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オイナカムイ伝  作者: 日川文月
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閑話10 変貌する京の都

皇紀2235天正3年から本格化する京の大改修事業は基本的に平安京の復元を目指した。

いよいよ凄し(皇紀1454)平安京』の、一条から九条、東京極から西京極までの大路小路を復元、人工の堀川も整備、往事の流れを取り戻した。

三条大路を西に行けば嵯峨嵐山、東に行けば南禅寺、さらに山科へ、北に曲がれば上下賀茂神社、さらに鞍馬山、貴船神社へ。

四条大路を東に行けば八坂の社、門前通りから五条大路までは歓楽街もある。

五条大路を東に行けば音羽の瀧、南に曲がれば伏見へ。

八条大路は西に行けば丹波へ。


平城京から長岡京、間を置かず平安京へと遷都、桂川と鴨川に挟まれ水不足も無く生活排水を川に流せる立地だが、当時は大きく作りすぎ宅地が埋まらず、右京南は桂川の湿地帯である問題で荒廃して、禁じられている農地へと転用された。

貴族の住宅は左京北部へ集中、貧しい人々は左京南部に密集して、鴨川の川べりにも住み、鴨川東岸には寺院や別荘が建設され、市街地がさらに東に広がった。


朱雀大路南端の羅城門(羅生門)が倒壊しても再建できないほど窮乏し、広かった大路小路が次第に宅地に侵食され狭まり、平安京の本来の範囲より東に偏ったせせこましい京の街が形作られていった。

室町時代から戦国時代は市街地の過半を焼失、内裏も度重なる災害により転々し、もとの位置から離れた左京鴨川近くの土御門東洞院殿に移っていた。

市街は四条大路を境に上京と下京と別れた小規模なものになっていたのだった。


小路は諸般の理由で途切れても仕方ないが、大路は否応なく拡張された。

朱雀大路は幅28丈(約83メートル)。

大宮大路・西大宮大路は幅17丈(約50メートル)。

他は8~12丈、小路は2~4丈、道端の側溝も復活した。

公地公民を国是としたため、土地の私有は認めない。

しかし、行政府が土地の借地権を与えるということだ。


行き場をなくした商人・住民にはもっと良い替え地が用意されたので、しぶしぶでも従わざるを得ない。

ただし、借地権には面積によって税が課せられる。

税率は住宅地は高く、商業地・産業地・農地は低い。

これは、職場住居一致の政策でもある。

移築新築には行政府から補助金も下げ渡された。

耐震性のあるレンガ館は補助金が多く、新築のレンガ館を選択する者も多かった。

一般商店や民家は高さ3丈までの認可で、一般小売業なら、1階店舗、2階倉庫、3階住居というような間取りになった。


度々氾濫で橋も流れる鴨川は、川幅を広げ護岸がしっかりしている。

護岸整備し復活した堀川水路、天神川、高瀬川にはしだれ柳が植えられている。

交通量の多い三条、四条、五条大橋は鉄筋コンクリート製におき換わる予定だ。


西寺跡の京都府行政舎群や、大内裏の各省庁舎は高さ4丈の3階建てレンガ造、屋根は火に強い本瓦葺きとなっている。

内裏は格式のある築地塀(ついじべい)に御門だが、大内裏は簡易なレンガ塀・門柱と簡素にして経費を節約している。

朱雀大路を挟んで七条に造成された東西鴻臚館(こうろかん)は国外の特使や国賓を迎える迎賓館、樹木も多く庭園もあるけど、基本はレンガ館になっていた。


大路に挟まれた区域に寺社などの広地がない場合は、適宜、火除地の公園を造成し樹木が植えらた。

大路には中央分離帯的に街路樹が植えられているのも、火事対策だ。

京内の本能寺や本圀寺などは寺領を拡張され、火除地としての機能も付与された。

九条大路南側、羅城門跡が京都駅前広場となり、駅舎工事も始まっている。

左京側に物流の中心となる市場も開設され、右京側は競馬場や馬事公苑の計画が立てられている。


桂川の川筋を西側に分散する水路を開削、右京南は埋め立て強化と水抜きの西京極堀川整備で地盤を改善した。

皇国立高等・大学校や運動場、人文学系の研究所、大博物館を建築。

学生寮や教師宿舎、一般住宅も多く、商店の中央や右京への移動を促した。

農地に転用されていたため、かえって工事は早くはかどっている。

洛内外の数カ所に初等・中等学校の開設を優先している。


人工的に開削された堀川は水運や湧水の地である京内の排水のため、あるいは、井戸水が簡単に手が入る地で、水質汚染防止のための下水の意味もあった。

糞尿による汚染を防ぐために、区割りで鉄筋コンクリート製の地下共同貯留設備が義務づけられた。

定期的にくみ取り、右京洛外の肥料化施設で、腐葉土や灰と混合されて発酵肥料に加工され、農地に配布されている。

そのための専用真空くみ取り自走車も開発されていた。


洛外の南禅寺、慈照寺、音羽山清水寺、妙法院や蓮華王院など天台宗の寺領、北の相国寺・北山鹿苑禅寺や北の天満宮、嵯峨の大覚寺、西の西芳寺、日向大神宮など再建中の寺社は多い。

全国から人が集まる観光地としても京都は栄えるに違いない。


洛外の田園は京の食を支える。

宇治川・木津川が流れ込む巨椋池に、桂川・天神川・鴨川の川水が流れ込み、淀川から河内に流れていく。

水質の良好な巨椋池の川魚や川海老も市場で人気を呼んでいる。

洪水対策としては流れ込んだ土砂を定期的に浚渫し、水位を調整する計画だ。

鴨川から取水する浄化施設を洛外北部に設置、処理した水道を埋設、下水道を埋設し洛外南部に最終処分場を設置する長期計画もある。


京の都は上中下、左中右の九ブロックに別けられ、上京は官公庁や高級住宅地、中京の中左は商業繁華街、下京の中左はこれから増えるだろう会社本社などのビジネス街、街道と繋がる三条四条や京都駅前など宿屋も多くなるだろう。

右京の中下は学園研究地区になる。


全国の模範となるような都市計画で、京の都は日々変貌しているのだった。

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