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絶望から救った彼女たちに甘やかされても、Nレアギフトじゃ異世界そんなに甘くない!  作者: 水華名
本編

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8/10

8話_復活


 何日経ったのだろう。我が家は、極寒の地に変貌していた。



「…………」



 惨劇の夜から一向に晴れる気配のない氷点下のオーラを放ちながら、母ミーナが昼食の準備をしている。

 俺は部屋の隅で正座し、ただひたすらに息を潜めていた。


 下された判決は『一か月の外出禁止(軟禁)』。平穏な生活を守るための完全犯罪は、幼馴染の無邪気な証言によって脆くも崩れ去ったのだ。やはり、アナログな目撃情報こそが最大の敵である。


 だが、今日の村は朝から異様な熱気に包まれていた。

 早朝に領主の視察団が到着したらしく、外からは馬の嘶きや、大人たちの慌ただしい足音がひっきりなしに聞こえてくる。



「エイル。村の外に出るのは禁止と言ったわね」


「は、はいっ!」



 不意に名前を呼ばれ、俺は軍人のように背筋を伸ばした。



「村長さんの家は、護衛の騎士様たちが急にたくさん泊まることになって、寝具が足りなくて大慌てなの。罪滅ぼしに、うちの予備の毛布を届けてきなさい。……お使いよ。遊ぶための外出じゃないからね?」


「い、行ってまいります!!」



 逆らう選択肢などあるはずもない。

 俺は押し付けられた毛布の束を抱え、逃げるように家を飛び出した。




    ◇




 村長の家は、見たこともない立派な銀鎧を着た騎士たちや、慌ただしく走り回る大人たちでごった返していた。

 広間では、恰幅の良い、しかしひどく顔をやつれさせた壮年の貴族――おそらくこの領を治める公爵――が、神妙な面持ちで騎士の報告を受けている。



「……また熱が上がったのか。王都の高位神官でも、あの子の『呪い』を抑えられんとは……」


「はい。恐れながら、高位神官殿の見立てでもお嬢様のお命は……もう長くはないと」


「なぜ、我が領地にこうも災厄が続くのだ……! 先日の腐毒竜に続き、今度は愛娘の命まで奪おうというのか……」



 公爵は頭を抱え、絶望に染まった深い息を吐き出していた。

 どうやら、ただの風邪などではないらしい。まあ、俺には関係のない話だ。俺はあくまで一介の配達員に過ぎない。


 そんなことを考えながらキョロキョロしていると、忙しそうに走り回る村長の奥さん――ミアの母親と目が合った。



「エイルちゃん! 助かるわ! ごめんなさい、この新しい水差しを、離れのお嬢様のお部屋の『前のテーブル』に置いてきてくれないかしら?」



 邪魔な子供を安全な場所へ遠ざけるための配慮だろう。

 俺としても、往来で危ない広間をうろつくより都合がいい。俺は素直に頷いて水差しを持ち、離れへと向かった。


 ドアの前のテーブルに置いて、さっさと退散しよう。

 そんな軽い気持ちで扉の前に立った瞬間、俺は足を止めた。



「……なんだ、これ」



 扉の隙間から、肺が腐りそうなほど重く淀んだ『瘴気』が漏れ出している。

 俺はゆっくりと扉を少しだけ開けた。

 薄暗い部屋のベッドには、淡く、それでいて気高く輝く『藤色』の髪を持つ少女が横たわっていた。


 だが、異常なのはその気配だ。

 その薄紫色をした髪色とは対照的に、彼女の白すぎる手首から首筋にかけて、ドロドロとした『どす黒い影』のようなものがまとわりつき、まるで彼女の生命力を侵食しているように見えた。


 俺は静かに扉を閉めようとした。関わってはいけない。俺はあくまでお使いに来ただけの少年だ。

 だが――どうしても、その手を引き返すことができなかった。


 これほど禍々しく澱んだ気配に全身を蝕まれていては、王都の高位神官が匙を投げるのも頷ける。素人目にも、彼女の命が長く持たないのは明らかだった。


 ただ、あまりにも痛ましかった。

 小さな体を取り囲み、命を啜るように脈打つどす黒い影。こんな理不尽で残酷な光景を前にして、見なかったことにして逃げ出せるほど、俺は冷徹に割り切れなかった。


 ……もしこの呪いが、彼女の生命力に混ざり込んだ単なる『不純物』なのだとすれば。俺の『濾過(ろか)』で、泥水から泥だけを分離するように、この淀みだけを濾し取れないだろうか。



「……やってみるか」



 俺は小さく呼吸し、彼女の腕にまとわりついている、どす黒い影の跡をおそるおそる掴んだ。


 触れた瞬間、指先から脳までを「未知の恐怖」が駆け抜けた。全身の産毛が逆立ち、心臓を直接冷たい手で握り潰されたような不快感に襲われる。鳥肌どころか、皮膚の下を無数の這いずる虫が蠢いているような生理的な嫌悪感。本能が、今すぐこの手を離せと絶叫していた。



「『濾過(ろか)』……ッ!!」



 直後、掴んだ両手から腕の骨を伝って、全身に体を生きたまま燃やされるような激痛が走った。

 俺は奥歯が砕けそうなほど噛み締めながら、必死に『濾過(ろか)』を発動し続けた。


 ――だが。



「――がっ、ああぁぁッ……!! 痛い、痛い痛い痛い……ッ!!」



 これまで経験したどんな毒や強酸よりも、桁違いの激痛が俺の精神を容易に粉砕しにかかる。

 それでも、俺は血が滲むほど唇を噛んで『濾過(ろか)』を繋ぎ止めようと必死に足掻いた。


 だが、どす黒い影そのものが、まるで強固な意志を持っているかのように、俺の干渉を激しく拒絶したのだ。

 脳が焼き切れるような感覚と共に、凄まじい反発力が膨れ上がり――俺は、弾かれるように扉のほうへ吹っ飛んだ。


 不完全なまま無理やり引き剥がされた魔力。

 その瞬間、カラン、と。

 扉にぶつかった音とは別の、まるで何かの物理的なロックが外れたような、奇妙に軽い音が部屋に響いた。



「……え? 何、今のは……。何か、壊した……?」



 瘴気はまだ部屋に満ちている。浄化は完全に失敗だ。

 もう一度だ。そう考えていた俺の目の前で、彼女の体からドス黒いモヤが一気に噴出し、急速に凝縮していった。

 やがてそのモヤは、暗色の装束を纏い、息を呑むほどに端正な長身の姿を形作った。


 冷徹な鋭さと妖艶なしなやかさが融け合った、人間離れした顔立ち。

 令嬢の淡い藤色とは対極にある、光すら飲み込むように澱んだ『紫黒(しこく)』の長髪。そして、その切れ長の瞳の奥には、星一つない夜空に灯された篝火のような、禍々しい深紅の光が宿っていた。

 その麗人が低く呟く。



「……忌まわしき、我を縛り付けた千年の封印……それが、かくも呆気なく解けようとは。ふ、滑稽なことだ」



 高くも低くもない、水晶のように透き通っているのに、背筋が凍りつくほど冷たい声。

 絶対的な死の冷気の中、その恐ろしい瞳が、ゆっくりと俺に向けられた。



「少年、君か。我をこの器から引きずり出したのは」


「…………」



 俺は床にへたり込み、冷や汗を流しながら少しでも離れようと後ずさりした。

 母さん……ごめんなさい。俺、なんだか取り返しのつかないバケモノを解き放ってしまったみたいです。


 目の前の圧倒的な存在は俺の喉元に細長い指を伸ばし――俺は死を覚悟した。

 しかし、突如としてその指が手ごと、霧のように離散した。



「なんだこれは。我の――」



 その時。



「リズ! 今、何か音が!」



 俺の目の前にいたはずの紫黒の美貌は、一瞬でかき消えるように令嬢リズの体へと吸い込まれていった。

 その直後、バタン! と扉が勢いよく開かれ、その衝撃で俺は壁際――開いた扉の裏の暗がりへと弾き飛ばされた。


 駆け込んできたのは公爵と、数人の騎士たちだった。

 俺は扉と壁の隙間にへたり込み、必死に息を殺す。


 ベッドの上で、少女がゆっくりと身を起こす。

 ラベンダーのような淡い髪を揺らすその瞳は、先ほどまでの死に体とは打って変わって、瑞々しい生命力に満ち溢れていた。



「……お父様?」



 透き通るような、それでいてどこか浮世離れした美しい声。

 公爵は狂喜し、涙を流しながら娘のもとへ駆け寄った。



「ああ、リズ! ああ、神よ……! 奇跡だ、本当によくぞ……!」



 公爵の巨体が、娘をしっかりと包み込むように抱きしめる。

 騎士たちもまた奇跡に胸を撫で下ろし、主君の邪魔にならぬよう、ベッドから距離を置いて静かに跪いていた。


 俺は今のうちに逃げようと、扉の裏から這い出ようとした。



 公爵の太い腕に抱かれ、その肩に顔を埋めていた少女――。

 その唇が、ゆっくりと横へ巡らされた。

 傅く騎士たちからは、公爵の大きな背中が死角となり、彼女の顔は見えない。

 しかし、扉の裏の床に這いつくばっている俺とだけは――完璧に視線が交差していた。


 彼女の口角が、ニタリと捕食者のように吊り上がる。



 公爵の泣き声と騎士たちの安堵の吐息の裏で、俺の平穏な日常が音を立てて崩壊していく音が聞こえた。



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