第98話「円環の誓い、あるいは潜伏のシミット」
それは、パン教の聖域から少し離れた、下町の古びた共同工房でのことだった。
集まったのは三人の男。かつて米派で挫折した職人、あかり様の配信で救われた元エンジニア、そして教団の末端でパンくずを拾い続ける清掃員。
彼らには共通点があった。
あかり様の神々しいカリスマに救われながらも、その傍らに立つ「あの少女」の、理屈を超えた無垢な存在感に、魂の奥底を撃ち抜かれてしまった者たちだ。
「……見たか、今日のゲリラ配信」
元エンジニアの男が、震える手でタブレットを操作する。画面には、クラフィンを頬張り、ただ幸せそうに胸をポカポカと叩く、うほちゃんの姿が映っていた。
「ああ、見たさ。……あかり様の教義は、俺たちに『生きる意味』をくれた。だが、あのうほ様の『うほっ』という微笑みは、俺たちに『生きている喜び』を思い出させてくれるんだ」
清掃員が深く頷く。
「教団本部のゴミ箱を片付けていた時、うほ様が通りかかってな。俺に、食べかけのパンの耳を『うほっ』と手渡してくれたんだ。その時、俺の心の中の『汚れ』が、一瞬で真っ白に発酵したのを感じたよ」
彼らは今、工房のテーブルに並んだ、たっぷりのゴマがまぶされたトルコのパン、**『シミット』**を囲んでいた。
「見てくれ、このパンを。固く、力強く結ばれた円環の形。そして、表面を覆い尽くす無数のゴマ……。これは俺たちだ。一粒一粒は小さくても、この円環のように固く結ばれれば、うほ様を陰から支える盾になれるはずだ」
職人が、焼きたてのシミットを一人ひとりに手渡していく。
サクッ、という力強い音が工房に響く。ゴマの香ばしさと、噛みしめるほどに溢れる生地の旨み。それは、あかり様という太陽の陰で、静かに、しかし熱く燃え上がる「守護者」たちの誓いの味だった。
「あかり様は偉大だ。だからこそ、うほ様のあの『無垢さ』を守るための場所が必要なんだ。教団の公式なルールには縛られない、純粋に彼女を敬愛し、その『ポカポカ』を世界に広めるための場所が……」
男たちは、固いシミットを互いに突き合わせた。
「決めよう。俺たちは今日から、表舞台には出ない。あかり様の『人類パン化計画』を影で支えながら、うほ様という福音を護り抜く……」
「……会の名前は?」
一人の男が、うほちゃんが胸を叩くあの仕草を思い出し、熱く語った。
「『うほ様を見守る会』。通称、**『ポカポカ団』**だ!」
その瞬間、窓の外から心地よい風が吹き込み、まるで新しい世界の予兆のように、香ばしいゴマの香りを街へと運んでいった。
あかり様の知らないところで、今、もう一つの「救済の円環」が、シミットのように固く焼き上がったのだ。




