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絶望から救った彼女たちに甘やかされても、Nレアギフトじゃ異世界そんなに甘くない!  作者: 水華名
本編

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9/10

9話_少女を着た悪魔


 視線を交差させたまま、令嬢を乗っ取ったバケモノは、公爵の背中越しに俺へと向けてニタニタと笑っている。


 逃げろ。本能が逃げろと言っている。

 俺は床に這いつくばったまま、芋虫のような動きで開いた扉の裏から脱出しようとした。

 だが。



「……お父様」



 透き通るような可憐な声が、部屋に響いた。



「ん? どうしたんだい、リズ。まだどこか痛むのか?」


「いいえ。……ただ、あそこにいる方が、私を暗くて怖い夢から助けてくれたの」



 静寂。

 彼女が指をさした方向――扉の裏で這いつくばって必死に逃げようとしていた俺へと、公爵と騎士たちの視線が一斉に突き刺さった。


 やられた……ッ!



「おお……! 君は、村長の家の?」


「え、あ、いや! 違います! 俺はただお使いで水差しを置きに来ただけで何もしていません!」


「……謙遜なさらないで。彼が、私の手を握って、不思議な力で助けてくれたの……」



 リズではない、なにかが、儚げに目を伏せながら嘘八百を並べ立てる。

 俺は心の中で絶叫した。

 手は握ってねえよ! しかも、さっき背筋が凍るような冷たい圧で凄んでたのに、猫被りすぎだろ!



「おお! この小さな少年が、リズの呪いを退けてくれたというのか……!」


「違います、公爵様! リズ様ではな――」



 俺が真実を叫ぼうとした瞬間。

 公爵や騎士たちの視線が俺に釘付けになっているその死角で、公爵の腕に抱かれた令嬢が、そっと人差し指を自分の唇に当てた。

 そして、その指先をゆっくりと滑らせ、自らの細い首筋を真横になぞる。


 同時に、床の暗がりから這うように伸びてきた極寒の冷気が、俺の喉元へピタリと刃のように突きつけられたように感じた。

 言葉など必要なかった。


 ――余計な口を叩けば、この場で全員の首を刎ねる。


 その明確すぎる殺意のメッセージに、俺は息を呑み、開いた口をガチガチと震わせながら閉じるしかなかった。

 今のこいつなら、確実にやる。俺一人が逃げて済む話じゃない。この場にいる全員が、こいつの機嫌一つで皆殺しにされる。



「よいよい、これ以上謙遜するでない」



 告発を諦め、顔面蒼白になっている俺をよそに、公爵は完全に感極まっていた。愛娘の奇跡的な回復という強烈なバイアスがかかり、俺の怯えた様子すら「命懸けの看病による疲労」に変換されている。



「お父様。私、命の恩人であるあの方に、もっとちゃんとお礼が言いたいわ」


「もちろんだとも! 視察はすでにもう終えている。おい、この少年を丁重におもてなししろ! 共に領都へ連れて帰る準備だ。彼の家族にも、公爵家として莫大な礼金を用意するのだ!」


「はっ!」


「ちょっ、待っ――」



 屈強な銀鎧の騎士たちに両脇をガッチリと抱えられ、俺は文字通り「拉致」された。

 一か月の軟禁生活を言い渡していた母さんが、公爵から直々に金貨の詰まった袋を渡され、目を丸くしてフリーズしている姿が見えたのが、俺の故郷での最後の記憶となった。




    ◇




 数時間後。

 俺は、領都へ向かう公爵家の豪華な馬車の中にいた。


 ふかふかの座席。向かいには、公爵令嬢リズがちょこんと座っている。

 出発前、彼女が放った『お父様、私、恩人である彼と二人きりでゆっくりお話しがしたいわ』という天使のような一言で、あっさりとこの地獄の密室が完成してしまったのだ。


 公爵は「おお、命の恩人と親交を深めたいのだな……!」と涙ぐみながら、別の馬車に乗っている。つまり、この空間には俺と彼女の二人きりだ。



「…………」


「…………」



 馬車の揺れる音だけが響く。

 やがて、令嬢はゆっくりと顔を上げた。

 その顔から、先ほどまでの可憐な天使の面影がスッと抜け落ちる。

 代わりに浮かび上がったのは、絶対的な強者としての冷酷で傲慢な笑みだった。



「さて。邪魔者はいなくなったな、少年」



 可憐な少女の唇から紡がれる、先ほどまでと同じ可愛らしい声のはずなのに、口調と纏う空気がまるで違う。その悍ましいギャップに、俺の背筋は一瞬で凍りついた。



「……なぜ、あの場の全員を殺さなかったんですか」



 俺は震える声を必死に抑え、尋ねた。

 こいつの力なら、あの部屋にいた公爵も騎士も、一瞬で皆殺しにできただろう。



「千年も封印されていれば、外の情勢も変わろう。我が完全なる力を取り戻すまでの間、この便利な隠れ蓑を存分に利用させてもらうだけのこと」



 なるほど。こいつはただの破壊衝動で動くバケモノじゃない。極めて狡猾で、理知的な存在だ。



「……じゃあ、俺を連れてきたのは?」


「決まっているだろう」



 彼女の瞳が、三日月のように細められる。

 深紅の光が、俺の心臓を直接射抜いた。



「君が何者であれ、封印を破壊したその妙な力……我が完全復活への鍵となるやもしれぬ。それに君には、我を解放した礼もある。すぐには殺さずにおいてやろう」



 俺は豪華な馬車の天井を仰ぎ見ながら、限りなくゼロに近い己の生存確率に思いを馳せ、深く、重い息を吐き出した。



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