閑話12 通貨事情
戦国期までの流通貨としては、宋銭や明銭などの渡来銭や私鋳銭などの鋳造貨幣、金銀の重量で取引されて定まった貨幣は無きに等しい。
大きな取引は為替や手形など、土倉などに割高な手数料が必要だった。
大蔵省外部機関として日本皇国銀行、財務庁に造幣寮を設立した。
偽造が難しい一本化した流通貨幣を模索、印刷や紙の品質を保つのが難しく、今のところ紙幣は断念している。
一定品質の銅合金の定厚圧延板が得られるようになり、刻印貨幣を製造。
丸く打ち抜き、表に額面・元号年、裏に菊花紋と国名・皇紀年を打刻した。
鋳物硬貨に比べて桁違いの精度で高い生産性が保障できる。
直径2/3寸の青銅で一分、2/3寸白銅で一文、3/4寸白銅で十文、3/4寸黄銅で百文硬貨の4種だ。
貨幣にはならないが、一文の1/100は厘と表現する。
慣用句になった『九分九厘』は99/100文、つまりは99%という意味だ。
一貫文が千文で、一文が十分あるいは百厘となる。
全国の旧金銀銅貨を回収すべく交換が始まると、見栄えが良いことも助けになって受け入れられた。
多少の混乱は否めないが、悪銭は一~五分で両替される。
金銀貨は今後、貿易銀貨金貨の原料、銅銭貨は新硬貨の原料になる。
原価率は一分が一番高くて赤字にはならないがすれすれだった。
通貨は、皇国が信用される限り経済の根幹となる。
貴丸の時代でも、借金が年間予算の10倍あるのに破綻しない国もあった。
信用があれば何でもありだ。
本来は、本位貨幣への兌換性・同一性が保証されている必要があるので、新貨幣は物品貨幣の一種であるとも言える。
本位貨幣として、貿易銀貨金貨も製造試作品はできている。
両方共に、品位九割の銅合金で、含量が1両=1/100貫、g換算で36g(40g)になっている。
銀貨の直径は4/3寸強で厚さは1分(3mm)、表に1両銀と元号年、品位、裏には菊花紋と国名、皇紀年が打刻されている。
金貨の直径は1寸強で厚さは1分(3mm)、表に1両金と元号年、品位、裏には菊花紋と国名、皇紀年が打刻されている。
50両半尺を封印した包金になっている。
皇国府の天領にした佐渡の相川金山は、調査で品位の高い金銀が採掘されていて、回収で集めた金銀と共に、純金・純銀のインゴットにして、日本皇国銀行の地下室に保管されている。
そもそも、インカなどの鉱山開発や冶金学はヨーロッパよりも進んでいた。
イスパニア人は白金を理解できず、銀よりも融点が高く鋳熔かすことができないクズ金属だと川に捨てていたという話もある。
農作物の改良や、灌漑技術、石組み技術など、様々に尖った技術が新大陸にはあったのを、貴丸は知っていた。
アステカ・インカの解放は、その技術が失われる前に救う意味もあるのだった。




