見ながら、思った。
そうだ。まだ、ない。
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田村は書き終えた原稿を読み返して、苦笑した。
感想文のつもりが、後半は完全に創作になっていた。四百字詰め原稿用紙に換算すると、だいたい六枚分。最低枚数の三倍だ。
まあ、「文字数は問わない」と書いてあった。
田村はメールを開き、原稿をそのまま貼り付けた。
送信ボタンを押した後、少しの後悔と、少しの清々しさが、同時に胸をよぎった。




