閑話6 ツーユー
「父上、蒸れる~~」
「確かに、蒸れるな。
湿気がすごいわ」
アイヌには梅雨が無い。
一方、岐阜に作ったレンガ館では、冬の快適さとは逆に6月の梅雨や9月までの酷暑でその欠点が明らかになった。
呼び出された貴丸はなるほどと考えを巡らせたのだった。
「換気の取り入れは汽缶の熱で温まるように工夫しとったけど・・・。
梅雨対策はしてなかった。
うっかりやな。
ええと、珪藻土って確か加賀の方でとれるみたいやけど」
「おお、焼き固めて練炭の窯にするといいらしいぞ、権六が持ってきたのだ」
「へえ、なかなかやるな。
あれは湿気を吸うから粉にして塗り壁にするといいんだよ」
「ほう」
「あとは、床下に通風口を開ければかな、寒くなったら閉じれば良いし」
「うむうむ」
「元来、日本の家屋は梅雨の湿気対策でスカスカになってたんだよね」
「スカスカ?」
「あ、あう、隙間だらけっていう意味」
「それは言えるのう。
冬には寒いから、板戸にせねばならぬが、暗くなる」
「内側のイタガラス戸を障子戸に替えるのも良いかもしれぬか」
「とりあえず、窓を大きくしてイタガラスと障子の引き違い戸の2重にしてみる?
夏は開ければ良いし、冬は閉じれば暖かいよ」
「うむ、それぞれ地方に合わせるのが良いな」
岐阜城のレンガ館を改造、そのノウハウは新たに立ち上げられた美濃の商人組合に伝えられた。
湿気を抜く工夫は、床下だけでなく瓦屋根裏にも施された。
さらには、床暖房とか、美濃和紙と珪藻土を使った調湿壁材とか、石膏ボードとかの開発で、日本有数の会社、後の『美濃練瓦工業株式会社』は発展していくことになる。
レンガの日本語は、このときは練瓦となっていた。
イタガラスが板殻簾となったのは、簾の代わりになっていたからだと思われる。
「なかなか良いであろう」
「本来、日を遮るせいか涼しい気もしますな。
ハハハ」
「板の間もよいが、畳がいいのう」
「そうですな、寝転がって昼酒が進み・・・ふがふが」
「これ、権六・・・疲れておるか」
「はい、やっと・・・加賀も能登も立ち直ってございますれば。
失礼いたし」
おつきの小姓が羽織を柴田勝家に掛けた。
「勘十郎や喜六郎、彦七郎が生きておったらなあ・・・」
「上様・・・」
「いや、まあ、せんなきことじゃ」
信長は生来優しい心根を持っていて、家族を大切にしていた。
立場が人を作ると言うが、勘十郎は母や大人に引きずられて対立してしまった。
喜六郎が撃たれたのは間違いかどうかわからない。
彦七郎は、桑名城で孤立、奮戦のあげく一向宗に討ち取られ、後悔しか無い。
「上様?」
「いや、まあ、権六めが、寝かせといてやれ」
「は!」
(それにしても、貴丸じゃ、あやつは・・・あの知恵はどこから出るのじゃ。
大陸やアイヌの知恵ではあるまい・・・わからぬな。
発想がわからぬ・・・)
織田信長は合理主義者だ。
神仏の加護とか、そういうものは信じられないと思っていた。




