閑話11 庶民の生活
戦国期末、庶民・下層武士の主な服装は、重ね着で割と暖かい木綿の小袖になっていた。
小袖は本来下着だったが、その上に胴服、十徳、羽織といった外衣を羽織ることが広まり、武士は着流しか袴を着用する。
天下統一後、武士は長刀を腰に佩くこともなくなった。
女性は、小袖をゆったり着て、細い帯を結んで垂らす。
裕福なら小袖を重ね着したり、袿という上着を着用したりしていた。
魚肥、油粕、下肥を使う綿花栽培が軌道に乗り木綿が大量に出回り安価になった。
中国の品質の良い蚕が持ち込まれ、農技研での掛け合わせ研究の結果、品質の良い絹糸も作られるようになってきた。
北方交易で綿麻絹糸と交換した羊毛やヤク毛の毛糸や水鳥の羽毛が大量に入り、毛糸の編み物や綿・羽毛入りの服も冬の普通になった。
軍隊の制服が、筒袖の袷と股引、フンドシもゴム入りの猿股に変わった。
工場作業員は、危険回避のためにひらひらした袖は厳禁、ヒモも使わないようになって、南蛮服のようなボタンどめになってきた
このような変化が、市井にも影響を与えている。
軍人のケリは足が汚れない等の利点から草履や草鞋に置き換わりつつある。
履きやすい短ケリと呼ばれるものが流行、ゴム底ケリも売られるようになった。
男女とも外出時はきらびやかな上衣を羽織ることが流行で、寒い時は綿・羽毛入れの上衣を羽織る。
女性は櫛簪などの装飾品で髪を様々に結い、男は大抵総髪のポニテ、武士も月代を剃るのが面倒になっている。
軍人はヘルメットをかぶるので短髪が多くなり、市井では理髪店も現れている。
ただ、傾き者はそり込みを入れたり、髻の長さを競ったりして奇抜さを楽しんでいる。
総じて、機織技術や染色技術の向上で様々な布が登場し、服飾髪型が流行する華やかな文化が花開いたのが天正・元禄時代だった。
食事処はメニューが豊富で、地方のアンテナショップ的な店もある。
すでに、うどん・そば・ラーメン等の麺類、焼き鳥・天ぷら・ウナギの蒲焼き、丼物や鍋物など定番メニューがあり、以前からの店もいろいろ工夫した料理を出すようになった。
お菓子は練り物や餅など、まだ白砂糖が高価で、庶民は淡い甘みに慣れている。
ざるそばかけそばで一文程度、二文の天ぷらをつければ大満足だ。
宿も貸し室もピンからキリまで、宿だと共同風呂、銭湯も数十ヶ所にある。
借家でも家風呂が多いのは、燃料費も安い汽缶蒸気暖房が普及しているからだ。
貸部屋で月百文から、贅沢しなければ年五貫文あれば生活が成り立つ。
大抵の勤め先は、住み込みか食事付きの寮、あまり生活費は掛からなくなる。
若い頃はお金を貯めて、結婚したら借家、成功したら持ち家という人生設計が一般的になった。
官庁役所は午前8時~午後5時、6歳から入学できる6年制の初等学校は午前8時~正午、3年制の中等学校は午前8時~午後3時、3年制の高等・大学は午前8時~午後5時。
一般の商店は午前9時~午後6時、食事処は午前11時~午後7時、飲食屋は午後4時~10時という営業時間、暗くなると店前に提灯を出し客を呼び込む。
その後、電気が普及すると夜も長くなっていった。
憲法にあるように信教も自由だが、宗教団体には法的制約があり、戦国期の名残で武装放棄、洗脳的な情動操作の禁止、他宗との争い禁止などだ。
ただし、寺社には借地権税を無税とし、寺には葬祭、神社には冠婚を仕切らせ、勧進祭礼なども許可、毎年の収支届けは必要だが、喜捨に税はかけない。
それによって、毎月どこかのお寺や神社で祭礼があり、夏の盆踊り大会や秋には収穫祭りも行われる。
寺社の収入源でもあり、庶民の娯楽でもある。
衛生管理の観点から土葬は不可として、都州府に数ヶ所の無料火葬場がある。
医者による死亡証明、戸籍処理、火葬した遺灰を骨壺に納め、寺で供養する流れになっている。
京都府管轄の警察消防署が京都洛内の8ヶ所にあり、警邏隊が巡察している。
高い建物もないので物見櫓から望遠鏡で監視、緊急事態にはすぐに駆けつける体制で、火事に関しては消火用井戸も設置、ポンプ車も開発済みだ。
このように、庶民が安心して生活できる環境が守られている。




